香りの起源と本質を知る、エルメスの旅。
Beauty 2018.06.21
「調香師クリスティーヌ・ナジェルによる、エルメッセンスの新作を発見する旅にご招待します」。――エルメスから、発表会の招待状が舞い込んだのは2017年11月のこと。「本質への旅」という言葉に誘われて、冬の砂漠を訪れた。
モロッコのマラケシュ・メナラ空港に降り立つと、午後の太陽が燦々と降り注ぎ、肌が熱い。12月とはいえ、20℃くらいある。人と車とロバが行き交う市街地を出ると、次第に人家はまばらになり、草木が姿を消してゆく。大通りを離れると、景色が一変した。
目の前に広がるのは、赤茶けた土と石ころの大地。ゆるやかに、波打つように大小の丘が連なり、青空との境目にはかすかに、雪をいただいた白い山並みが霞んで見える。こんなに何もない景色を、これまでに見たことがあっただろうか。
何もない景色の中に出現した白いテント群が会場。
でこぼこ道を進むと、白いテント群が見えて来た。
私たちを迎えてくれたのは、温かなミントティー。お茶を手にして談笑するひとときは、香りの旅へのプレリュード。
温かなミントティーのウェルカムセレモニー。
宿泊はひとり1棟のテント。冷え込む夜に控えて、たっぷりと薪のくべられたストーブには火が入っている。
夕刻の太陽はあっという間に傾き始め、空の色がどんどん変化していく。夕陽が沈む頃、松明とランタンの光が灯る。
夕刻、太陽が傾くと、大地の波紋が影を濃くしていく。
いつの間にか外にも松明が焚かれ、ランタンに火が灯る。
18時ごろ、太陽が山の向こうに最後の光を残しながら消えた。
暗闇に点々と灯る光に導かれて、いよいよクリスティーヌ・ナジェルが待つ発表会のテントへ。
キューブのスツールに座り、ショールにくるまって物語に耳を傾ける、親密な発表会。
2016年に香水クリエーション・ディレクターに就任したクリスティーヌ・ナジェル。
前任者ジャン=クロード・エレナがクリエイトしたエルメッセンス コレクションに、彼女による初めての新作が加わる。エルメッセンスは、エルメスの本質とフレグランスの魂を表現する独特のコレクションだけに、彼女にとっても特別の思い入れがあったのだそう。
「エルメスにきて、私は香りの遺産を受け取りましたが、その中にひとつ宝物がありました。それがエルメッセンス。本当のことを言うと、初めはこの宝物に怖気づきました。だから、時間をかけてわかりあう必要があったんです」
香りを構成する高貴な素材に注目し、讃えるコレクション。すでに13もある素材に、何を加えるのか……
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香りの物語に耳を澄ます、夜のプレゼンテーション。
自然に出た答えは「香りの起源に立ち返る」こと。香りが生まれた国、香りの歴史の始まり。香水以前の、香油のテクスチャー。
いまは手に入らない、本物の麝香鹿からとれるムスクの思い出。
古代エジプトの時代から男にも女にも愛され、ときに黄金よりも貴重だったミルラ(没薬)。
これまでエッセンスが作られたことのない、樹齢何百年にもなるブルーシダーの大樹。
魅惑的で神秘的なアガール(沈香)。
それが、彼女をインスパイアした4つの素材だ。
「旅で訪れた異文化の国で、香りと人の関係も違うことを発見しました。そして言葉も。ある文化では、香りを聞く、と表現します」
4つの素材による5つの香りは、語り部によって、それぞれの香りから想起される神秘的な恋物語で紹介された。
「昔々、湖と契りを結んだ女がいました――」
カルダムスクの物語は、干ばつによって愛する夫である湖を失いそうになった女性の話。濃縮された湖の水を詰めたフラコンの蓋を毎晩開けて、女は愛する人を再び見出す。
刺激的なカルダモンが、ムスクに出合うと丸く包み込むような優しさに。エッセンス ドゥ パルファム カルダムスク 20ml ¥50,544/エルメス(エルメスジャポン)
「昔々、決して結婚しないだろうと言われた姫がいました――」
ムスク パリダの物語は、ムスクとアイリスをこね、窯で焼き上げて、理想の男性を作り上げた姫のお話。
パウダリーなアイリスとムスクの官能的な香り。エッセンス ドゥ パルファム ムスク パリダ 20ml ¥50,544/エルメス(エルメスジャポン)
シダー サンバックの物語は、この国に占い師はひとりでよい、と争い合ったふたりの占い師の話。厄災を前に、シダーの木とジャスミンの花を調合して香料を作り上げた時、ふたりは神の前にはすべての人の場所があることに気付く。
ミルラ エグランティーヌの物語は、サバの女王がサロモンの王にいたずらをする話。部屋いっぱいの造花に世界中のエッセンスを振りまき、本物の野ばらを1本。ミルラの香りに身を包んだ王に、窓から飛び込んだミツバチが、野バラの花の場所を知らせる。
アガール エベンヌの物語は、ふたつの木の心を受け取ったガゼルの話。ガゼルが木で身体をこすろうと木に許しを請う。木は心を打たれ、夜の闇のように黒い中心部を開いて、すべてをガゼルに与えた。また別の木に身体をこすり付けると、その木は「心が安らぐ」と涙を流し、少し獣の匂いのするその涙を惜しげなく与えた。
奥左:力強いシダーに甘いジャスミンが香る。オードトワレ ナチュラルスプレー シダー サンバック、奥中央:神話的で高貴なミルラは、フレッシュで刺激的なノバラとの対極の組み合わせ。ミルラ エグランティーヌ、奥右:香り高いアガールとバルサムモミの温かな香り。アガール エベンヌ 各100ml 各¥33,480(以上6/23発売)/以上エルメス(エルメスジャポン)
ふたつのムスクは、エッセンス ドゥ パルファムという、香油を思わせるとろりとしたテクスチャー。肌にのせて指先でなじませる、そのセンシュアルな仕草も楽しんでほしいという。また、エルメッセンスのオードトワレと組み合わせることも提案している。
「今回、香りづくりの中で、実はいろんな遊びを試みました。ムスクはほかの香りのいいベースになります。私はエピス マリンと組み合わせるのが好き」と言うクリスティーヌだが、以前は、時間をかけて懸命にクリエイトした香りを重ね付けするなんて、と否定的だったのだそう。
「香りは身につける人のもの。アラブ世界の女性たちと話した時、全身を布で覆っている彼女たちにとって、相手を惹きつけ、誘惑する手段がメイクと香りだけという話が印象に残りました」
プレゼンテーションの後のディナーは、煎ったくるみのエッセンス、カルダモンとシダーのブイヨンなど、香りの素材が見え隠れするメニュー。さらに食事の後は、冷たく澄んだ空気の中で、テオルボの音色と異国情緒あふれる歌声に耳を傾ける、センシュアルな夜会が続いた。
香りとテクスチャーをテーマにした、洗練のディナー。
テオルボの音色とエキゾティックな歌声が夜空に響くコンサート。
流れ星の数を数えながら、砂漠のテントで語られた5つの物語を思い起こす。古代オリエントの人々も愛したに違いない、貴重な香りの物語に耳を傾けた、『アラビアン・ナイト』さながらの夜。見渡す限りのむき出しの自然の中で、香りの起源へと思いを馳せた旅だった。
photos:BENOIT TEILLET, texte:MASAE TAKATA(PARIS OFFICE)