女性の「体毛」、アリ?ナシ? 大論争を呼ぶ展覧会がパリで開催中!

Beauty 2023.04.18

パリの装飾美術館では毛をテーマにした大規模な展覧会が開催中。ミロのヴィーナスからTikTokまで、なにかと議論を呼ぶテーマだ。

今年の2月、ベルギーのシンガーソングライター、アンジェルはInstagramアカウントにセルフィーを投稿し、370万人のフォロワーにふさふさのわき毛を惜しげもなく披露した。これは、多くの批判を呼び、なかには非常に激しい抗議をするフォロワーもいた。しかしながら彼女の「体毛主義」は「今の時代の気分」に合ったものだ。InstagramではLiberté Pilosité Sororité(@liberpilosite;毛を自由に女子社交クラブ)のような活動家アカウントが「毛嫌い」との闘いを呼びかけている。TikTokでは、ハッシュタグ「#bodyhairpositivity」が160億回以上のビューを集め、Z世代もこの問題に敏感なことを示した。拡散した動画では、20代の若い女の子たちが自分の体毛を堂々と披露し、これが当たり前になるように呼びかけている。20歳のリュシルは、足のムダ毛処理をせずに外出することになんのためらいもない。「体毛があるのは自然なことだし、みられても全く気にならない。女性の体をめぐる非難発言にはうんざり」と言う。

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ジェンダーステレオタイプ

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2021年のIfop世論調査によると、ムダ毛処理をする女性は減少傾向にある。女性のうち、足のムダ毛処理をする人は12%減って80%、ワキのムダ毛処理をする人は8年間で10%減って81%だ。ビキニラインの処理をしない人は、2021年段階で28%(2013年は15%)になっている。この調査では「ロックダウンの影響」も認めつつ、「自然への回帰」傾向が明確となり、毛をそのまま生やそうという動きや、ジェンダーステレオタイプを(ある程度は容認しても)解消しようする動きがあることを指摘している。現在、ムダ毛処理をすることが「女らしさの基準」と考える女性は73%だ。

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フォトショップ世代

それにしても女性の体毛はなぜこれほど論議を呼ぶのだろう。『Parlons poil ! Le corps des femmes sous contrôle (原題訳:毛の話をしよう! 管理下の女性の体)』(Massot Éditions出版)の著者、ジュリエット・ランルイリとレア・テエブは大変興味深い同書の中で女性がなぜ毛を剃るのかについての考察を行なっている。「一般的なイメージの毛は汚く、醜く、そもそも男性的なものとされます」とジュリエット・ランルイリは言うと続けて「1970年代には体毛が規制秩序を打ち壊す象徴とされたのに対し、続く1980年代には無毛が良いという価値観が登場しました。そしてそのまま衛生的でクリーンな社会が続いたのです。フォトショップ世代と呼んでもいいかもしれません」と語った。カミソリの広告で、毛を剃ってつるつるの足を見せる女性を見て育った世代にとって、体毛はそもそも存在しないはずのものなのだ。

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理想美は滑らかな肌

現在、パリの装飾美術館で、「Des cheveux et des poils(髪と毛)」と題された展覧会が開催中だ。15世紀から現代まで、体毛と人間の複雑な関係を日用品や絵画、現代の資料を通して探っている。本展のキュレーターであるドゥニ・ブルーナは「髪と体毛は外見を構成する素材です」と言う。そしてこれはジェンダーステレオタイプでもある。人間の基本体液を4種類に分ける四体液説が誕生したのは古代のことだ。この説に基づくと体毛は男性の「自然な体内の熱」から生じ、男性らしさと結びつく。男性の生物学的特徴として認識される以上、女性の体毛は不自然ということになる。だから毛があってはいけない! となる。古代の女性は様々な脱毛手段(ピンセット、カミソリ、軽石、オイルランプなど)を使っていた。いずれにせよ理想美は滑らかな肌であることが多い。ミロのヴィーナスが毛深かったら? 体毛がないことが社会的地位の高さと結びつくことさえあった。エジプト人の上流階級は全身を剃っていたのである。

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先駆者のフリーダ・カーロ

展覧会カタログには、「美の概念の先には、秀でているという概念があった。毛が原始的なものと見なされるなら、毛をなくすことが野蛮人や怪物からの差別化要因になるのは自然なことであった」とある。毛のない女性(文明人)と毛のある女性(野蛮人)の対比概念が生まれ、「大航海時代」にこれが蒸し返され、さらにダーウィンの進化論の時にも顔を出し......欧米の植民地時代にも歴史はくり返した。

「毛を普通の存在にする唯一の方法は、毛を見せることです」

ジュリエット・ランルイリ

19世紀の見世物小屋には「髭の生えた女性」がいた。そして写真の登場とともにエロチックな写真が人々の間でこっそり出回るようになる。そこには確かに毛が写っていたし、崇拝の対象にすらなった。しかし毛は依然として親密なもの、隠された存在であった。そう、毛は動物的であり、性的なものなのだ。ギュスターヴ・クールベの絵画『世界の起源』が発表当時、衝撃を呼んだのは、生殖器のクローズアップもだが、なによりも女性の陰毛がくっきり描かれていたからだ。毛を見せることが議論を呼ぶのはSNS時代だけではないのだ! 1930年代には、フリーダ・カーロがボサボサの眉毛と唇の上の産毛を「自然体」の自画像の中で描いている。フェミニストである彼女は、西洋のステレオタイプを揺るがすために、自分の「メキシコ人らしさ」を使ったのだった。

時代を経てファッションが女性の身体を見せるようになればなるほど、ムダ毛処理をすべきという圧力は強まった。女性がある面で解放されると別な束縛が生まれ、毛が敵となるのは逆説的だ。ジュリエット・ランルイリによれば、毛がこのように忌み嫌われて「不可視化」されるのは、それが女性の身体の解放の象徴だからだ。「毛を普通の存在にする唯一の方法は、毛を見せることです」と彼女は言う。毛を生やしたままにしておくことは一過性の流行なのだろうか、それとも表象の革命なのだろうか。よく考えてみると、展覧会のカタログが「社会に混乱をもたらす存在」と評する毛は、女性の外見への偏見と戦う女性の最良の味方なのかもしれない。朝毛を剃る人もそうでない人も、じっくり考えるべきことである。

text: Séverine Pierron (madame.lefigaro.fr)

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