エルメス初のシプレの香り、バレニアの秘密。
Beauty 2024.08.20
エルメスの専属調香師に就任して10年を迎えたクリスティーヌ・ナジェルが、ひっそりと温め、育んできたシプレ系の香りがこの秋デビューする。メゾンの価値観すべてを体現する、時を超えたフレグランスだ。
「就任当初から、いつかエルメスのシプレを作る、という強い信念がありました。シプレは私にとって最も美しい香調。このうえなくエレガントで、一度愛したら一生付き合う香りだと思う。時を超えたオブジェを生み出し、時を超えたメゾンであるエルメスと共通点があります」
シプレとは、1917年にコティが出したChypre(キプロス島)という名の香水に由来する香調で、その構成には一定の規則がある。柑橘系のトップノートに始まり、ジャスミンやローズのフローラルブーケ、オークモスとパチュリがよく知られた配合だ。もともとシプレが好きで、過去に多くのシプレ系の香りを世に送り出してきたクリスティーヌ。彼女はそれぞれの要素を独自の原料に置き換えて、エルメスらしいひねりを加えた。
トップノートは熟す直前のほんのり青いベルガモット。フローラルの要素はマダガスカル産のジンジャーリリー。普通のユリよりも小さいが、より洗練された香りとスパイシーな風味を持つ。オークモスの代わりにはオークの木の部分を焙煎し、魅惑的で存在感あるウッディノートを。パチュリは、力強いクラシックな製法と高度なバイオテクノロジーを用いたハイテク分子の2種類をミックスした。
「子どもの頃に読んだ、すべてを甘くする魔法の実の物語から新しい原料が生まれました。4年前に発見したガーナ産のミラクルフルーツは、まさにこの物語の赤い実。エッセンスを抽出してみたら、おいしそうだけれど甘くない、ドライフルーツのような風味。ほんのわずかに採取できたエッセンスを化学的に分析・再構成してレシピに加えました。規則に縛られてよそよそしい印象になるシプレに、魅惑的な要素が加わりました」
エルメスのシプレを作るには、まずメゾンをよく知らなくてはいけないという思いがあった。
「誰にも言わず、自分だけで自分のために調香を始めました。新しい材料に出合い、使っては試行錯誤する。メゾンの仕事とは別に、このクリエイションには強く心を惹かれていて、飽きることなくずっと続けていました。この香りは、時間をかけ、最高のコンディションの中で作り上げたものなのです」
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レザーやシルクの素材に出合い、エルメスをクリエイトする女性たちを観察し、メゾンへの理解を深めるとともに、彼女のシプレも豊かに発展し続けた。そしてある日、「完成した」と感じた彼女は、アーティスティック・ディレクターのピエール= アレクシィ・デュマに提案。エルメス初のシプレが誕生することになった。
ボトルは、メゾンを象徴するオブジェのひとつであるブレスレット「コリエ・ド・シアン」をイメージしたもの。
「香水は、エルメスというメゾンを愛する人が手にしやすい身近なオブジェ。ですからボトルの中にはエルメスの価値のすべてが入っていなければなりません。それは、細部へのこだわりと素材のクオリティ。香水の原料も最高品質のものを使用しています」
エルメスでの10年間が育み、メゾンの価値観が凝縮された香りは、「バレニア」と名付けられた。それは、彼女が初めてレザーの保管庫を訪れた時に、最高に美しいと思った素材の名だ。
「バレニアはエルメスのクオリティを象徴するレザー。職人たちは『バレニアのレザーは優しく愛撫を返してくれる』と言います。高貴さ、官能性とエレガンスがバレニアのエスプリです」
クリスティーヌ・ナジェル
エルメス 香水クリエーション・ディレクター
Christine Nagel スイス生まれ。1997年にクエスト社に入社以来、調香師として数々の香りを手がける。2014年にエルメス専属調香師となり、16年より現職。
photography: Brigitte Lacombe
text: Masae Takata (Paris Office)