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ボローニャ「森の家」暮らし

ポルティコの街、ボローニャの11月。

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「ボローニャは子どもでさえ迷子にならない」―― そう歌ったのはボロネーゼが愛してやまなかった地元の歌手、ルーチョ・ダッラ。 少し歩けばすぐ目印になる通りや広場や建物にぶつかる。 六角形の城壁内は自転車で横断しても15分ほど。大きすぎず小さすぎず、なんというか、ちょうどいいサイ ズ。

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ボローニャの街並みで特徴的なのは、柱廊の歩道、ポルティコ。 街のいたるところに張り巡らされていて、城壁の中だけでも38kmにもなる。 これほどポルティコがある街はほかになく、ユネスコの世界遺産候補リストに上がっている。

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ヨーロッパ最古の総合大学があるボローニャ。創立は1088年。 それにより多くの学生や学者たちが集まり、一気に人口の増加が進んだ。 すると住宅問題が発生。それで出窓型で増築していたのを、それでは足りず家の外側に木の柱を立て梁を渡し、2階部分から道路に突き出すように増築し始めた。これがポルティコの始まり。

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このポルティコは、暑い日差しを避け、雨宿りもでき、職人の作業場にもなり商業活動もできる非常に便利な空間となると同時に、ボローニャならではの景観を作ることになる。
急激にポルティコが増えたのは、1288年から。市はすべての新しい建造物にはポルティコを作ることを義務付け、また既存の建物にはポルティコ部分を増築するよう指令を出した。それにはポルティコは高さと幅が少なくとも266cm、人が乗った馬が通れる高さにするように指示されていた。

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16~17世紀にかけて木造だったポルティコをレンガまたは石造りに交換するよう義務付けたので、 現在でも木造で残っているポルティコは珍しい。
そのうちのひとつがここ。

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19世紀にレンガを積んだ柱で補強された、マッジョーレ通りにあるコルテ・イゾラーニの木造ポルティコは、もともとは13世紀建築。よく見ると天井に3本の矢が。これにまつわってはさまざまな逸話があり、そのひとつはこんな感じ: 中世のとある夜。高貴な紳士をつけてきた3人の殺し屋たちはこの道にきて矢を放とうとしたその時、窓際にいた全裸の女性が叫びだし、それに気を取られて矢は的を外れて天井へ…… 本当か嘘かは謎だけど、ここを通る観光客はみな天井を見上げている。

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マッジョーレ通りをそのまま進んだ最初の交差点の角にあるのが、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂。 代々ボローニャで建築会社をしている夫のパオロは歴史的建造物の修復をメインで手がけていて、ボローニャ中の古い建物を知り尽くしている。その彼がいちばん好きなポルティコがここにある。

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数あるボローニャの教会の中でもトップクラスの美しさのこの教会、起源は14世紀で、ポルティコは教会と同時に着工したものの、工事は世紀をまたいで行われ、最終的にいまの形になったのは1855年。ほかには見られない細い柱廊が正面広場をぐるりと囲む造りは特別エレガント。(現在正面は工事中)
毎年このポルティコの下でクリスマス市が行われ、街の風物詩となっている。
教会の正面側のポルティコを右に進むと、行きつけのバール・マウリツィオが。

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オーナーの名物おじさん、マウリことマウリツィオが1985年にオープン。ボローニャに来た年から通っているのでもう11年来の付き合いになる。独り身の時はクリスマスや年越し、イースターを一緒に過ごしたこともあり、もはや親戚のおじさん。 界隈には大学の学部、学科が入っている建物が点在していて、学生、研究生、教員のほか、弁護士、建築家、 デザイナー、ミュージシャン、ジャーナリスト、エンジニア、役者、キュレーターなどさまざまな人たちが集まり、いつ行っても賑やか。ここで数しれない友達ができ、いろいろお世話になった。ルームメイトも見つけた。(ここのバーテンだった女の子。)
店内には年季が入ったの私の作品があちこちに。

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これはマウリと10年前いたスタッフのポートレイト。

朝5時オープンで、夜はよくジャズやファンクのライブ(この小さな店内で!)があり、ポルティコの下は向こうの方まで人でいっぱいになる。 昼間に行くと、大抵マウリと次女のアティナが次から次へ来る常連さんをさばいている。名前も好みも全部覚えていて、「チャオアンドレア、いつものね」で通じちゃうのがすごい。

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カプチーノとブリオッシュ、またはワインとマウリ発明の定番パニーニ「ブォニッシモ」(写真左の紳士が持っている)を手に、ライブのステージにもなる踊り場席から、または店の外、ポルティコ席から”バール人間劇場"を眺めるのも楽しい。

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この通りは城壁南西の角に当たるサラゴッツァ門の外にも続いている。

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その先にあるのは、マドンナ・ディ・サン・ルカ聖堂、通称サン・ルカ。 1枚目の写真で見えるように、ボローニャを見下ろす丘の上にある。
門からサン・ルカをつなぐポルティコは3.8kmもあり、世界一の長さ。

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毎日このポルティコの下を歩く人走る人がどれほどいることか。運動のため、お参りのため、理由は人それぞれ。
ボローニャの家にいるときは、サン・ルカふもとのこのポルティコにお世話になっている。 以前、娘のゆまはサン・ルカに向かう途中の幼稚園に通っていたので通園路だった。天気が悪い日はパオロも犬友たちとこのポルティコの下を歩いているが、サン・ルカまで行くことはなかなかない。途中から結構な坂なのだ。それでUターンしてポルティコ下の顔なじみのバールでアペリティーボして帰って来るんだもの、 ちょっと運動したって台無しだ。
ボロネーゼはみんな特別な思いがあるサン・ルカ。その話はまた今度。

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私の第二の故郷、ボローニャ。 市のシンボルと、地図と毎日乗っている自転車と、ボロネーゼなら誰もが知っているルーチョ・ダッラのあの歌のフレーズを入れた作品。

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今ではBはボローニャを離れたボローニャ出身の人のところに、Oはサン・ルカ近くにあるボロネーゼ、アンナの家に飾られている。アンナはボローニャ市街から丘の上のサン・ルカのパノラマ作品もオーダーしてくれた。
なんだかんだ言っても、ボロネーゼは心底ボローニャが好きなのだ。 そうだ、久々にアンナに会いに行こう。ポルティコの下をてくてく歩いて。

小林千鶴

イタリア・ボローニャ在住の造形アーティスト。武蔵野美術大学で金属工芸を学び、2008年にイタリアへ渡る。イタリア各地のレストランやホテル、ブティック、個人宅にオーダーメイドで制作。舞台装飾やミラノサローネなどでアーティストとのコラボも行う。ボローニャ旧市街に住み、14年からボローニャ郊外にある「森の家」での暮らしもスタート。イタリア人の夫と結婚し、3人の姉妹の母。

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