ボローニャ「森の家」暮らし

地球は廻り、季節は巡る。やっぱり美味しいがいちばんと思った10月。

恵の10月は、一年の中でも特に好きな月のひとつ。毎週末収穫祭がある。

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月初めの日曜日、友だちの葡萄畑の収穫があった。今年はうちの界隈の葡萄畑は病気や水不足などでみんな不作だったという。

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葡萄が少なかったこともあり、私が畑に行った時にはもうとっくに収穫は終わっていた。枝に残った葡萄はとても甘かった。収穫量は少なくても濃厚なワインができるかも。

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収穫した友だちもそうでない人も、みんなで恒例の収穫祭。会場は、畑の下にあるマルコの納屋。

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納屋の脇では、せっせと揚げパン、クレシェンティーニが揚げられていた。テーブルにはサラミやチーズなどが並び、クレシェンティーニに乗せて食べる。生地をローラーでせっせと伸ばして切ってぐらぐら湧いているラードに落としているのは、フィリッポ。こんなローカルイベントでは必ず腕をふるっている。

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いつもイベントで大量の生地を作ってくれるマウリッツィオ。揚げ係をマルコからバトンタッチした私に、残りの生地を分けてくれた。いただいた生地で学校のおやつ用にガーリックフォカッチャを作ったら、子どもたちはとても喜んだ。

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穴が空いてくりんとしたボローニャのパスタ、グラミニャのラグーをみんなにサーブしているのはパオリーノ。ローカルイベントではいつもこんなおじさんたちが大活躍。

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みんなが持ち寄ったお菓子のビュッフェ。写真右奥は伝統のお米のトルタ。柑橘の香りがふんわり。こんなにあったかくて気持ちいい天気はきっと今月まで。そんなことを口にしなくても誰もが感じていて、穏やかな日曜日をみんな心から楽しんでいた。

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10月は栗のお祭が各地で行われる。栗はイタリアの北から南の各地で収穫され、生産量は欧州トップ。イタリア全土の森林面積のほぼ10パーセントは栗林。この辺りも栗街道があり、道端や個人の家の前にも「栗売ってます」という看板をよく見かける。

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毎年第二日曜日は近所の村で栗祭りがある。今年は10月に入ってもずっと暖かく、栗がなかなか落ちなかった。例年栗林を持っている友だちが栗の販売ブースを出すけれど、この時点でまだほとんど収穫ができておらず、出店しなかった。

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広場にはテーブルがずらり。この奥には大きな薪釡オーブンが。

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このオーブン、まるまる1日以上かけて温める。昔は週に一度村中の人たちのパンを焼いていた。

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両手からはみ出るくらいの大きさのパンが30個くらい入る。パンが焼ける匂いは幸せの香り。

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お昼からはピッツァが次々焼かれた。

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ここでもフィリッポ大活躍。ちなみにフィリッポは警察官。

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次の週末には栗林でお祭り。栗は拾いたい放題で、本気で栗拾いする人たちは、朝早くから出かける。

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今年は栗が熟成するのが遅く、実は小ぶり。イガが落ちる前に虫に食べられているものも多く、栗の農家は肩をすくめていた。

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ここではナポリ出身でピッツァ職人でもあるドメニコが腕をふるっていた。

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混み合う時間の前に行ったのですぐ焼いてくれた。ドメニコの長時間発酵の生地はさすがプロの味。

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ドメニコは1年間丘の上のリゾートでピッツァを焼いていたけれど、放浪生活が好きで、秋から冬は暖かいところで過ごしたいからと、もうすぐ島に渡ってしまう。その前にナポリ料理をご馳走するね、と招待してくれた。

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この町出身でしばらくナポリに住んでいたパートナーのセレーナが作ってくれたナポリ料理は、私向けに野菜づくし。ナスのポルペッティは、茹でたナスと水で戻したパン、パルミジャーノと卵でできている。切ったナスを茹でるなんて考えたことがなかったので、私的にとても新鮮なレシピ。

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素揚げした薄切りのズッキーニと二種類のチーズとバジルのパスタは、アマルフィーの町、ネラーノの伝統料理。

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セレーナはナポリの港町でデリカテッセンをやっていたこともあり、料理がとても上手。次女のクラスメイトの双子のママで、今はお兄さんたちとこの町の人気バールを切り盛りしている。朝5時にセレーナがバールを開けるときは、子どもたちをピックアップして学校に連れて行ってあげたり、同じ習い事の日は放課後セレーナが連れて行ってくれたり。何でも話せる仲で、本当にあなたがいてよかった! と言い合っている。

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放浪者のドメニコと付き合って3年。昨年ここに越してくるまでは南仏のアグリツーリズモを回って作物を収穫したりキッチンで腕をふるっていて、セレーナは時々会いに行っていた。ドメニコは動物も子どもも大好きで、セレーナの子どもたちとの絆も深くなったけれど、ひとつの場所にとどまれない。両親は50年パン屋をやっていたけれど、お店を長期閉めては世界各地を回っていたし、4人兄弟みんな外国を住み渡っている。放浪者なのはどうやら血のよう。

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ドメニコの気質をよくよく知ってはいるものの、セレーナの心境は複雑。パートナーシップの話はもしかしたら子育ての話よりみんな相談していないのではないか。男性は特に。それぞれ個性のあるふたりが付き合っていくには、どこかで折り合いをつけないと成立しない。それも合わせる割合のバランスが取れていないといつかガタが出る。個々の成長過程は異なり、価値観や心理も変わるもの。以前はああだったのにと嘆いても、もう自分も相手もその時とは変わっている。相手のことを変えようと思っても変わらないし、変わるのを待っていても変わらないことも多い。冬は暖かいところで過ごしたいからと、今はコルシカ島で栗拾いの仕事をしていて、そのあとはシチリアの離島に渡り、春にここへ戻ってくるつもりだそう。

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ある友だちは、何年もの付き合いのパートナーと、海からすぐのとても素敵な家を借り、帰ったら寝るだけだった彼と、これで早朝浜辺を散歩したり、彼が揃えてくれた立派な鍋で料理をして友だちを招いたりする生活ができるかと思いきや、彼は今までとまったく同じで、服はお母さんのところに持っていって洗濯、アイロンをかけてもらっているし(イタリアのママはそれが生き甲斐だったりする)、特殊な職業なこともあるけれど、いつも外食。別居して何年にもなる妻とのウエディングリングもつけたままだし、何も変わらなかったという。この家を借りるまではきっと環境が変われば彼も変わるだろうと思っていたけれど、最優先は仕事とママで、もう何をしても変わらないことがわかって諦めたという。

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それに気づくのが、5年後10年後でなくてよかったと笑う。私のひとまわり年下の彼女とは10年以上の付き合いで、家族もよく知っていて親戚同様。先日うちに遊びにきた時は、パオロとバイクで出かけ、ツーリングしながら長々話をしてきていた。彼女のパパはパオロの少し年上で、長い闘病の後、昨年他界した。パオロは大きいお兄さんでもありパパ的な存在でもある。彼女には私もパオロもいろいろサポートしてもらってきた。頼りあえるこんな友だちは、宝物だ。

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今月はお呼ばれした日も多かったけれど、友だちを迎えた日も多かった。それでいつも以上にキッチンで腕を振るった。雨が続いたり、強風だったりもしたけれど、日差しが気持ち良い日は少し風があってもテラスでランチ。

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パリから一時帰国した友だちがきた日。ローストしたカボチャとスイートポテトとパプリカのクリームに、スパイスを合わせてカリッと焼いたヒヨコ豆、ギーで揚げたセージ、オーブンで焼いたカリフラワーとニンジンをトッピング。カリカリのシードクラッカーは最近のヒット作。

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フラックスシード(亜麻)をブレンダーで粉にして、チアシード、ヒマワリ、カボチャ、麻の実などの種、塩を加え、熱湯を注いで蓋をして15分ほどおく。フラックスシードやチアシードはしっかり水分を吸い、ねっちりした生地ができたら天板に敷き、オーブンへ。

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適当なサイズにパリパリ割って。スープの付け合せやサラダのトッピングにも便利。

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ビッグサラダも食卓の定番。雨が降るようになってからサラダ菜やルッコラ、ビエトラほか、美味しい野草がみるみる育ってきた。そんな葉物に春雨やライスヌードルを加えると、アジアっぽいサラダになってみんな喜ぶ。よく作ったドレッシングは、ピーナツバターやタヒニ、醤油またはナンプラー、レモン汁、ハチミツ、生姜などを使ったクリーミーで香ばしいもの。たくさんいただいたザクロは色も食感も味もとてもいいアクセントに。

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最近作り始めてすっかり定番になった大根もち。おろした大根、サイリウム(粘りがあるゼラチン状になる健康食品)または片栗粉、出汁、生姜、醤油などを混ぜて、ハンバーグ状にしてフライパンで焼いたり、天板に敷いてオーブンで焼いてから四角く切ったり。見たことはあるけど食べたことはないという人も多い大根、アジア料理をほぼ知らない友だちも、未知の野菜のこんな食べ方をおもしろがっていた。

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いろんな鍋も作った。この日はビーガンの友だちがいたので。野菜をしっかり炒めてから昆布と干し椎茸の出汁で煮た。ガンモドキはブレンダーで撹拌した硬い豆腐に人参、干し椎茸、生姜などを入れた。軽く揚げてあるので、淡白になりがちなビーガン鍋も美味しく仕上がった。

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季節のお楽しみ、栗ご飯は、拾ってきた大きめの栗で。

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お米を炊くときはいつも数種類の穀物を入れる。蓋を開けたときにほんわり黄色い栗がのぞく瞬間、あぁ秋だなぁと思う。

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ちなみに、栗は栗でもイタリアではカスターニャとマッローネとふたつの呼び名がある。(写真左がカスターニャ、右がマッローネ。‥‥‥ほぼ。)カスターニャは野生の木で実はひとつのイガに7つまで。皮は濃い茶色で、平たい形。渋皮は分厚くて剥きにくい。一方マッローネはカスターニャに接ぎ木をして栽培したもので、ひとつのイガに多くても3つ。皮は薄い茶色で、大ぶりで丸みを帯びている。渋皮は薄く、剥きやすい。

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誰もが大好きな栗の食べ方といえば、焼き栗。暖炉の脇に座って頬を赤くしながら穴のあいたフライパンを揺すり揺すり、焼き栗の番をするのは楽しいもの。

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焼けたら布に包んで15分ほどおくと、蒸気で蒸されて皮が剥きやすくなる。時間が会うときはこうして剥いた栗を使って栗ご飯を炊く。その方が生で皮を向くよりずっと楽。

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小ぶりのカスターニャは皮ごと茹でて剥いたりスプーンで中を出して、オートミルク、少しのハチミツかデーツのシロップを加えてミキサーにかけてクリームに。生クリームがなかったのでクリームチーズを入れてみた。

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栗はカリウム、マグネシウム、リン、亜鉛、鉄分、葉酸などのほか、ビタミンも豊富。植物繊維も多く、腸内環境を整える。小麦粉が手に入らない地域の人たちは、パンやパスタの代替に栗の粉を使っていた。それで、栗は「貧しい人のパン」と呼ばられてきた。

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友だちの実家で栗の粉を作っていて、分けてくれた粉で栗とカカオのケーキのようなパンのようなものを作った。栗の粉だけだと重いので、米粉や小麦粉を少し加えるとちょうど良い。砂糖を加えなくてもほんのり甘く、学校のおやつにもぴったり。

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今月になってしばらくお休みしていたパンつくりをまた始めた。ライ麦や原種の麦を使ってパンを作っていたけれど、ふっくらもっちり感はなく、子どもたちには不評だった。

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日本では小麦粉はタンパク質の含有率によって、薄力粉、中力粉、強力粉と分けられているけれど、イタリアでは挽き方、外皮の含有率(灰分)によって分けられていて、Tipo(タイプ)00,0,1,2,全粒粉と五種類ある。それに小麦の種類もさまざま。

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私はTipo2や全粒粉、ライ麦など栄養価が高い粉を使いたいけれど、どっしりしがちなので、子どもたちにも喜ばれるパンを作るため、W値(粉の強さ、弾力の高さ)が高い粉を3割ほど混ぜることにした。

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250度のオーブンで熱々になったキャストアイロンの鍋に、発酵させてはこねる過程を数回繰り返した生地を入れて蓋をし、20分。200度でもう2、30分ほどで焼き上がり。イーストは手軽さから生のビール酵母を使っているけれど、そのうちまた天然酵母に戻るかも。

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料理は本当に楽しい。クリエイティビティが鍛えられる。肉はほぼ料理しないけれど、植物ベースでバラエティに富んだ美味しい料理の可能性は無限大。私の料理に触発されて、豆料理にチャレンジしたくなり圧力鍋を買った友だちや、ドレッシングに目覚めてサラダや蒸し野菜の楽しみが増えたという友だち、スパイスや発酵食品に目覚めた友だちなどの話を聞くと、誰かの食卓がより植物性とフレーバー豊かなものになり、結果的に身体にも環境にも良いことができたらいいなと思う。

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この秋はカラっからで10月半ばまでまったく雨が降らなかったので、畑の野菜は出遅れた。10月末の畑は昨年だったら9月半ばの育ち具合。それでもいろんな野菜が生き生きしていて、見ているだけで元気をもらえる。

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春に花が咲いて種を落としたサラダ系の葉野菜もたくさん生えてきた。タネが飛んでいって好きなところから生えてくるので、畑の通路や花壇や思わぬところで見つかって、なんとも愛らしい。

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フォーシーズンというイチゴは、春からずっと甘酸っぱい実を楽しませてくれている。毎朝学校に子どもたちを送ったあと畑で過ごす時間は、平和で穏やかで幸せの時間。

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畑の前に、鶏舎をチェック。うちには5羽雌鶏がいて、普通はほぼ毎日卵を産むはずなものの、最近はひとつかふたつしか卵が見当たらない。雌鶏は卵を産むとたいてい歌いまくるのだけれど、ロバたちの藁ロールがある方で歌い声がして、行ってみると藁ロールに卵を産んでいたこともあったし、ヤギたちの家で産んでいたこともあった。どこか見つからないところで卵を産んでいるのだろうか。そんなことを思いながら鶏舎掃除をしている間、うずくまっていたエリザベスが羽を膨らませてまん丸になったかと思うと、立ち上がってぽとっと落ちたのは、ツヤッツヤの産みたて卵。始めて目撃した、卵が生まれる瞬間。見開いたエリザベスの眼差しが印象的だった。

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その反対側、ローズが座っていたところにも卵が。外で歌い出したので、産んですぐ歌うとは限らないらしい。

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この日、悲しいことがあった。正午の鐘がなる頃、犬たちが吠えたてる音と聞きなれない動物の鳴き声がして窓から外をみると、うちのヤギが大きな犬らしい動物に喉を噛まれ身悶えしていた。この辺り、オオカミもよく目撃され、以前飼っていたヤギも被害にあったのでもしかしたらと身が縮んだけれど、どう見てもオオカミには見えなかったので、勇気を出して大きい枝を振りかざして駆け寄ったら、犬は逃げた。被害にあったのはクルミだった。もっと早く気づいて駆けつけたら大事には至らなかったかもしれない。ごめんねごめんねと、涙が止まらなかった。水を口に含ませてあげて、血が流れる首を洗ってあげて、時折身悶えしたり立ち上がったりするので、もしかしたら、とも思ったけれど、獣医は気管支に穴が空いていて、手術しても普通に生きられるか保証できないということで、安楽死を選んだ。

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注射をした瞬間に身体が緩み、魂が抜けて行った感じがした。残った身体は抜け殻だった。イタリア語、ラテン語で、魂はアニマ。「生命を吹き込む」という意味のアニメーションの語源だ。この肉体はこの世でさまざまな三次元的な体験をするための「着ぐるみ」で、魂が身体を操縦、アニメーションしていることを改めて思った。雌鶏が事故や動物の被害にあった時も同じ思いで、その度に子どもたちと生と死と肉体と魂のことなど話をしてきた。

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向こうの世界に旅立ったクルミをいちばん悲しんだのは長女のゆまだった。1時間は泣いて泣いて、クルミをあんな目にあわせた犬に復讐したい(でも犬にはきっと悪気はなくて野生反応なんだろうけど、でもクルミを傷つけるなんて許せない‥‥‥)と言っていた。ゆまは生まれ変わり、化身などに興味があり(日本のアニメやドラマの影響だという)、魂の使命、魂はどこにあってどこに行くのかなどのことを話し合うことも。ちなみに、夜には犬は3キロほど離れた家のハスキーで、逃亡癖があり前科もあることがわかり、翌日にはパオロが警察とその犬の主人と話に行き、2度とこんなことがないようにと念押ししてきた。

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窓から見える景色は刻一刻と変わっていく。深い霧や雨の日でも、灰色の雲の向こうには必ず青空が広がり、月も太陽も昇っては沈んで行く。そんなんことに、毎日のようにはっとさせられる瞬間があり、その度に曇った心の鏡は再び輝きを取り戻す。

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相棒を失ったクルミの姉妹、クリの仲間を迎える前に、子犬がやってきた。パオロが勝手に連れて帰ってきたボーダーコリーの子犬を、ゆまは誰よりも喜んだ。パオロはペディグリーで名前を登録する時、この子犬の兄弟たちはEから始まる名前で登録することになっているからと言われ、エヴェリンと命名してきた。私は年長でボーダーの血が入った愛犬、ゆずにちなんで柑橘の名前にしたかったけれど、子どもたちにはまったく聞いてもらえず、呼び名はエミリーになった。

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14才になるゆずがまだ元気な間に子犬を迎えて、ゆずにトレーニングしてもらい、いつかその時がきた時の家族へのショックを軽減したいと思ってのことだとか。

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ゆずは穏やかな性格でとても利口。3才のメリーナはオーストラリアンキャトルドッグでディンゴの血が入っていることもあって、愛嬌はいいけれどずる賢くていばっている番長タイプ。エミリーが近づいてもうなるし、はしゃいで遊んでいると、うるさいっと噛むこともある。

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ゆずは子犬に全く興味がなく、放っておいてという感じだけれど、エミリーが寝床に遊びにきても怒らないので、静かになったと思ったら、よくゆずと一緒に寝ている。子犬は子どもと一緒でとても手がかかる。メリーナに次いでまたしても相談なしに子犬を連れて帰ってきたパオロには、腹がたつやら呆れるやら。でももう仕方ない。これもまた、経験だと気を鎮めた。犬たちは無条件の愛を与えてくれる。大人はもちろん、感受性の高い子どもたちがこんな動物と過ごすことは、きっと心の糧になる。

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こんなに深い絆で結ばれる動物の命はそう長くないけれど、その時の悲しさを心配するより、一緒に過ごせる間の計り知れない愛を謳歌したい。そして、唯一確かな今という瞬間をより意識的に過ごしたい。一瞬だけ空にかかった虹は、消えた後もそこにあるように思えてならず、しばらく心の眼でそこにあるはずの虹を眺めていた。目で見えるものだけがすべてではないのだ。

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「自然は急がない。それでもすべてが成し遂げられる」~無為自然~。

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何もせず、宇宙のあり方に従って、自然のままで生きる。悩んだりもがいたりするのをやめて、神聖な力を信じて身を委ねると、きっと自然に道は開けて行く。内側の世界も外側の世界もローラーコースターのようだけれど、今は世界的に集団全体でそんなサイクルなのだと思う。すべてのことにはリズム、パターンがあり、その法則に沿って変化し続けている。暖炉の前で静かにお茶を飲んでいる間にも、地球は時速1,070kmで廻っている。地球は太陽の周りを時速107,200kmで廻っていて、太陽系は銀河系の中を時速828,000kmで廻っている。そして銀河系は宇宙空間を2,160,000kmで動いている。想像だにできない速度だ。

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私たちが立っているこの地球は実は凄まじい早さで廻り、刻一刻とすべてが移り変わっている。それが自然の摂理で、誰にもどうにもできないこと。そう思うと、過去を想ったり未来を心配したりするよりも、今、心が満たされることに力を注ぎたいと思う。そうすれば何も間違いはない。

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そして今日も大切な家族や友だちとの時間を大切に、美味しいものを一緒に食べて、沢山泣いたり笑ったりして生きていきたいと思う。

小林千鶴

イタリア・ボローニャ在住の造形アーティスト。武蔵野美術大学で金属工芸を学び、2008年にイタリアへ渡る。イタリア各地のレストランやホテル、ブティック、個人宅にオーダーメイドで制作。舞台装飾やミラノサローネなどでアーティストとのコラボも行う。ボローニャ旧市街に住み、14年からボローニャ郊外にある「森の家」での暮らしもスタート。イタリア人の夫と結婚し、3人の姉妹の母。
Instagram : @chizu_kobayashi

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