服飾史家・中野香織さん登壇、『007 4Kレストア』トークショーの内容を特別公開!
ただいま全国で『007 4Kレストア』のリバイバル上映第一弾が公開中! 上映開始を記念し、9月28日には新宿ピカデリーにて英国文化に精通する服飾史家で著作家の中野香織さんをゲストに迎えたトークショーを開催。進行役は007を観過ぎた結果、映画に出てくるファッション、クルマ、時計、酒に憧れて編集者になったフィガロ編集部の編集YK(今回リバイバル上映となった『サンダーボール作戦』の推薦文も担当しています)。
中野さんの服飾史家としての観点から観た『007』シリーズ、そしてオタク癖を隠しきれない編集YKのトークショーを再現! 上映中の第一弾5作品、また11月17日から始まる第二弾5作品の参考資料として、ぜひご笑覧ください。
>>『BOND60 007 4Kレストア』10作品公開記念! 公開作品の見どころ&こぼれ話を徹底解説
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YK 皆様、本日は『007 4Kレストア:ロシアより愛を込めて』上映回にご来場いただき誠にありがとうございます。本日は服飾史家、著作家として活躍する中野香織さんにご登壇いただき、007にまつわるさまざまなお話を伺いたいと思います。中野さんの経歴をごく簡単にご紹介しますと、東京大学大学院博士課程を経て、イギリス文化研究を皮切りにダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリーといった領域の研究に従事。ケンブリッジ大学客員研究員、東京大学教養学部非常勤講師、明治大学国際日本学部特任教授を経て、現在日経新聞をはじめとした連載や企業のアドバイザーを務めるなど、日本のファッション研究やジャーナリズムを牽引する存在として、多岐にわたって活動されています。
中野香織さん(以下中野) 本日はどうぞよろしくお願いします。
YK 今日もとてもゴージャスなお召し物でお越しいただいています。
中野 こちらはYuima Nakazatoです。貴重な川俣シルクをエプソンの黒いインクで染めていて、小さな金具で袖は取り外し可能、丈も調整可能になります。ショールは4mの正方形の中央をくり抜いてドレープを作ったもの。伝統産業の支援のための努力、先進的なテクノロジー、高度なテクニックが光る、唯馬さんらしい作品です。今後のボンドウーマンのファッションにも“サステイナブル”な観点が出てくるのではないかという推測も込めて、本日はこのドレスを着てきました。
YK とても素敵です! さて、観客の皆様にお伺いしたいのですが『007』シリーズ作品を観るのが本日初めてという方はいらっしゃいますか? (観客席中央、3名ほど挙手)なるほど、『ロシアより愛を込めて』から007のディープな世界に浸れるのはとてもいいなと思います。中野さんは2009年に刊行された『ダンディズムの系譜:男が憧れた男たち』をはじめとしてジェームズ・ボンドに言及されることが多々あったと思うのですが、初めてご覧になったシリーズはどのボンドでしたか?
中野 小さい頃に家で『ロシアより愛を込めて』の、マット・モンローの主題歌がかかっていたのを覚えています。リアルに劇場で観たのはティモシー・ダルトンの『リビング・デイライツ』が最初ですね。その後、服飾史に端を発してダンディズムの研究をするようになり、シリーズ全体をじっくりと観るように。最新作は欠かさず劇場で観ています。
YK 特に好きな007はどのボンドでしょうか?
中野 そうですね、それぞれに魅力があって甲乙つけ難いのですが……。あえてひとりとするなら、原作のイメージにない野性味を加え、余裕とユーモアも漂うジェームズ・ボンド像の原型を創り上げたショーン・コネリーでしょうか。
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YK それでは中野さんの服飾史家の観点からご覧になった007シリーズについてをお伺いしたいと思います。中野さんがご覧になって、歴代ボンドのファッションで気になるポイントはありますか?
中野 まず、007のファッションは“正統派の英国紳士”、というわけでもないんですね。たとえばシャツの袖は捲り上げて留めるターンバックカフを愛用していたり、スーツに合わせる靴は紐でなくあえてスリッポンを履いていたり、フォーマルウェアにダイバーズウォッチを合わせていたりと、6人がそれぞれ着こなしにどこかひねりを加えた自分流を取り入れています。
ターンブル&アッサー(の店)でマイケル・フィッシュにシャツをフィッティングしてもらっている初代ボンド、ショーン・コネリーの写真を発見。マイケル・フィッシュことMR.フィッシュは、幅広のキッパータイを考案したことでも知られる、60's 70'sロンドンで活躍したファッションデザイナー。 pic.twitter.com/vwj4G3whBH
— KAORI NAKANO / 中野香織 (@kaorimode1) September 27, 2023
ショーン・コネリーはアンソニー・シンクレアの「Conduit Cut」のスーツに、ターンブル&アッサーのシャツを合わせて。コンジットカットとは、英国流にウェストを絞るのではなく、どちらかといえばボックス型に、直線的に見せる当時の最先端のスタイル。シャツのフィッターはマイケル・フィッシュで、キッパータイ(幅広で色柄が目立つ、60~70年代に大流行したネクタイ)を考案したデザイナーです。
2代目ジョージ・レーゼンビーは出演作が一作と影が薄いですが、実は最も正統派ブリティッシュ。オーストラリア出身という逆境を跳ね除けようとしているようにも見えますね。ボンドがスコットランド出身という設定を踏まえ、劇中ではキルトまで着ています。テイラーはディミ・メイジャーです。
3代目の“甘ボンド”、ロジャー・ムーアのスタイルはシリル・キャッスルやダグラス・ヘイワードなど、凄腕系のイギリステイラーが手がけたものです。ムーアボンドはむしろ、サファリルックなど、70年代にヴァリエーションが広がったメンズスタイルに影響を及ぼしていると思います。
4代目ティモシー・ダルトンはステファノ・リッチというテイラーが関与していたという記事もあるのですが、既製服も多かったようで、実力はあるのに華が足りないのはそういう面も関係しているのかもしれませんね。
YK なるほど、不遇なダルトン……。実は僕、いちばん好きなボンドはダルトンで、おそらく最も観返してるのが『消されたライセンス』なんです。
中野 そうなんですね! 舞台出身の「最も原作に忠実なボンド」、通好みですね。
YK 007を引退したティモシー・ダルトンはその後も映画、舞台、ドラマと活躍を続けるのですが、近作にも目を見張るものがありまして。特に英国王室のスキャンダラスな側面を描いたNetflixのドラマ『ザ・クラウン』というシリーズのシーズン5で、かつてエリザベス女王の妹マーガレット王女と叶わぬ恋に落ちた王室護衛官ピーター・タウンゼント大佐の老年期を演じているのですが、これがまたたまらない色気で……。ディナージャケットの着こなしが流石で「ジェームズ・ボンドが老いたらこうなるのか……」と、ボンドファンにはたまらないダンスシーンがあるのでぜひお見逃しなく。
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中野 5代目ピアース・ブロスナンからブリオーニ。90年代にファッションブランドがグローバル化していきますが、その影響を感じるチョイスですね。
どこか陰のある、リアリスティックなダニエル・クレイグからはトムフォード。それぞれの時代に合ったダンディズムを体現しているとも言えますね。
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YK ジェームズ・ボンドの映画シリーズを貫くテーマに「ラグジュアリー」と言うキーワードがあるかと思います。中野さんの研究テーマでもある「ラグジュアリー」ですが、この観点に関してはどうご覧になったでしょうか?
中野 “ラグジュアリー” という言葉は、たとえばマーケティング用語で使うときには「高品質」「高価格」「高プレスティージ」というカテゴリーを意味しますが、その意味ではボンド映画はラグジュアリーなモノやサービスにあふれる世界を体現していますね。また、人文学的に言うと、”ラグジュアリー” の語源には3つの意味があります。そのうちのひとつが、「ラスト(Lust)-色欲」という意味です。だから、シェイクスピアが ”ラグジュアリー” と書く時、それは情事の話だったんです。2つ目として「植物が生い茂る」という意味があります。そして「ルクス(Lux/lx)-光の単位」が語に含まれます。つまり、“ラグジュアリー” を人文学的に言うと、セクシーで、豊かで、人や社会を光り輝かせるもの。これが ”ラグジュアリー” の原初的なイメージですね。ボンドはマーケティング的な意味でも、人文学的な意味でも、“ラグジュアリー” な存在だと思います。
YK なるほど。“ラグジュアリー” という言葉からくる「高品質」「高価格」といったイメージが、映画の中にアイテムとしてどんどん出てきますね。『ロシアより愛をこめて』では、あのアタッシェケースやボスポラス海峡の風景、豪華な列車の旅、そういった観点で観るおもしろさもあります。
中野 そうですね。たとえばオリバー・ゴールドスミスのサングラスのような、“ザ・ベスト・オブ・ブリティッシュ"=イギリスの最高峰 が007シリーズにはたくさん出てくるんです。その結果として、それがイギリスの文化的な威信を押し上げて、イギリスそのもののPRにに貢献しています。
たとえば2012年のロンドン五輪の時に、ジェームズ・ボンドに扮したダニエル・クレイグがエリザベス女王をエスコートしましたが、それはやはり007シリーズが “ザ・ベスト・オブ・ブリティッシュ” を作品の中でたくさん紹介してきた実績が、結果として映画を超えて、女王をエスコートするに値するイギリス文化の象徴とみなされることにつながったからですよね。あの演出はイギリスという国の絶大なPRになりました。
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YK 次の007最新作ではどういった “ラグジュアリー”さが出てくるのか、愉しみですね。さて、今日もたくさんのファンの方がいらしていますが、60年の時を超えてなお、なぜこんなにも007に魅了されてしまうのか、多くのファンを惹きつけてやまないのか、それはどうしてだと思いますか?
中野 たくさん理由があると思うんですが、ひとつはやはり偉大なるマンネリズムでしょうか。 あの不変のテーマ曲や、MやQなどの登場人物、美しいロケーションなど、お約束のモチーフが出てくると「待ってました!」という感じで嬉しくなってしまう。で、時々それがちょこっと裏切られるという楽しさ。その世界観にはまってしまうと、次はどういうお約束事を見せてくれるのかなという期待も出てくる。そんなマンネリズムの力というのも理由のひとつだと思います。
YK ある種、歌舞伎みたいな世界観ですね。「六代目ボンド」っていうと、なんかほんとに屋号みたいな、そんなニュアンスも感じられます。
中野 そうですね。それぞれの主演俳優が、完璧に原作のコピーではなく、その人の個性を生かしながらちゃんとそれぞれのボンド像を創りあげているというところも、やはりボンドというキャラクターの魅力が不死身である理由じゃないでしょうか。
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YK では、これからご覧になっていただく『ロシアより愛をこめて』について、中野さんのお勧めの見どころをお聞かせください。
中野 やっぱり 60年代のいいところが表現されている映画でもあるかなと思います。タチアナが着る衣装のコンビネーションが美しいんですよ。 まさかこの色の組み合わせを60年代でやっていたのかというような、洗練された色やアイテムの組み合わせを、タチアナの衣装でぜひ確認していただきたいです。本当に優雅です。あとボンドとタチアナのセリフもエロティックで、最低限の言葉でものすごく奥行きのある想像をさせるという、その意味では非常に知的でセクシーな映画ですよね。
YK 僕はこの映画で注目していただきたいのは、この作品にだけ映っているシャンパーニュがあって、それがテタンジェ・コント・ド・シャンパーニュなんです。原作のボンドはよくテタンジェを飲んでいるんですけど、イアン・フレミングはそれを「僕はこのブランドが世界でいちばんいいと思っている」と書いてるんですよね。原作小説『女王陛下の007』でボンドがヴェスパー・リンドのお墓参りに行った後に部屋で飲むのもテタンジェだったんです。これは実際にテタンジェの輸出部長のインタビューで聞いた話なんですけど、貴賓室にはイアン・フレミングからの手紙が残っているそうなんです。テタンジェは映画にシャンパーニュを出してくれたということで、テタンジェ・コント・ド・シャンパーニュを1ケース、イアン・フレミングに贈った。そしたら、イアン・フレミングが「テタンジェをありがとう。 本当はボンドと飲もうと思ったんだけど、あいつはいま日本に行って日本酒を楽しんでるから、これは私ひとりで飲みます」という風に書いて送ったそうなんですね。その時、フレミングが書いていたのが『007は二度死ぬ』だった、という……。
中野 そういうひとつ一つの小道具、セリフ、ファッションからいろんなことを学べるのがボンド映画のおもしろさですね。
YK 本当にオタク心をくすぐられます。
中野 1回オタク心をくすぐられると、果てしなく学びたくなってくるという、しかもシリーズ全作で学び甲斐のあるボリュームがあるっていうところが、ボンド映画の強みでもありますね。
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