旅するミュシャ#112 ゴッホ「夜のカフェ」
中島 ミュシャさんこんばんは。今日は前回に引き続きゴッホの作品「夜のカフェ」を紹介するよ。
ミュシャ この前は「夜のカフェテラス」だったけれど「夜のカフェ」というお名前の作品もあるのね。
(「夜のカフェ」1888年作 ※ゴッホの亡くなる2年前の作品)
中島 そうなんだよ。前回の作品が濃紺と黄色の鮮やかなな対比だったのに対し、この作品は赤と緑、なんだか不穏な気配がしませんか?
(中島健太「旅するミュシャ-ミュシャのカフェ見学-」)
ミュシャ 正直あんまり長くこのお店にいたくないわね。
中島 「カフェ」とは言っても実際はこのお店はバーのようなお店だったそうで、ゴッホ曰く「ろくでなしの溜まり場」だったそうだよ(笑)
ミュシャ そんな場所にあたちを連れて行かないで欲しいわね...。
中島 ミュシャさん足速いし、いざとなったら走って逃げようとかと。
ミュシャ (いざとなったら画伯は見捨てていいわね...。)
中島 さてさて、「夜のカフェテラス」が北斎の作品の影響を受けていた話はしたけど、「夜のカフェ」でゴッホが表現したかった事は「人間の狂気」なんだそうだよ。
ミュシャ ますますそんな場所に連れてこないで欲しいわね...。
中島 店にいる客全員がお酒に飲まれ影を背負っている姿を強い色彩で表現する。
ゴッホの「人の心を色彩で表現する才能」に僕はいつも感動させられるよ。
ミュシャ お客さんの顔とかはあまり描かれていないのに、不穏な空気がずっとこの場所から漂っているのは、そんな秘密があるのね。興味深いお話だわ。
(ミュシャ 2度と行きたくない場所だけど、不思議な魅力がある作品だわ。)
中島 人間観察の力とそれを色彩で表現する力。
その上こんな作品達を2日に1枚完成させていた。
ゴッホのエネルギー、絵画に込めた情熱の大きさにはびっくりさせられるね。
ミュシャ でもそんなゴッホさんの絵は全然売れなかったのでしょ?どうやってごはんを食べていたの?
中島 お、ミュシャさん鋭い!
ゴッホの才能は疑い用がないけど、彼だけでは今世界に知られている彼の姿はなかったんだよ。
ゴッホの弟「テオ」という人がずっとお兄さんであるゴッホを経済的に支援していて、テオさんはフランスの有名なギャラリーで店長を任されるぐらい優秀な人だったそうだよ。
ミュシャ 画伯があたちの支えのおかげで生きられているのといっしょだわね。
中島 まぁ、間違ってはいないけど...。
そんなテオもお兄さんが亡くなった半年後にお兄さんを追うように亡くなってしまうんだよね。
ミュシャ 画伯もあたちがいなかったら半年で死んじゃうのかしら?
中島 うるうる、ありえる。
生前はほとんど絵は売れず、弟テオに支えられていた事は結構有名だけど、じゃあその後どうして有名になったか、ミュシャさんはなんでかわかる?
ミュシャ 画家は死んでから有名になって値段が上がるというのはよく聞くわ?
中島 それはよく言われるね。その代表がゴッホだよね。
でも実は大半の画家は死んだら忘れられてしまうものなんだよ。ゴッホ意外に10人以上名前をあげられる人は少ないんじゃないかな?
ミュシャ それは知らなかったわ!
じゃあゴッホさんはなんで有名になったのかちら?
中島 それはね、ゴッホとテオの死後、テオの奥さんである「ヨハンナ・ファン・ゴッホ」がゴッホを世に広めようととても頑張ったからと言われているよ。
ミュシャ ならヨハンナ・ファン・ゴッホさんを褒めてあげなきゃね!
中島 本当にそうだね。芸術家が世に名前を残すにはたくさんの人のサポートが不可欠だってことを今回はお伝え出来て嬉しいよ!
輝かしい伝説の陰に隠れてなかなか光は当たらないけど、絶対に必要な存在なんだよね。
ミュシャ つまり画伯は一層あたちに感謝が必要ってことね。
中島 いつも感謝してますとも!次回も宜しくお願いしますよ!
ミュシャ 期待ちているわ。
(ミュシャ お家が一番)
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