旅するミュシャ #2 ルノワールの描く女性の腕の中で。
『旅するミュシャ-ルノワールの描く女性の腕の中で-』 技法:油絵
中島 ミュシャさん、今日からいろんな名画の中を旅していこうと思うのだけど、ルノワールって知ってるかい?
窓辺が大好きなミュシャ。同居人のパソコンを座布団にしている……。
ミュシャ あら画伯、わたちのこと世間知らずだと思っていないかちら? ルノワールの色の使い方って、わたち好きよ。
中島 おぉ、さすが画家と一緒に生活しているだけのことはあるね。今日はそんなルノワールの代表的なテーマである「女性美」の世界にミュシャさんをお連れ出来ればと思いますよ。
ミュシャ たのちみね。
今回の作品に使用したパレット。上部にある青などの寒色系の色にルノワールの特長が。
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中島 作品名は『猫を抱く女性』、1875年の作品。印象派が生まれて2年後の作品で彼が34歳頃の作品だけど、すでにルノワールらしい女性の表情の柔らかさは完成されているね。それに対して猫ちゃんの表情はちょっとふてくされ気味……(笑)。 当時はまだ写真技術もいまほどには発達していなかったから、ルノワールは何度もモデルさんに猫ちゃんを抱っこしてもらったのだろうけど、猫ちゃんはどうやらあまりうれしくなかったようだね。
ミュシャ わたちも普段ってあんまり構われたくないのよね。わたち結構忙しいのに、抱っこされちゃったら何にもできなくなっちゃうじゃない?
中島 そんなに忙しそうには見えないけど?
ミュシャ あら画伯、失礼しちゃう。わたちの毛並みがこんなにつやつやなのが、気が向いた時にだけしてくれる画伯のブラッシングのおかげだとでも思っているの? 毎日わたちが時間を見つけてお手入れをしている賜物だってこと、やっぱり男の人ってわからないのかちらね。
中島 す、すみません…… 。と、ところでルノワールの作品だけど、彼の作品が他の作家の作品と一線を画すのは、さっきミュシャさんが言ってくれたように色彩の美しさなのだけど、特に特徴的なのは影や暗い色の捉え方なんだよ。古典的な作品は影に茶色や黒を使うことが多いんだけど、彼の作品には、緑、青、紫といったいわゆる「寒色」がたくさん使われているんだ。女性の肌の透けるような透明感や柔らかさの表現の秘密にはそんな工夫があるんだよ。
同時代に描かれたカミーユ・コローの『真珠の女』1868-1870年。美しい女性像だが、影色の捉え方は全くルノワールとは違う。
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ミュシャ ふーん、彼は画伯と違って女性の美が1日にして成らずってこと、ちゃんと理解してたのかもちれないわね。女性の美しさに敬意を感じるわ。
中島 (まだ怒ってる…)そうそう、そんなワケで彼の作品は時に耽美すぎると批判されることなんかもあったんだよ。「ただ美しいものを美しく描く、それのどこが芸術なんだ?」ってね。
ミュシャ あら、美しいものを美しく描く、その難しさをわからない方が多いなんて、意外だわ。
中島 ほんとうだよね。でもそんな批判に対してのルノワールの言葉「世界は悲しみと苦しみに満ちている。だからこそ、画家があえてそれを描く必要はない」。僕はこの言葉が大好きなんだ。僕もいまのように世間が苦しみに満ちている時に、ただ美術に取り組むということに意味があるのだろうか?なんて悩んだ事もあるから……。
ミュシャ 美しくいる事だってとっても大変なことなのに、意外とそれを理解してくれる方だって少ないものね。ねぇ画伯?
中島 以後気をつけます……笑。ルノワールの生きた時代は戦争もたくさんあったし、スペイン風邪の大流行もあった。彼自身、戦争で親友を亡くす悲劇を経験してるんだよ。そんな時代に彼の描く「生」の美しさは人々の心を明るく照らしたのだろうね。
ピエール₌オーギュスト・ルノワール『猫を抱く女』1875年頃 油彩 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
ミュシャ わたち、やっぱりルノワールの作品、好きだわ。ところで画伯、わたちが抱っこされた女性と彼の作品の女性、ちょっと似てないんじゃないかちら? どちらも優しい表情だけど、やっぱり少し画伯の癖が出ているのかちらね?
制作中の本作。ルノワールらしい表情を出すため苦心しながら描いているのが窺える。
中島 (ドキ!)ライブペインティングで描いてたっていうのもあるし、、ルノワール独特の筆使いの再現が難しかったのは確かにあるけど……。あ、ミュシャさんそろそろお腹が空いだんじゃない?!
ミュシャ ……ごまかちたわね。
中島 というわけで、皆さま今回も旅するミュシャにお付き合いいただき誠にありがとうございました。次回は「ユトリロ」の世界を旅します。ユトリロとルノワールの意外な接点、お楽しみに。
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