旅するミュシャ#6 夕暮れの積みわら散歩
中島 やぁミュシャさん、最近はすっかり涼しくなってきたね。ミュシャの艶々の毛並みも冬仕様になってきて、モコモコに磨きがかかっているね笑
ミュシャ 正直、ちょっと暑いわね。
中島 それは大変。そんなモコモコのミュシャさんを、今日は再びモネの世界にお連れします。モネのターニングポイントになった作品、それがこの『積みわら』だと言われてるんだ。
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ミュシャ 色がとっても綺麗な絵ね。でもこの絵のどこがそんな特別なのかちら?
中島 実はこの作品はモネが1890年〜91年にかけて描いた25点の連作のうちの1点なんだよ。そして、それらを展示した個展の成功によってモネは画家としての地位を確立したと言われているの。
ミュシャ 確かモネは1840年生まれだったかちら? という事は50歳になるまで画家としては成功してなかったってことになるわね……。
中島 そうなんだよ……。それまでは「モネと言えば金欠」というくらい常に誰かに頼る日々。マネや画商や、パトロンからの支援がなければどうなっていたのやら……。
それでも、誰かがいつも手を貸してくれるモネという人は、人としてもきっと魅力的な人だったんだろうね。
ミュシャ ……画伯って貯金あるのかちら?
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中島 さて、当時の個展で売られた『積みわら』は、高いものでは1000フランで取引されたそうで、これは現在の価値に換算すると300万〜500万円くらいと言われているんだよ。
ミュシャ あたちのご飯、何年分かちら?
中島 多分一生ミュシャさんが食べるには困らないね笑。 その個展での成功によって、やっと経済的な安定を手に入れたことで、モネはジヴェルニーに庭園付きのアトリエを購入するんだ。そこで、かの有名な『睡蓮』が生み出される事になるんだね。『睡蓮』を初めて描いたのは54歳頃と言われているから、モネがいかに遅咲きだったかわかるよね。
ところでモネに経済的な成功をもたらした『積みわら』。いまはいくらぐらいするかミュシャさんは知っているかい?
ミュシャ 画家さんは亡くなってからの方が値段が上がる、という話はよく聞くわね。だから、10倍ぐらいかちら?
中島 なかなか良い推理。でも、それがなんとなんと、2019年のサザビーズオークションに出品されたモネの『積みわら』、なんとお値段122億円!! 1891年の個展で初めて販売されてからわずか130年足らずで数千倍もの価値になってしまったんだ!
ミュシャ あ、あたちのご飯何年分かちら……。
中島 毎日ミュシャがお腹いっぱい食べてもとても食べきれないよ笑。すごいのは、同じ作品が1986年に販売された時はまだ2億5千万円程度。もちろんすごい額だけど、そこからの急上昇が凄い……。いかにアートの価値が相対的で、不確かなものかわかるよね。
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ミュシャ 画伯の作品も将来、値段が上がるのかちら??
中島 それは全くわからないね。実はミュシャさんがさっき言った「画家さんは亡くなってからの方が値段が上がる」というのは嘘ではないけど、だからといって当たり前でもないんだ。正解に言えば、ほとんどの画家の作品は画家が亡くなると、忘れ去られて価値を失ってしまうんだ。忘れられた作品はだんだんと市場からも忘れられ、いつかは価値の付かないものになってしまう。
ミュシャ なんだか寂ちい話ね。あたちは画伯の作品、忘れないでいてあげるからあんちんして。
中島 ミュシャさん、有難う涙。モネは生涯を通して自身のスタイルを貫いた。モネが名声を確立した頃には皮肉にもピカソらの台頭によって印象派は、時代遅れと感じられていた。売れなくても、時代遅れと言われても、愚直に自分を貫き通したモネの人生、人々はその生き様に、最後は惹かれるのかもしれないね。
ミュシャ お金の話で目を輝かせたり、しんみりしたり、今日の画伯はせわちないわね…。。
中島 山あり谷あり。それが人生!笑
次回は「近代絵画の父」と言われるセザンヌの世界を旅しようね。
ミュシャ 楽ちみね。
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