
川の流れのように。イギリスで暮らしていくということ。
いま住む家に引っ越してきたのはパンデミックの真っ最中だった。その頃は外出が制限されて息が詰まるような日々だったから、せめてもとばかりに大きな庭がある住居を選んだ(そしてその後、夏の芝刈りと秋の落ち葉掃きがどんなに大変かを思い知ることになる)。

大きいというか細長い我が家の庭。奥の小屋の先まで続いている。桜が紅葉中。毎朝のパトロールは猫の日課。
この秋、その庭にたくさんの球根を植えた。スノードロップ、クロッカス、ムスカリ、スイセン、チューリップ。気がついたらその数はゆうに100を超えていた。
晩秋から早春にかけての庭は色がなくて寂しい。だからその時期に咲く花が欲しいというのが最初の理由だった。けれどもその後、歯止めが効かなくなって繰り返し園芸店に出向いては何かに取り憑かれたように買っていた。

この一年の庭の花より。初夏に咲いていたスイートピー。
6月に母が永眠した。その悲しみにどう向き合えばいいのか、いまだによく判っていない。日本とイギリスで離れて暮らしていたから会えるのは年に一回くらいだったし、晩年は寝たきりで話すこともままならなかったから電話も出来なかった。だから母はもうこの地上にいないという実感が薄いのかもしれない。悲嘆の沼にハマると当分抜け出せなくなりそうなので、あえて考えないようにしているのかもしれない。一方で、母の死という揺るぎない事実に改めて気がついて愕然としたりする。

この一年の庭の花より。たくさんのばらが咲いていた時。
植物の種や球根は不思議だ。一見、命あるものとは思えない静かで無骨で小さな存在なのに、いちど土のなかに埋めると(時にはとても長い時間が経ち忘れた頃に)緑の芽を出す。何年か前のものでも、地中に植えると冬眠から目覚めたようにすくすくと育つものもある。
遠い昔、父と母が初めて手に入れたマイホームの小さな庭に、母は白と赤の可憐なデイジーを植えるのを幼い私は横で眺めていた。私の記憶のなかで最も古いものの一つだ。母はまた、彼女のお花のお稽古から持ち帰ったガクアジサイをその庭に挿木して大きく育てたこともあった。その頃の母はまだ30代半ばだった。あの時の母はどんな気持ちだったのだろう。
母がもう居なくても、私はどこかで生命のちからを実感したいのかもしれない。植えた球根がいっせいに花を咲かせる来年、私は何を感じるのだろう。

この一年の庭の花より。「カフェオレ」という名のダリア。
最近イギリスのあちこちで、国道沿いやラウンダバウトの街灯のポールに英国やイングランドの巨大な旗がくくりつけられているのをよく見かける。ぎょっとするほどの数が並んでいることもある。個人宅の玄関や窓などに掲げているところもあり、それらがまとう空気は王室の記念行事のお祝いやフットボールなどのスポーツの応援時の旗とは明らかに違う。
この国旗掲揚の動きはこの夏にイングランド中部から始まって、現在は実行しているグループがいくつかあるらしい。その意図はそれぞれ若干差があるようだけれども、大体は「英国民であることの誇りを取り戻そう」だという。
自分のルーツに誇りを持つことはそりゃ結構なことだけれども、違う国からやってきた人たちも多く共存するこの国で「英国民」もしくは「イングランド人」だけで団結しようというのはどうなんだろう?と移民の私は正直ちょっと引いてしまう。怖いと感じることもある。
でも先日、運転中にそんな国旗を立てた家のガレージから出てきた車に道を譲ろうとしたら、いえいえあなたこそ先に行ってねと柔らかな微笑みと共にお先にどうぞというジェスチャーをされてしまった。相手は私を見て明らかにアジア人であることに気がついていただろうに。確かにこの国ではもともとは移民でも、2世3世となればなおさら、肌の色や目の色に関わらずに英国人であることは当たり前だから、何を持ってこの国の民とするかの線引きも曖昧な気がする。
これまでもさまざまな不安がなかったわけではない。でもいまはイギリスをグレートに再建すると謳う政党の人気がこれまで以上に高く、そんな調査結果を目にするたびに過去にないほどに胸に暗雲が立ち込める。
それでもこの国に来て、言葉がおぼつかなくても私の話に耳を傾けて、こちらにいらっしゃいと輪の中に入れてくれた数えきれないくらいの体験と、そうしてくれた人たちの優しさを忘れることはない。
11月になれば私はケーキを焼いてクリスマスに備えて当日にはイギリスの伝統料理の七面鳥をローストし、年が明けたら真っ先に咲く花を探しながら猫を年一回の予防接種に連れて行く。春にはブルーベル、初夏にはばらが咲くのを首を長くして待つ。そして初秋になればまたクリスマスの準備について考え始める。それがこの20数年間続けてきた私のルーティンだから。ずっとずっと先のことは分からないけれども、いま私の家はイギリスだから。

海辺の町Margatesの海水浴場での英国旗。こんなあっけらかんとした国旗掲揚ならば気にならないんだけどなあ。私のブログは今回が最終回です。これまでありがとうございました!
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