England's Dreaming

強く生きる姿に心動かされて。英国の児童文学。

イギリスの児童文学が好きだ。

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『The Family from One End Streetの作者、イーヴ・ガーネットの家の近くで見かけた光景。門の奥には猫が寝そべっていて、まるで物語の一場面のよう。

いや、本当は英語の文を読むのは新聞記事くらいの長さならともかく、ペーパーバックとなると日本語に比べてやっぱり果てしなく時間がかかってしまう。でも子ども向けならば、比較的気負いなく読める、というのもその理由のひとつだと白状しておく。

ご存知の通り、イギリスには優れた児童文学がたくさんある。

誰もが知っているものならば『不思議の国のアリス』『ピーターラビット』『クマのプーさん』、最近では「ハリーポッター」シリーズなどなど。ファンタジー好きならば『ナルニア国物語』『指輪物語』がお気に入りかもしれない。

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イギリスではパフィン・ブックシリーズとして出版されている『The Family from One End Streetふくろ小路一番地)』。オリジナルは三部作だ。

どれも心踊るお話ばかりだけれども、好きなイギリスの児童文学は?と聞かれたら、私はイーヴ・ガーネットの「The Family from One End Street(邦題:ふくろ小路一番地)」(石井桃子訳、岩波少年文庫)シリーズをまずいちばん最初に挙げるだろう。

7人の子どもがいるラッグルズ一家の物語。とーさんはゴミ回収の仕事をしていて、かーさんは洗濯屋さん。子だくさんで隣人からは「まるでビクトリア時代の一家のよう」と笑われている。けれども、そんなことには意も介せずに、彼らは子どもたち全員をとても誇りに思っている。

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可愛らしい挿絵もこの本の魅力。アーティストでもあるガーネット自身が描いている。

おっとり屋の長女リリー・ローズ。学業優秀で奨学金を得て中学へ進学した次女ケイト。長男と次男は双子で、「冒険」を求めてギャングのグループに入ってしまったジェイムズとジョン。映画好きで、カフェでドアボーイまがいのことをして小銭を稼いで映画界通いをしている三男のジョー。公園の花を無断で摘んできちゃう三女のペグ。そしていつまでも歯が生えずに両親をちょっとだけ心配させている、末っ子で赤ちゃんのウィリアム。

そんな家族の一人一人を個性豊かに描き、一家に起きるちょっとした事件をテンポよく軽快に語っていく。貧しいけれども、家族同士が慈しみ合って暮らす姿をみずみずしく描いていくさまに胸を打たれる。

イギリスの児童文学で、とくに戦前に書かれたもののは、いわゆる「良家の子女」が主人公だ。でもこの作品は違う(作者のガーネット自身も中流階級の出身だけれども)。

ガーネットは1920年代のロンドンでアートを学び、アーティストとしてキャリアをスタートした。20年代の終わりに『ザ・ロンドン・チャイルド』という本の挿絵を担当した関係で、初めて東ロンドンの貧民街を訪れて、その劣悪な暮らしぶりを目の当たりにして愕然したという。

彼らのことを知らない人たちに伝えたい。その想いが、この作品が生まれるきっかけとなった。でも暗く悲しいだけの物語ではなく、厳しい状況でもたくましく生きる姿を描いた作品として。

どの章も印象的なのだけれども、私は次女ケイトの中学進学にまつわる話が特に好きだ。優秀な成績で試験をパスして奨学金を得ることができても、制服や「持ち物リスト」にあるテニスラケットやシューズバッグなど、その代金まで出してもらえるかはわからない。一度は手違いがあって支給されないと言われ、高価な学用品はとても買い与えられないと一家は失望してケイトは進学を諦めかける。しかしそれは間違いで、でも実際に購入用の現金が家族の元にやってくるのは6カ月後。それでは始業の時期に間に合わないとがっかりする一方で、ご近所さんの好意でお古を譲ってもらえることになる。

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お古とはいえ、やっと手に入った制服がうれしすぎて、こっそり取り出しては夢心地のケイト。憧れの品が自分のところにやってきてくれて、うっとりとした表情を浮かべる彼女に共感せずにはいられない。

ようやく手に入れた制服は、必要になる日まで両親のワードローブに大事にしまわれているものの、ケイトは時々、両親の目を盗んでそれらを取り出しては眺める。特に制服の帽子は「特別な店」でしか買えない、とっておき。そしてそんな大切な帽子にとんだハプニングが起きるのだが、ケイトはその後も(通学以外の時でも!)誇らしげにその帽子を被っていて彼女のトレードマークとなっていく。

当初、ガーネットはこの作品を出版社に売り込みに行っても、何度か断られたという。読書をするような子どもたちは豊かな家の出身で、「貧乏な子の物語」には興味を示さないだろうという理由で。でも1937年に出版にこぎつけて、翌年にはカーネギー賞という権威ある文学賞を受賞している(この時、J・R・R.トルーキンの『ホビットの冒険』も同時に候補に挙がっていて、それを破ってのことだった)。

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物語の舞台のモデルとなったルイスは、美しい町。中心部には18世紀から続く歴史ある地ビール、ハーヴィーズの醸造所がある。

ラッグルズ一家が暮らす町は、作中ではオトウェルという名だが、そのモデルとなったのはロンドンの隣のサセックス州にあるルイスだ。ガーネット自身が住んだ町でもあり、ここで暮らしながらこの本を書いたという。

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朱色のゼラニムが窓辺に咲いているのが、ガーネットが暮らした家。

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壁にはそのことを伝えるプレートが取り付けられている。

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ラッグルズ一家はこんなところに暮らしていたのかもしれない。ささやかな長屋ながら、色の違う煉瓦を美しく積んだ外壁が印象的。

目抜き通りから入ったところに、その家がいまでも残っている。古い石畳の急な坂道の途中にある、プレートがなければ気がつかないほどの小さな小さな建物だ。少し歩くとラッグルズ一家が暮らしていそうな、長屋の家が並ぶ通りも見つかる。

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6月に再発された『Holiday at The Dew Drop Inn。ガーネットのイラストを散りばめた表紙が愛らしい。

日本で翻訳が出ているのは最初の1冊だけだが、2作目『Further Adventures of the Family from One End Street』、そして3作目の『Holiday at The Dew Drop Inn』とシリーズが続く。でも最近までなぜかイギリス内でも3作目だけ絶版になっていた。古本でもけっこう高価で扱われていて、私もファンとは言いながらも未読のままだった。でもどうしたきっかけか、今年再販されてやっと手に入れることができた。

ここでは私がお気に入りの次女ケイトが主人公。田舎をこよなく愛するケイトの夢は、将来は農業に従事すること(そう、彼女はちょっと個性的)。そんな彼女が学校がお休みの間、ご縁のあったカントリーサイドの家で暮らす物語だ。そこでも彼女はトレードマークの愛用の学校の帽子を被っているのがなんとも愛おしい。

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中の挿絵。右側が、学校の帽子をかぶったケイト。

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ガーネットの家と同じ通りにあった家の窓には「Britain Needs Books」の文字。御意。

坂本みゆき

在イギリスライター。憂鬱な雨も、寒くて暗い冬も、短い夏も。パンクな音楽も、エッジィなファッションも、ダークなアートも。脂っこいフィッシュ&チップスも、エレガントなアフタヌーンティーも。ただただ、いろんなイギリスが好き。

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