England's Dreaming

英国で日本で、その「背骨」を貫くもの。『推し、燃ゆ』。

文・坂本みゆき

家にいる時間が増えて、以前よりも読書している。

宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』は、芥川賞受賞がさらに拍車をかけて大ベストセラーになっているから読んだ人も多いと思う。

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『推し、燃ゆ』(河出書房新書 1400円)佐藤亜沙美さんによる装丁。少しくすんだピンクとダイスケリチャードさんのカバーイラストでとても目を引く。

物語の主人公高校生のあかりは、一人のアイドルを推している。学校もバイトも上手くいかない彼女にとって、その存在は彼女のすべてを支える「背骨」に例えられるほど大きい。しかし「推し」がファンを殴ったという炎上事件が起こり、物事は少しづつ思いがけない方向へと動いていく。

この本を読んでいる間ずっと、胸に絶えず湧き続けていた気持ちに似たものを、私は以前にも感じたことがあると思いながらページをめくっていた。

主人公に自分を重ねて痛く悲しく、ひんやりとした気持ちになりながらも「でも、どうか最後は大丈夫でありますように」と祈るような想い。

それは、イギリスの60年代のストリートカルチャー渦中の、一人の男性を主人公にした映画『Quadrophenia』(邦題『さらば青春の光』)を観た時だった。

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イギリスのロックバンド、ザ・フーによる映画『Quadrophenia』のサントラ盤。あかりくらいの年齢の頃、当時のお小遣いをはたいて手に入れた2枚組レコードを、私は今でも大切に持っている。

映画の舞台は60年代半ばのロンドン。昼間は広告会社の郵便係として働くジミーは、モッズであることに自分のアイデンティティを見出していた。モッズのスタイル遵守のために髪を切り、服を選び、改造したスクーターに乗って夜な夜な仲間たちの集うクラブに出かけて朝まで踊る。

しかし5月の連休に他のモッズたちと連れ立って出かけた海辺の町ブライトンで、敵対するグループ、ロッカーズらと警察も出動するほどの大喧嘩に。そこで逮捕されてしまったジミーが釈放後に家に戻ると、周辺は変わり始めていた。

もちろんこの映画と『推し、燃ゆ』の詳細は全然違うし、何よりも主人公ジミーにとっての「背骨」は人ではなく当時イーストロンドンの若者たちの間にあったムーブメントに属しているということだ。そこにいる自分、そこで一目置かれる存在となっていく自分が、いわば生きていくための核心だった。

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ブライトンから程近いセブンシスターズの白い岸壁は映画『Quadrophenia』のラストシーンが撮影されたことでも知られている。

『推し、燃ゆ』のあかりがバイト代全部を「推し」関連の購入に当てるように、ジミーのような当時のモッズ達は稼いだ給料のありったけを使ってスーツを仕立て、イタリア製のスクーターを手に入れ、夜通し踊るために大量のドラッグを買った。彼らもまた、モッズであるためだけに持ち得るすべてを費やした。

悲しいほどに刹那的なのだ。あかりも、ジミーも。

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私が『Quadrophenia』を初めて観たのはちょうど、あかりと同じ年の頃だった。学校に行かないのならば働かなくてはいけない、自分で糧を稼げなければ死ぬしかないんだよ、と父親に言われて「なら、死ぬ」と即答するあかりと似たようなところが、その頃の私にもあった。

他人にとっては「そんなこと」と言われる物事が当時の私にとっては人生の最大重要事項であり、それがあるから毎日生きていけた。

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青はあかりの「推し」の色。まばゆい光が散りばめられた瑠璃色の中表紙を初めて見た時は、綺麗過ぎてはっと息を飲んだ。

小説が終わりに近づくと「推しを推しつづけること」、またあかりがかつて「推し」を経由して得た「重さを背負って大人になることを、辛いと思っていい」という肯定は、彼女とともに読者である私も永遠ではないことに気付かされていく。

そして、『推し、燃ゆ』も『Quadrophenia』も最後は痛さと激しさを伴って、主人公たちはそれまでの自分を葬り去る。

小説も映画もここで終わる。でも、これは本当の終わりじゃない。そうやって葬っても、背負っている「重さ」は決して軽くはならないし、仮に一度軽くなったとしても、また別の重さがやってくる。

あかりやジミーよりももう遥か上の年齢に達した私は、それをとてもよく知っている。そして、その重さに一度気がついてしまった者は生涯に渡ってきっと、それを誤魔化したり軽減したりは決して出来ないということも。

一方でその背中の荷を知る人たちは、彼らだけが見える風景も同時に手に入れている。私はそう思っている。

宇佐美りんさんは、まだとても若いけれども、私が彼女の年頃の時には気付きもしなかったその風景を、すでにしっかりと捉えている人なんだろうなと読了後感じた。すごい。

小説家で文芸評論家の高橋源一郎さんが言っていたことなのだけれども、私や高橋さんのような宇佐美さんの親くらいの年代の者は、彼女が作家としての今後を最後まで見守り続けることはできない。本当にそれが残念で仕方がない。

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ブライトンの海辺。今だに映画やモッズ好きには「聖地」のようになっている。私も大好きでロックダウン以前はよく行っていた。早くまた訪れることが出来ますように。

坂本みゆき

在イギリスライター。憂鬱な雨も、寒くて暗い冬も、短い夏も。パンクな音楽も、エッジィなファッションも、ダークなアートも。脂っこいフィッシュ&チップスも、エレガントなアフタヌーンティーも。ただただ、いろんなイギリスが好き。

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