England's Dreaming

ロンドンの美術館で観る、ホックニーの「春の到来」。

ロイヤル・アカデミー・オブ・アートの「デヴィッド・ホックニー:春の到来 ノルマルンディ2020」は、ロックダウンが緩和されたら真っ先に見たいと切望していたエキシビションだ。

210708-david-06.jpg空の色、木肌の色、花と葉の色。絵の細部ひとつひとつが、春到来の喜びを表しているよう。

このタイトルと同じ2020年の春、最初の厳しいロックダウンでロンドンの街中へ出かけることがなくなっていた私は日々、努めて近隣の散歩をしていた。

そして、あちこちにたくさんの花や木があることに改めて気がついた。それからは何度も同じ道を通っては蕾から満開となっていく花の様子や、木の新芽が育って茂り、路上に影を作るようになるさまを眺めた。人通りの少なさをいいことに立ち止まって写真を撮ったりもした。

210708-david-05.jpg

210708-david-04.jpg

210708-david-01.jpg

210708-david-03.jpg昨年の春に特に目的もなく撮っていた写真。毎日、空もとても綺麗で、木や花とともによく見上げていた。

人間はウイルスに右往左往させられていても、こうして自然は過去同様に春を迎えているのだと感じて少し安堵したのを覚えている。ちょっと大げさだけれども、もしもこれらの木や花を知らずにいたら、私はあの頃をうまくやり過ごすことすら出来ずにいたかもしれないと思う。

---fadeinpager---

ホックニーは2010年に初めてiPodを手にして、以来「画材」として愛用している。昨年のロックダウンの最中に、彼は滞在していたノルマンディーの家でiPodを使い、広大な庭の春の情景を描いていることを、当時ニュースで読んで知っていた。その記事で紹介されていたそれらの絵は明るくて力に溢れていて、私は強く心を揺さぶられ、同時にとても励まされた。だからこの展覧会は、なんとしても見に行かなくてはと思っていた。会場で、大きく印刷された絵116点が壁いっぱいに並ぶさまを目にした時は感無量だった。

210708-key-03.jpgDavid Hockney, No. 133, 23rd March 2020  /iPad painting /© David Hockney

210708-key-04.jpgDavid Hockney, No. 186, 11th April 2020 / iPad painting /© David Hockney

210708-key-06.jpgDavid Hockney, No. 316, 30th April 2020 /iPad painting /©  David Hockney

---fadeinpager---

「春の到来」の情景は、時代を問わずアーティストたちにとって定番的な素材だ。でもホックニーはそんな凡庸になりがちなテーマを数枚の連作で終わらせるのではなく、晩冬から初夏までの長い年月をかけて追い続けて捉え、大量の作品群として描き切ることで他にはない圧倒的なものに仕上げている。

210708-key-09.jpgDavid Hockney, No. 88, 3rd March 2020 /iPad painting /© David Hockney

210708-key-02.jpg

David Hockney, No. 125, 19th March 2020 iPad painting /© David Hockney

210708-key-05.jpg

David Hockney, No. 259, 24th April 2020 /iPad painting /© David Hockney

---fadeinpager---

ホックニーが改めて春の訪れの素晴らしさに気がついたのは2002年だという。その時、彼はルシアン・フロイドの絵のモデルをしていて、フロイドのアトリエまで毎朝ロンドンのホランドパークを歩き、冬の木立が春の装いに移り変わっていくさまを目の当たりにしたのだという。その当時、彼が暮らしていたカリフォルニアでも春を告げる花などはあるけれども、ここまでドラマティックに感じたことはなかったそうだ。

それから20年近く経ったいまでも彼は、その時の想いを鮮明に記憶していて、目の前に広がる現在の春の情景とともに作品に昇華しているように感じる。まだ肌寒い頃に咲く水仙の花も、冷たい春の雨も彼の絵の中では生き生きと輝いていて、新しい季節への祝福に満ち溢れている。

私は昨年の春の自分の想いをそれらの絵に重ね合わせ、なぞるようにしながら鑑賞していた。

210708-key-01.jpgDavid Hockney, No. 118, 16th March 2020  /iPad painting /© David Hockney

210708-key-07.jpgDavid Hockney, No. 370, 2nd May 2020 / iPad painting /© David Hockney

210708-key-08.jpgDavid Hockney, No. 340, 21st May 2020 / iPad painting /© David Hockney

---fadeinpager---

特に好きだったのは、桜の花とさくらんぼの絵だ。

花をつけた桜の枝と、さくらんぼの成る枝だけを描いた数枚の絵は並んで展示されていた。花はやがて実になり、その種は芽を出して新たな木となっていく。そうして命は途切れることなく受け継がれていくことを訴えてくるようだった。

added0708.jpg
桜の花とさくらんぼの絵のカード。エキシビションを観たあとにギャラリーショップで購入した。

私が昨年繰り返し歩いた散歩道にも、歩道に張り出すようにして花をつける素晴らしい桜の大木を前庭に持つ家があった。散歩のたびに見上げながら、私は次にいつ帰れるか分からない日本の春を思い出していた。そして、それを真似するようにその秋には自宅のささやかなポーチに小さな桜の木を植えた。

210708-david-02.jpg満開の花をつけた桜の木を歩道から見上げる。散歩道でいちばん好きな場所だった。

世界中が死と直結したかのようなパンデミックで覆われて不安が溢れていても、ホックニーは命の象徴とも言える春の到来を喜び讃え、何百という絵を描いた。春がもたらす壮大な生命力。そして、それを全身で余すところなく受け止める巨匠の力強さ。私はただただ、そのふたつのパワーに圧倒されて呆然としながら美術館を後にした。

ホックニーがよく使う言葉に「ラブ・ライフ」というのがあるそうだ。人生を愛する。自分の人生を大切に生きていこうと改めて思った。

坂本みゆき

在イギリスライター。憂鬱な雨も、寒くて暗い冬も、短い夏も。パンクな音楽も、エッジィなファッションも、ダークなアートも。脂っこいフィッシュ&チップスも、エレガントなアフタヌーンティーも。ただただ、いろんなイギリスが好き。

ARCHIVE

MONTHLY

清川あさみ、ベルナルドのクラフトマンシップに触れて。
フィガロワインクラブ
Business with Attitude
2024年春夏バッグ&シューズ
連載-鎌倉ウィークエンダー

BRAND SPECIAL

Ranking

Find More Stories