England's Dreaming

限りない温かさで満たされた、英国家庭料理の本。

最近、日本から一冊の本を手に入れた。タイトルは『季節で彩るこころの食卓 英国伝統の家庭料理レシピ』(山形優子フットマン著、斎藤久美写真、いのちのことば社刊)。イギリスをベースに日本の媒体で書く仕事をする大先輩、ジャーナリストの山形優子フットマンさんの新刊だ。副題にある通り、イギリスの暮らしで日常的に食卓に並べる、お馴染みのお料理やお菓子の作り方24種を四季ごとに紹介している。

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手作りならではの心づくしを感じさせるアフタヌーンティーが表紙。私が初めてイギリスを訪れた時に訪問したご家庭で頂いたものを彷彿とさせる。『季節で彩るこころの食卓 英国伝統の家庭料理レシピ』(山形優子フットマン著、斎藤久美写真、いのちのことば社刊 ¥1,100

春はラベンダー・ショートブレッドやサーモン・パテ、夏はイートン・メス、コロネーションチキン、秋にはアップル・クランブルにシェパーズ・パイ、冬はトライフル・スポンジ、フィッシュ・パイなどなど。ああもう、私の好物ばかり!

自分でも数えきれないくらい作っているお料理やお菓子も含まれているけれども、ここでは山形さんならではのアイデアが楽しく、新鮮な発見がある。たとえばイートン・メスに使うメレンゲは「マカロンでも可」とあり、なるほどね!と思ったり。シェパーズ・パイの中身の味付けに「しょう油小さじ1」と見つけては、そうだよね、しょう油を入れると味が引き締まるのよね!と頷いたり。

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そしてこの本のもうひとつの魅力はレシピの間に挟まれた、お料理にまつわるエピソードを綴ったエッセイの数々だ。もともとこれらは、いのちのことば社というキリスト教系出版社が出している月刊紙で連載されていたものだという。だからエッセイは山形さんがロンドンで通う教会のこと、そこで出会った人々との思い出、キリストの教えなどを、山形さんの慈愛あふれる目で見つめて書かれたものとなっている。

どれもしみじみと温かく、時には涙目になりながら拝読した。そのなかで特に印象に残ったのは「祈りを込めた”チーズ・スコーン”」という文だ。コーンウォールのティールームで最上のスコーンに出会った山形さんは、その作り手リンジーさんに上手に膨らむコツを聞く。そして、それは焼く人の「自分の心のケア」と知る。

”「正直なもので、気持ちが沈むとスコーンも膨らない」と。(中略)「スコーンが膨らみますように」と願い、「海辺の空気を自分の心に通しながら、生地作りをするようになりました」という。願いは広がり「今日も無事に1日過ごせますよう。家族やロンドンの友だち、そして店に来る人たちが幸せになるように」と祈るようになりました。”(P52)

そうして焼くスコーンは、綺麗に膨らんで羽のような軽さだという。

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この本が私にとって大切な理由はもうひとつある。ページを飾る写真が斎藤久美さんによるものだからだ。

久美さんは私が駆け出しの頃からずっと、たくさんの仕事をともにしてくれたフォトグラファーだ。「フィガロジャポン」の仕事でも数えきれないくらい撮影をお願いしているから、ロンドンの記事で彼女の写真を繰り返しご覧になっていた読者も多いと思う。急な仕事の依頼でも無理ある撮影スケジュールでも、ひと言ふた言文句は言えども(苦笑)、決して手抜きはせずに美しい写真を仕上げてくれる、とてもとても頼りになる存在だった。

でも昨年のクリスマスイブ、久美さんは天国に旅立ってしまった。重い病気だったのに仕事仲間に知らせることなく、最後まで全力で写真を撮って、ロックダウンで会えない日が続くなか突然いなくなってしまった。

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この本の彼女の写真は、山形さんの文章に負けないくらい温かい。ファッション雑誌のために撮ったキレのある写真とはひと味違って、ずっと色褪せることがない、たおやかな優しさで満ちている。時代を超えて愛され続けるイギリスの家庭料理みたいに。「山形さんとのこの仕事、とても楽しいんだ。撮影のあとに美味しいお料理を食べられるしね」。何度か久美さんが笑いながらうれしそうに語っていたのを覚えている。

本のページをめくりながら、これらの写真を見ていると、微笑む山形さんの横で山形さんお手製の料理やお菓子を頬張る久美さんの姿が鮮明に脳裏に浮かんでくる。ともにテーブルを囲み、おいしいものを目の前に並べて、ふたりの心はきっと静かな凪のように、おだやかさで満たされていたのだろう。

一方、私はいまでもかつて久美さんと訪れた場所に行くと、その時のことを思い出して彼女がもうこの世に居ないことに茫然自失となってしまう。そして心の中で「なんで居なくなっちったの?」と何度も問いかけている。

毎日の暮らしのなかで、おだやかな心を持ち続けることは私にはまだまだ至難なのだ。だから私のスコーンは時には膨らまなかったりするのだけれども、時間とともに少しずつでも軽やかな味になっていったらいいなと考えている。

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この本のレシピで焼いてみた、大好きなベイクウェルタルト。近々スコーンにも挑戦してみようと思っている。膨らむといいな。

坂本みゆき

在イギリスライター。憂鬱な雨も、寒くて暗い冬も、短い夏も。パンクな音楽も、エッジィなファッションも、ダークなアートも。脂っこいフィッシュ&チップスも、エレガントなアフタヌーンティーも。ただただ、いろんなイギリスが好き。

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