35歳、シングルマザーのエディターが、パリに移住してみたら

私がパリに移住した理由。

こんにちは、鈴木桃子と申します。「35歳、シングルマザーのエディターがパリに移住してみたら」なかなかセンセーショナルなタイトルでブログを始めることになりました。

少し自己紹介させてもらいます。35歳、15歳の息子がいるシングルマザーです。フィガロジャポンの編集者で、今秋に息子を連れてパリに移住してきました。ちょっと(?)訳ありっぽいですよね。やっぱり、長めに自己紹介させてもらいます。

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大学2年生で結婚、20歳になってすぐ息子を出産。たまたま出産のタイミングが春休みだったのと、運良く大学内に保育園があったこともあり、休学せずに子育てしながら大学に通いました。

自宅でも仕事ができるライター業を目指し、編集部に出入りしたりしているうちに、就職活動で出版社に合格。ただ息子がいるとは言い出せず、初めの半年は息子のことを隠し通して出社していた記憶・・・。

その後、元夫が突然家を出て行き、20代半ばで離婚。実家の母が上京してきてくれ、しばらく開放感を楽しんでいたのですが、いろいろ任せきりの日々だったため、ある時、息子の私に対する態度が、母というより、遊んでくれるお姉さんのようになっているのでは、と思い始めました。しっかり母親に徹する時間をつくりたい、というのがいちばんの理由でしたが、
ずっと留学してみたかったというのと、自然がある環境で子ども時代をおくらせたいと思い、ハワイの企業採用を見つけて転職しました。

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ハワイでは約2年間、とても平穏で良い日々を過ごしました。息子は8歳から10歳まで現地小学校で過ごしたのですが、英語の習得はあっという間。すぐに友人と英語で会話し始め、私の発音の注意を始めるように・・・。また、すべての教科で同様に良い点数を取る必要はない、その子の良いところを見つけて伸ばす、という教育スタイルで、そんな、のびのびした雰囲気も合っていたのだと思います。息子の絵をたくさんの先生が褒めてくれ、ホノルル美術館のアートクラスにまで選出してくれました。英語があまりできない異国の子どもに、自尊心を損なうことなく、自分らしさを磨く機会を与えてくれるなんて素晴らしいですよね。

さて、私自身の話でいうと、ハワイの会社が途中で雲行きが怪しくなり、フリーライターとして日本から仕事を受けて暮らしていたのですが、ビザの関係上、帰国することになりました。そして日本に戻って3日後に行ったのは、フィガロジャポンの面接。面接では「まだ(肌が)黒くてすみません」と言って、失笑された記憶しかありませんが、採用してもらい、編集者として充実した6年間を過ごし、いまに至ります。

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いや、なぜ、それで、いまパリにいるんだ? ですよね。きっかけのひとつになったのは、日本に帰国後の息子の不登校でした。ハワイの学校には語学の壁を越えて、すんなりなじんだのに、日本で以前通っていた小学校に戻ったら、なぜ不登校になるのか?息子は友人とは遊んでいたのですが、その時の先生と相性が悪かったようで、「先生が決めたことに、なぜそれをしないといけないのか聞いても、理由が返ってこない」ということを何度も漏らしていました。そのうちに先生の機嫌を損ねて、きつく当たられることが増えていたようです。確かに「ハンカチとティッシュをポケット」「教科書はランドセルで毎日持ち帰りする」「シャープペンシルではなく鉛筆」をはじめ、よく考えたら、なぜ?誰が決めたの?というルールがたくさんある日本の学校。そして、そのルールを素直に受け止めて、従っていることが良しとされます。ハワイの学校から帰ってきた息子にとって、そんな環境はとても不思議なものに映ったのだと思います。この時に、息子は日本の教育にはあまりはまらないのかもしれない、と思い始めました。

その後、転校させたことを機に、息子は普通に学校に行くようになり、また中学校では良い先生に恵まれ、楽しく学校生活をおくることができました。でも大きくなるにつれて、やはり海外に連れ出したいという気持ちは増していきました。どの教科もバランスよくできるような器用なタイプではなく、得意なことと、得意ではないことに大きな差がある息子。ルールが苦手で、「なぜ?」と感じたら立ち止まってしまったり、じっくり向き合いたいものに制限を設けられると、何の力も発揮できなくなります。平均的に数字を取ることが良しとされる日本の教育では、ダメなやつになりがちです。

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思い起こせば、私も進学校の女子校で、周りはみんなキチンとしている子ばかりで、小さなことを指摘されては、「面倒臭いな、どうでもいいじゃん」と内心思いながら、自分を卑下して、ピエロになって笑いをとることも多かったように思います。何かができるとか、何かに長けているというよりも、何かを忘れたとか、何かに間に合わなかったとか、できることよりも、できないことが日本では、その子の人格を決めてしまいがちですよね。

そんなこんなで、やっぱり海外の教育の方が合っているのかもしれないという思いと、息子自身が、もう一度海外で勉強したいと言い出したことからパリ移住を決意しました。移住先をパリに決めた理由は、息子の将来を見据えて、ということもあります。

フィガロジャポンに入って、フランスの情報に触れる中で、私が最もフランスって良いなと思った部分は、フランス人の人生観でした。仕事だけでなく、プライベートやバケーションをしっかり取る。自分を大事に生きていて、考え方に柔軟性がある。私たちがルールを守ることで失ってしまっている、人間らしさや心の余裕がある。息子にはそんなフランス人の人生観に触れて、正しい生き方より、楽しい生き方を模索してほしいと思いました。

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不器用で繊細な息子にとって、日本で働くのは辛いことも多いと思います。もちろん、それは本人が決めることだし、良い仕事が見つかって、しっかりと勤められるかもしれません。でも、この場所しかない、という息苦しさを感じてほしくはない。いつか立ち止まってしまっても、パリの生き方に触れたこと、海外で暮らせる選択肢を頭に入れておくことは、いつか助けになるのではないかと思います。

また、もちろん私自身にとっても、良い機会になるのではないかと思いました。大人になってから、ずっと息子ありきの選択しかしてこなかったので、彼が成人した後、空っぽになってしまうのではないかという恐怖もあり、自分を見つめ直す時間になったらいいな、と感じています。

そんなこんなで、今秋、パリに降り立ちました。次回は、実際にどんなことから移住を進めたのか綴ります。

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鈴木桃子

パリ在住エディター、ライター。1987年生まれ。早稲田大学在学時、20歳で結婚&出産。出版社勤務を経て、離婚後に渡米。帰国後、2016年よりフィガロジャポン編集部のエディターとして勤務。2022年10月より、高校生の息子とともにパリへ移住し、フリーランスで活動中。
Instagram:@momoko____szk

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