
佳き日の台北レストラン。
母は5人兄弟
台湾の親族と食事に行くと決まって、大きな円卓のあるレストランで食事をする
5人全員は揃わずとも兄弟の子供や両親なども参加するので大所帯となる
円卓に並べられるのはまず前菜
大概は、大皿がひとつかふたつ
ひとつの場合は、時計回りに一人ずつ自分の皿に取り分けていくが、ふたつの場合は、等間隔で二人が取り分けていく
そのうち副菜、主菜の大皿がどんどん増えていき、最後のほうになると、残った大皿からもう一回食べたい料理を各々が取っていくのだが、どのタイミングで円卓を回すか
──間合いのセンスを問われるのである
お茶を取ろうとしていただけなのか、同じ料理を同時に取ろうとしないか、全員の目線から、次の一手を瞬時に把握する洞察力を存分に発揮しないといけないのだと子供心に云われぬプレッシャーを感じていた
間合いを読むことに失敗した場合、円卓が永遠に回り続け、無限∞に食べたい料理が通り過ぎていくことになる無限列車、いや、"無限円卓地獄"に堕ちることになる
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円卓の記憶を抱えたまま、約30年ぶりに従兄弟と再会した日
彼が案内してくれたのは、彼のオフィスがある台北101の85階、レストラン「85TD」だった
高速エレベーターで85階まで上がり、耳がキーーンと詰まった後に、目の前に広がったのは、淡い青に染まった台北の街
通された部屋に美しく設えられた円卓は、それだけでもてなしの心を感じさせて、親族の変わらぬ広い懐と続いている縁に安堵する
この日の料理は広東料理がベースとなっていて、目に美しく舌を躍らせる美食そのもの
共に"間合いの修行"を終えた従兄弟も円卓を回すタイミングは熟練たるそれで、お互い大人になったんだなぁ、と実感する
繊細でありながら、しっかりと芯を持った料理達
オクラ薪アワビ乗せ、酢豚にはバースーを添えて、蟹コロッケ専用のカニプレート、空気をたっぷり含んだわたあめを食べているような炒飯......
まったくもう素晴らしいので、85TDのコンセプトを調べてみると、芸術的な料理と台湾料理の融合らしい
芸術か......
思えば、私以外で芸術や古美術に興味がある人は家族にはいない
昔はそれをもの悲しく思っていた頃もあったが、誰にも触れられない世界で、私の心は自由だった
それぞれの趣味はばらばらで、共通の興味と言えば「食べること」だ
おいしいものを食べに行こうとなったときの団結力は凄まじく、一丸となる
台湾の親族も例外ではなく、ずっと"食"が私たちを繋いできた
ところが、デザートのマンゴースープに取り掛かる頃、
叔母が、「夫は半日かけて、故宮博物館の文化財を見続ける」と話し出した
ええ?
あゝやっと、
ここに私の遺伝子がいたじゃないか
一筆書きのようにぐるりとめぐる、インフィニティの軌道
まさかその交点で叔父と繋がるとは思っていなかった
離れていた時間を思いが、ひとつの輪になるような感覚だ
叔父は台湾家系の歴史も猛烈に詳しく、母の生家が国家文化遺産として登録されたことも教えてくれた
キュビズム母は「え〜そうなの〜」と全身で初耳感を出していて、ドン引きすると同時に母らしいと思った
叔父は穏やかに去年話したよ、と母に言っていたが、「そういえば聞いたような」と暖簾に腕押しである
呆れながら棗餅を食べていたが、今まで食べた中で1番好みだった。モッチモチの中に確かな歯応えがあって、棗の優しい甘さと風味がしっかりと訴えてくる
こんなことを書いていると、母に怒られそうなので、釈明を入れておく
母は深い愛の人であり、親族とのつながりをここまで大切にしてきたのは、
ほかならぬ母のおかげだ
食後、叔父は
「来年、生家を案内するよ
家系の歴史を辿る旅にしよう」と
もっと深く知りたかった、私の起点
85TDの円卓がぐるぐると回っている
人生って面白い
レストランって人の縁を結ぶんだ
次は彼らが日本に来たとき、とびきりおいしい円卓のあるレストランでもてなすつもりだ
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