Noism新作は『マッチ売りの話』×『passacaglia』
リーフレットを見たとき真っ先に思い浮かべたのは、雪が降り積もる街角で、身体を丸めてマッチの火をともしている少女の姿だった。なぜ今、金森穣がアンデルセンのこの哀しくも温かな物語を新作に起用するのか、何を伝えんとしているのか、興味とはてなマークで頭がいっぱいになった。そんな折、幸運にもNoismサポーターズUnofficialへの寄稿を依頼されたのでNoismの本拠地・りゅーとぴあ新潟市民芸術会館まで足を延ばしたのであるが―
リハーサル真っただ中の金森穣は開口一番「言葉にしてこの作品の内容を語ることはあまりに難しい」、と宣言。第1部で上演する『マッチ売りの話』はアンデルセンの『マッチ売り…』ではなく、劇作家・別役実の『マッチ売りの少女』をベースにしているのだという。別役実と言えばカフカ、ベケット、イヨネスコらのスタイルにつながるとも言われる日本における不条理劇の草分け。小劇場時代の先駆者として現在も若手の演劇関係者に影響を与え続けている。
金森「そもそも、アンデルセンの『マッチ売り…』も心温まる話、という風に片づけられる話ではないと思うんだよね。だって、誰も少女を救おうとしなかったから天国に召されました、って話でしょ」
一方、別役実の『マッチ売り…』ではつつましく暮らしている老夫婦の家に突然「私はお父様にマッチの売り方を教えていただき、何とか生き延びてきました」と娘を名乗る女が押し入ってくるところから物語が始まる。もちろん、女が売っていたのはただのマッチではないし、続いて女の弟までが登場して、老夫婦をうろたえさせる。かなりとんでもない展開なのであるが、老夫婦は良識ある市民である自分たちという立場を貫きたいが故なのか、そんなとんでもない話を受け入れてしまう。なんだか戦後の日本史と重なるものもあるという見方も多い。
Photo:Kishin Shinoyama
なぜ今『マッチ売り…』なのか
金森「最近の世界情勢だとか、政治だとか、犯罪だとか、そうしたニュース・話題に触れるたびにやるせなさを禁じ得ない。何千万年もの進化の過程とは比べものにならない程のわずか数百年の間に人間は思わぬ方向へ思想も身体も変化しようとしている、その端境期がいまなんじゃないか、そんな気がする。俺としては、このままそれが続けば、人間は絶滅するかあるいはまったく別の形になって進化を続けていくのではないか、そんな気がしてならない」
2014年の『箱入り娘』以来の近代童話劇シリーズとなるのだが、『箱入り…』のようなコミカルさはこの作品からは見えてこないだろう、と続ける。
金森「何かを破壊するようなことをクリエイティブとして堂々と行えるのは、時代に余力があるときの話。格差、貧困、紛争、そうした問題に社会が大きく揺れている今、純粋に舞踊だけを見せればいい、なんて俺には思えない。それができる人たちもいるのかも知れないけれど少なくとも俺は、世相と全く関係のないことに集中できないし、意識していないところでも世相から影響は受けている」
金森の作品にはその時々の世相の影響を受け、問題提示を行おうとするものが多かったが、今回はこれまでになく社会問題を鋭く切り取ったものに仕上がりそうな予感だ。
再演不可能!?
一方で、第2部の『passacaglia(パッサカリア)』はフランシス・ビーバーが作曲した「パッサカリア」と現代音楽家の福島諭によるオリジナル楽曲を使用し、創作した抽象作品である。ビーバーの「パッサカリア」は平均律の誕生の後に創作された宗教的な楽曲で、聖母マリアの秘跡を題材にした「ロザリオのソナタ集」の16番目に置かれた終曲である。金森はこの楽曲の中に、人間と言う存在の刹那を見出している。
金森「“平均律”という考え方が登場する前は、音はもっと複雑だったと思うんです。ドレミファ……に収まらない音がたくさん存在していた。しかし人間は平均律を定めることで人為的に音を支配してきたと、捉えることもできる。一方の福島諭さんの楽曲では、全く逆の取り組みとして、12音階に割り切ることのできない音が楽曲となっている。ビーバーの「パッサカリア」が人間の表面とするのならば、福島さんの楽曲では人間の生物としての内面を表現したい」
そもそも、人間は一人一人が違う個性を持っていて当たり前、という本質について、音からアプローチするのだ。
近代童話劇シリーズvol.1『箱入り娘』Photo:Kishin Shinoyama
金森「再演不可能、つまり今日の『passacaglia』は今日限りのモノ、最終的に上演した時にしか見出せないそういう作品にしようと考えている。舞踊は生身の人間が行うものだから、二度と同じ舞台にはならないのは当たり前だけれど、今のこの舞踊家たちでなければ表出し得ない風景や身体の表情にこだわり、振り付けの中に個々の舞踊家独自の癖や手足の指一本に至るまでの使い方を残すことにした」
振付には洗練された動線を、しかし細部の動きには生々しい個性を残した『passacaglia』。例えるならば平均律と言う枠組みの中に抑え込まれた“音”たちの生の声を垣間見ることにもなりそうだ。
これまで自然な進化によりゆるやかに進化してきた人間社会、文化。それが今、人為的に捻じ曲げられたまま猛スピードで変化へと進んでいることに、金森穣は危機感と不安を募らせているのだろう。
我々は今、どこへ向かおうとしているのだろう。
金森穣の鋭敏なアンテナがキャッチした現代をパッチワークのようにつなぎ合わせた新作二本立てに、そのヒントを探りたい。
http://noism.jp/npe/n1_match_passa_niigata/
●埼玉公演 2017 2/9~2/12
http://noism.jp/npe/n1_match_passa_saitama/
ARCHIVE
MONTHLY