Dance & Dancers

Dance & Dancers/浦野芳子

白河直子、6年ぶりに、大島早紀子作品をソロで踊る

「何が何でもみたい!」、しばらく手にしていなかった大切な本を

本棚の奥に見つけたような気持だった。

二人の名前は『H・アール・カオス』の活動を通して

知られているけれど、ここ数年、舞台からは遠ざかっていたからだ。

白河さんの体調が思わしくない、ということを風の便りに聞き、

ひょっとしてもうH.アール・カオスの作品を鑑賞できないのでは?

と危惧したファンも少なくはなかっただろう。

 

白河「2008年、愛知県芸術劇場で上演した『神曲』のとき、身体がどうにもならない状態で舞台に立っていました。満身創痍、という感じでしたから、

正直言って踊りを辞めた方がいいのかなと思ったくらいです。なぜなら、中途半端な身体で舞台に立っていても、いい作品なんて創れるはずがないから」

(2)白河直子顔写真.JPG

↑:白河直子

 

そこから、

徹底的に身体を建て直すことに集中する日々が始まった。

自分を"身体オタク"と呼ぶ白河氏は、

書籍、治療師・トレーナーらから解剖学的知識を吸収し、

さまざまな方法をかわるがわる試しながら

自分の身体と向き合ったという。

白河「マニアックな性質が役に立ちましたね(笑)。身体のとらえ方を方向を変えて実践していくことでどんどん新しい発見、新しい価値観に出合える。

実際、多くのアスリートたちも似たようなことを言っています。私自身、慣れるとマンネリして怠けてしまうから、攻めの姿勢でいろいろなトレーニングを試しました」

 

 

白河氏が治療に専念していたこの数年間、

演出・振り付けの大島早紀子氏も創作を休止していた。

大島「予め、(見えない力により)決められていたのだと思います。はい、この辺で一休みしましょう、と。白河さんの問題だけではなく、私にも必要な時間だったと思います」

 

H.アール・カオスは、大島氏が白河氏の身体性に惹かれ、

1989年に設立。テクニック的な超人性に加え、

何か崇高なオーラを放つ白河の身体性に可能性を感じたという。

独創的な演出、斬新な空間演出、アクロバティックな手法も交えながら

哲学的なテーマに向かう作品性は、

日本のダンスといえば舞踏系が注目されていた時代に、

日本のダンスがそういう枠組みから離れ、欧米のダンスカンパニーと並べて

注目される先駆けとなった。海外公演も多く行い、高い評価を得ている。

大島「白河さんを通して作品を創りたい、舞踊の恍惚感、身体の神聖性を表現できる人はこの人しかいない、そう思ったのが出発点です。

女性の身体は、一般的には性的なものとして消費・流通する。その中で、性を超えた神聖さを感じさせる彼女の身体性は特別です。白河さんは私にとって、巫女のような存在ですね」

(2)大島早紀子顔写真.JPG

↑大島早紀子

 

大島氏の作品には、哲学的、あるいは神聖なテーマが多い。

もともと彼女の中にそうした思考の種はあったと思うし、

だから白河と出会ったとも想像がつくが、

白河氏の身体性に触発されたことで

命の崇高さ、生と死、人とは何であるか、

そういう哲学的思考が深化していったのだろう。

自分たちの創るものが"コンテンポラリーダンス"と

呼ばれることに違和感を持っているのも、そうした思考につながる。

大島「白河さんの身体を通して伝えたい、表現したいと思うことを形にしているうちに時間が過ぎました。ダンスとしてこうありたい、

こうあるべき、などと考えていたわけではありません。そこだけは27年間、ブレていないですね」

 (1)カルミナ・ブラーナ 撮影:小熊栄.JPG

 ↑『カルミナ・プラーナ』 写真:小熊 栄

 

白河「やはり、大島さんの世界観はこれだったんだ、ということを改めて味わいながらリハーサルを重ねています。なんだかんだ言って私、

大島さんの作品を踊りたかったんですね。大島さんの作品はしんどいし、求められることも多い。正直言ってぶつかることもあります。

でも、踊り切った後の達成感、充足感は何物にも代えられない。舞台に立たなかった六年間たまっていた思いを解放でき、身体が喜んでいるのを今、感じています」

大島作品を踊ることで、

哲学的なことを自然と学んできた、人間とは何か、

感情とは何か、そして、生と死、そうした普遍的テーマを自らも

探求するようになったと白河氏。

今回の作品『エタニティ』、つまり永遠、という言葉が示唆するものは?

 

白河「人が、自分は生きている、と感じるのはこれまで生きてきた記憶があるからですよね。

それが失われそうになる恐ろしさ、不安について考えを巡らせていると本当に怖くなる」

人間は、身体というものを通して自らの存在を確認するものでもある。

白河「でも、例えば腕を失った人でも、以前そこにあった腕の感覚を記憶しているって言うじゃないですか。身体だけで存在しているわけではないのですよね。

むしろ記憶を失うことの怖さこそが、死の恐怖だととらえることもできます」

 (3)撮影:小熊栄.JPG

↑ 写真:小熊栄

 

大島「私たちは生まれた瞬間から"死"を分泌している。時間を使って生きていく、ということは自分の中の死を育てているようなものでもある。だから、

残りの時間が減っていく、ということに気づいたときに人は生きているということを意識し始めるのではないでしょうか。例えば、自由って、制約があって初めて

感じられるものですよね。ですから誰しも、自分の身体の有限性に気づいたとき立ちすくまずにはいられない。しかし、だからこそ散っていく命に美を感じるし、

何かを失うことで癒されたり、自分の存在というものを実感することもあるのだと思います」

『エタニティ』では、鞄を抱えた旅人が登場する。

何かに怯えるように、時には自信に満ちて強く、歩き続けながら

旅人は時折、鞄の中身を確認する。

中身は風に舞い上がったり、どこかへ持ち去られたり、

再び集められたりしながら、旅人を翻弄する。

 

大島「時間って、基本的に水平方向に流れて行くと思われていますが、それだけではないんです。ひとりひとり、そのときの精神の在り方・感じ方により、

深さを持った、つまり垂直方向の時間軸が現れる。そこにこそ有限性を超えた"永遠"が存在するのだと思います」

舞踊における感動とは、まさにそこに含まれるものを指すのではないだろうか。

"そこにある、目に見えている身体"を超えて

何か目に見えない大きな力、メッセージを受け取る瞬間。

消え去っていく刹那ではあるが、

それが記憶になれば永遠にもなる。

滅びていく瞬間の中に、永遠が生まれる。

(4)撮影:野波浩/提供協力:Bacchus.jpg

↑ 写真:野波 浩/提供協力:Bacchus

 

6年ぶりに大島作品を、しかもたったひとりで踊る白河氏。

白河「休んだから何かが大きく変わった、ということはあまりないですね。相変わらず今回も大島さんは厳しいですし。手の動かし方ひとつ、ものすごく細かく

チェックして注意されていますよ。でも、それを乗り越えてきたから今がある。彼女の厳しさは作品のため、そしてダンサーたちに恥をかかせないため、なんですね」

そして本番では、客席と一体になった場の力から、

思いがけないものが生まれることもある、という。

 

白河「大島さんの演出は空間、照明、細部に至るまでびっくりするくらい緻密に、こだわりが込められています。その空間の中にいると、

安心して自分をさらけ出すことができる。不思議です」

 

大島「言葉にできないものを作品として表現しているので、観てくださる方それぞれの感じ方をしていただきたいですね。

正解を求めて観る必要はありません」

 

ひとりひとりが持つ、それぞれの"垂直の時間"、つまり同じ時間の中に

異なる深さ・ベクトルの思考が重なることで

そこに多様な世界が誕生する、

劇場とはそういう場所なのだ。

 

そして、ダンサーはそのとき、

「鏡」となる。

白河直子の身体に自分の心を映して、

オリジナルの旅物語を創るのだ。

 

 

 

それぞれの才能を引き出し合う「ふたり」。

傷を舐めあうのではなくむしろ、鞭うちあい、鍛錬し合う関係。

それは、互いに対する絶対の「信頼」があるからできることなのだろう。

ふと、歴史に名だたる振付家と舞踊家の多くが、

そんな関係であることに思いが至った。

ひとり×ひとり=無限大。

人間にしか生み出せない、崇高な世界が現れる瞬間を見つめたい。

 

☆H・アール・カオス 白河直子ソロダンス『エタニティ』

7月1日(金) 19:30、2日(土)、3日(日) 17:00

愛知県芸術劇場小ホール 料金 一般\5,000

http://www.aac.pref.aichi.jp/dm/

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