「あなたが一番つらかったのは?」ソフィ・カルが描く、痛みと癒やしの物語。

Culture 2025.03.13

世界的アーティスト、ソフィ・カルが自身の失恋を題材に、他者の痛みと向き合うことで乗り越えたプロセスを描いた『限局性激痛』。本書は、読者にも「自分の痛み」を見つめ直させる芸術的アプローチが詰まっている。なぜ多くの女性が共感し、癒やされたのか? 本の魅力に迫る。

痛みを抱える女性たちを癒やす、芸術的なアプローチ。

文:住吉智恵/アートプロデューサー、ライター

『限局性激痛』

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ソフィ・カル著 青木真紀子、佐野ゆか訳 平凡社刊 ¥11,000

「他人の不幸は蜜の味」という言葉がある。心理学用語で「シャーデンフロイデ」と呼ばれ、人類が生存競争で生き残るために本能的に必要とした感情ともいわれるが、この本は、作者の不幸な失恋体験とそれ以上に重い他者の人生の苦しみ、それらの対比を通した彼女自身の治癒の物語だ。フランスを代表するアーティスト、ソフィ・カル(1953-)は、極めて私的な営みや他者との対話を通して、写真とテキストで詩的な物語を紡ぐ作品を発表してきた。この度、1999-2000年と19年の2回、原美術館で開催された同名の個展に合わせて出版された『限局性激痛』の完全邦訳版が刊行された。

前半では、現代美術家として歩み出したばかりのソフィが年上の恋人の反対を押し切り(半ば彼の気持ちを試す賭けに出て)、1985年に日本で3カ月間の滞在制作を行った後、インドで落ち合うはずだった彼にすっぽかされて別れを悟るまでが描かれる。後半ではパリに帰国後、厄払いのため自身の苦しみを語ることを決めた彼女は、話し相手になってくれた友人や偶然出会った人に「あなたがいちばんつらかったのはいつですか?」と尋ねる。より深刻な問題で重い不幸を抱えた人々と向き合うインタビューを通して、「自分の不幸のほうが軽いと思えた」という彼女の独白は次第に端的かつシニカルなサバけたものになっていく。自身の痛みを捉える感情や解釈から一歩距離をとって観察し、自ら相対化・普遍化していくその成熟したアプローチはソフィ・カルの芸術的態度を象徴するものだ。

本書とその展覧会は世界でも特に日本で人気があり、同じような経験により痛みを抱える多くの女性の共感を呼び、彼女たちにとっても癒やしになったとソフィ自身も語っている。こうして作品の評価が鑑賞者の想像力とエンパシーに委ねられ、他者の物語として描かれていく豊かな効果こそ、芸術が社会に贈ることのできる密やかなギフトである。

Chie Sumiyoshi
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代よりアートジャーナリストとして活動。現代美術とパフォーミングアーツの企画を手がける。カルチャーサイトRealTokyoディレクター。

*「フィガロジャポン」2025年3月号より抜粋

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