私たちはどうして、ホラー映画を観たくなるの?
Culture 2018.11.26
私たちはなぜ好き好んで、恐怖や不安に怯えながら映画を観るのだろうか? 精神分析学者と映画専門家が回答する。
アンディ・ムスキエティ監督作品『IT⁄ イット“それ”が見えたら、終わり』(2017年)では、ピエロが恐怖を撒き散らした。photo:© Capital Pictures/amanaimages
「人間の感情の中で最も強いものは、恐怖の感情です。あらゆる優れたスリラーは本質的に、意地悪な狼の存在を一瞬信じさせる力を持っているものです」―ー1987年11月16日、映画監督ジョン・カーペンターは英『タイム』紙でそう語っている。なぜ人は怖いものが好きなのか、その謎に迫ってみよう。
快感や満足感をもたらすホルモン。
恐怖は自然な感情だ。日常生活の中では、危険が差し迫ると生存本能が働いて警戒態勢を整える。そのために恐怖の感情が生じる。「恐怖を感じるということは、生命体の警報システムがきちんと機能している証拠です」と、精神分析学者のローラ・ジェランは説明する。恐怖を感じている時には、「エンドルフィンやアドレナリンといったホルモンが分泌されます」。
こうしたホルモンは恐怖を乗り越える手助けとなる。ひとたび恐怖の感情が去ると、「非常に中毒性の高い満足ホルモン、ドーパミンが分泌されます。これはまさに恐怖の報酬と言えます」と精神分析学者は続ける。恐怖を乗り越えた満足感から、快感が得られる。とはいえ、恐怖に対する反応には個人差がある。「あまりに怖がりで、こうした映画を観たがらない人もいます。あるいは、恐怖を克服したという満足感を得たいがために、ホラー映画マニアになる人もいます」。
「死にまつわる表象を映画館のシートや自宅のソファに座って見ることは、死を飼い慣らし、死に勝利することでもあります」と解釈するのは、古典的ハリウッド映画の専門家で、パリ西ナンテール大学名誉教授、ドミニク・シピエールだ。「死を反復することで、死を殺すのです」
生きている実感を得る。
いま問題にしているのは、“自発的な”恐怖と言われているもので、“現実的な”恐怖のことではない。「紛争地域で生活していたり、日常的にテロの危険に晒されているような時には、誰もそうした恐怖を敢えて求めたりはしません」と精神分析学者のジェランは語る。
非現実的なものとわかっている恐怖を感じることは、本当の不安を忘れるための効果的な方法でもある。1時間半、映画に注意を向けている間、私たちは実生活で抱える問題から切り離されている。もちろん、危険な状況に身を晒しながら、一切リスクを冒していないということもある。「映画の最後には、恐ろしい怪物はみな罰せられるとあらかじめわかっているのです」とシピエールは解説する。
「ホラー映画を観ることは、生きている実感を得るひとつの手段です。ホラー映画を見ていると強烈なスリルを覚えるわけですが、そうした感情を乗り越えることが、自分に自信を持つきっかけになるのです」とジェランは言う。
この現象は特に、2~3人のグループでホラー映画を観ることが多い思春期の若者たちにとって、魅力的なもののようだ。「グループで恐怖に立ち向かうことで、興奮がより掻き立てられるだけでなく、強い感情を共有することになります。同じ体験をすることは、グループの団結力を強くすることにつながります」
恐怖感や不安感を煽るギミック。
偉大な映画監督たちは、観客の感情を操ることに長けている。彼らは、驚きとサスペンスという、恐怖を引き起こすふたつの手段を巧みにコントロールしているのだ。
驚きとは、「怪物の姿が見えていて、怪物と真正面から向き合う時」とシピエールは指摘する。一方のサスペンスは、「どこかに何か怪物的なものがいるのがわかっているのに姿が見えない、という時。観客自身が恐怖の感情を作り出し、組み立てているのです」。また、これが最も恐ろしい話かもしれないが、ジェランは次のように付け加えている。「何よりもいちばん怖いのは、人が頭の中で想像することです」
音楽と静寂のコントラストが、音響レベルでこうした恐怖感を生み出すのに重要な役割を果たしている。加えて、悪をどのように具現化するかという点でも、恐怖感を掻き立てるために“コントラスト効果”が利用されている。映画の中ではしばしば、オルゴールなどのささいな物が恐怖の対象になる。シピエールは、スティーブン・キングの小説『IT』を映画化した『IT⁄ イット“それ”が見えたら、終わり』を例に取って指摘する。「ピエロは子どもにとってとても親しみやすい対象です。しかし、映画ではそれが絶対的な恐怖を体現するものとなっているのです」
texte:Agathe Hakoun (madame.lefigaro.fr)