偉大なる写真家ピーター・リンドバーグ、ヒューマニストの足跡。
Culture 2019.09.05
9月3日火曜日、74歳で亡くなったピーター・リンドバーグ。私たちに大きな遺産を残した写真家による、独自のスタイルを貫いた数多の写真の中から、モード史に刻まれる5点のポートレートに焦点を当てる。
9月3日、74歳で亡くなったピーター・リンドバーグ。(フランス・パリ、2014年9月25日)photo:Getty Images
「完璧と若さという独裁から女性たちを解き放つために、私たち写真家は存在するのだ――と私は何度も繰り返してきました。業界には業界の仕事があり、売るべき商品があるけれど、だからと言って全員がそれに従う必要はない」。2016年、ドイツ人写真家ピーター・リンドバーグは、ロッテルダムで行われた回顧展に際して『ル・モンド』紙に語っている。彼はフォトショップの使用に激しく反対し、人の手を加えないそのままの美を讃えた。彼の視線が20世紀で最も光を宿していたのは、彼が何よりもまず、ヒューマニストだったからだ。
「フォトショップ? 文明の終焉だ」
彼にとって、すべては被写体との交流だった。目の隈にも美があり、シワのよったお腹にも美がある。要するに、母を、姉妹を、友人を思う心の中や、愛情を持った眼差しが捉えるものの中に、美はあるのだ。ファッション業界の中にありながら、彼がモードについて語ったのは優しい言葉ばかりではなかった。「ものを食べ、飲み込み、反芻してまた同じものを噛み直し、また繰り返す」と、牛と比べたりしている。彼の写真には、感受性と本物への礼讃があった。フォトジャーナリズムやドキュメンタリーにインスパイアされ、モデルや女優、何よりも女性たちのパーソナリティを、モノクロームで、光と影で見せようとした。スーパーモデルたちのデビューから、ピレリのカレンダーの写真まで、リンドバーグの代表作といえる5作品にフォーカスする。
---fadeinpager---
1.白シャツのモデルたち/1988年
美しく、微笑みいっぱい。白いシャツだけ着ること。それがリンドバーグの注文だった。1988年1月、カリフォルニアのサンタ・モニカ・ビーチで戯れるこの6人の女性たちは、まだ一般には無名だった。そして、この年の終わりには世界一有名なモデルになる6人。なんでもないように見えるが、凝りに凝った美意識と贅沢な演出に慣れたモード写真にとって、革命となった1枚だ。それまでいちばんの主役だった洋服というものを、ほとんど何も着ていないことの衝撃。
この写真が印刷されるまでには、数カ月が必要だった。当時の『ヴォーグ』誌の編集長だったグレース・ミラベラが掲載を拒否したからだ。彼女は後に免職されるが、写真は英『ヴォーグ』誌に売られることになる。無修正のこの写真で、リンダ・エヴァンジェリスタ、カレン・アレクサンダー、クリスティ・ターリントン、エステル・ルフェビュール、タチアナ・パティッツ、レイチェル・ウィリアムズは、引っ張りだこのモデルになる。そして“ポートレート”モード写真家リンドバーグのキャリアも爆発することになる。
---fadeinpager---
2.英『ヴォーグ』、スーパーモデル誕生/1990年
1990年の最初の号で、英『ヴォーグ』誌の編集長リズ・ティベリスは、90年代の新しい顔というテーマをリンドバーグに依頼する。彼の答えはこう。ひとりだけというわけにはいかない。彼のリアリストな視点からすると、美は一意的ではありえない、と。そこで、ナオミ・キャンベル、タチアナ・パティッツ、クリスティ・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタとシンディ・クロフォードが1月号の表紙をともに飾ることになった。瞬く間に有名となったこの写真によって、彼女たちはスーパーモデルの殿堂入りを果たした。
---fadeinpager---
3.『ハーパーズ バザー』、ケイト・モスのアンドロジナスな美/1994年
スーパーモデル全盛期の1994年。数年前に『ザ・フェイス』誌の表紙に登場していた小枝のような女の子が、背の高いモデルたちの中で異彩を放つ。リンドバーグは、ケイト・モスのアンドロジナスな素材に、素晴らしい素質を見出した。メイクは抑え、くしゃくしゃの髪にシンプルなサロペットだけを着せて。この写真は注目を浴び、ケイトは翌年のモデル・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。ケイトはその後何度も、リンドバーグとセッションを行っている。たとえば2015年、41歳で伊『ヴォーグ』誌の表紙に。もちろん修正はなし。リンドバーグは女性たちを、その年齢ごとに美しく捉えた。
---fadeinpager---
4.「ピレリ・カレンダー」、素顔の女優たち/2002年&2017年
モードと写真の愛好家にとって別格の存在である、「ピレリ・カレンダー」。1964年以来、イタリアのタイヤメーカー「ピレリ」は、著名な写真家を迎えて崇高な女性たちが登場するカレンダーを発表している。リンドバーグにとってはあまりに無傷で個性のない仕事だったのだろう。1996年に一度仕事をしているが、2002年には伝統を壊して、モデルではなく女優たちを被写体に選んだ。目的は? 彼女たちのパーソナリティに光を当てるためだ。以来、女優たちはピレリ・カレンダー、別名「ザ・カル」に定期的に登場するようになる。リンドバーグはザ・カルへの協力回数記録を保持しており、2017年にもこの上なくセンシティブなポートレート集を撮影している。
---fadeinpager---
5.伊『ヴォーグ』、ジャンヌ・モロー/2004年
リンドバーグは女優たちを愛し、女優たちもそれによく応えた。2004年には、伊『ヴォーグ』誌のために、かのジャンヌ・モローの表情を捉えている。2008年、彼女はリンドバーグが共同監督を務めた映画『Everywhere at once』のナレーションを手がけている。彼の写真と、トニー・リチャードソンの監督作品『マドモアゼル』(1966年)の抜粋とを交えた映画である。2018年7月、リンドバーグはラジオ「フランス・アンテール」で、思い入れのあるこの写真について説明している。「この写真は自分の本の表紙にしたいと思っていたんです。彼女の家に行って、写真を見せて、こう言いました、『ジャンヌ、僕には修正ができないから、このままにするしかないよ』。彼女は私の手の上に自分の手を重ねて、あの声で、僕を見つめて、こう言ったんですよ。『でもね、ピーター。一体何を修正したいの?』と」
texte : Charlotte Arnaud (madame.lefigaro.fr)