ナンシー・ペロシ、ワシントンで最も有力な80歳の民主党議員とは?

Culture 2021.01.25

1月3日に行われたアメリカ下院議長選挙で、ナンシー・ペロシは僅差で再選を果たし、4期目を務めることになった。トランプ政権下で反対勢力のトップとして活躍した、ワシントンで最も力を持つ民主党議員の横顔を紹介する。

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トランプ大統領の罷免に向けた調査に着手したアメリカ合衆国下院議長。(アメリカ・ワシントン、2019年9月24日)photo : Abaca Press

1月3日、アメリカ合衆国下院議長に再選を果たしたものの、自党内で全会一致の支持を得たわけではなかった。80歳、民主党のナンシー・ペロシ議長は216票を獲得して、209票を集めた共和党のケヴィン・マッカーシーを破り、4期目の続投を決めた。共和党は全員がマッカーシー候補に投票したのに対し、民主党は5人の議員がペロシから離反。とはいえ引き続き2年間、議長として職務を遂行することとなった。前任期中はトランプ前大統領反対派の急先鋒として注目を浴びた人物だ。

2019年9月24日、彼女はトランプ大統領の罷免に向けた最初の手続に着手した。「大統領は責任を果たさなければならない。何人たりとも法を免れることはできない」。大統領に対する弾劾調査の開始を発表した際、ペロシは会見をこう締め括っている。トランプ大統領がジョー・バイデンに不利となり得る情報を入手するためにウクライナ政府に協力を求めたかどうかを検証するため、下院の6つの委員会によって調査が行われることになった。バイデンは当時、2020年の大統領選挙に向けた民主党候補者指名争いの有力候補。その後バイデンが大統領選を制したのは周知の通り。一方のトランプ前大統領はこの時、罷免を免れている。

抗議のジェスチャー

2019年2月4日、恒例の一般教書演説に臨むトランプ大統領がこの弾劾手続の主導者である民主党のペロシ議長との握手を拒んだのも、両者の緊張関係が背景にあった。抗議の印としてペロシは大統領に対し、あからさまな不賛成の態度を示してみせた。大統領が上下両院合同会議での演説を終えると、大統領の背後に立っていた民主党リーダーのペロシは教書の原稿と思われる紙片を引き破ったのだ。

この時はアレクサンドリア・オカシオ=コルテスをはじめ、民主党急進派の多くの議員がボイコットを表明し、演説を欠席した。弾劾手続の開始が発表される数ヶ月前から、急進派はトランプ大統領に対する調査を要請していた。しかしこの意見は多数派の賛同を得られず、論争好きのペロシ議長も党内の弾劾支持派を必死で抑えていたが、最終的に権力乱用及び議会の活動に対する妨害を理由に調査着手に踏み切った経緯がある。

”憎しみの銅像”

2020年の春、同年5月25日にミネアポリスで起きたジョージ・フロイド事件の余波が続く中、ペロシは再び大統領と対立した。逮捕時に警察官から受けた暴行でアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが死亡したこの事件をきっかけに、人種差別に対する意識は世界中で高まりを見せていた。フロイドの葬儀前日の2020年6月8日、ペロシと民主党上院議員数人は連邦議会議事堂内の黒人奴隷記念ホールに集まり、跪いて追悼を捧げた。これは警察官による人種差別を理由とする暴力への抗議を象徴するポーズで、ペロシと上院議員はアフリカの伝統的な柄の布をまとって連帯を強調した。しかしこのことで議員らは「文化を横取りした」として批判を受けることにもなった。

2日後、アメリカ南部連合の将官の名前を冠したアメリカ軍基地の名称を変更しようとする提案を、トランプ大統領が「(彼らは)アメリカの偉大な遺産」の一部であるという理由で却下。ペロシは連邦議会議事堂から南部連合の将官や兵士を象った11体の銅像を撤去するために措置を取るべきだと議会に呼び掛けた。

「これらの銅像が讃えるのは憎しみであり、遺産ではない。撤去すべきだ」と、銅像管理を担当する委員会に宛てた書簡でペロシは訴えた。一方、ジョージ・フロイドの死によって抗議運動が多発し、人種主義や差別を助長したという理由で、世界各地で多くの歴史的人物の像が引き倒される事態が発生したのはご存じの通りだ。

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”相手の息の根を止めるタイプ”

ペロシはすでに2007年~2010年にも同議長を務めている。女性がこの重要なポストに就くのはアメリカ史上初めてのことだった。2019年1月3日、カリフォルニア選出の民主党議員ナンシー・ペロシは、「ニューヨーク・タイムズ」紙によれば、共和党が擁立するケヴィン・マッカーシー候補を220票対192票で抑えて、下院議長の座に復活した。

この時の当選後、子どもや孫たちに囲まれ、ペロシ議員はこう語っていた。「幻想は抱いていません。私たちの仕事は簡単ではありません。しかし意見が対立した時も、お互いを尊重しあい、真実を尊重することを約束します」。大統領と副大統領に次ぐナンバー3の要職である ”スピーカー”(合衆国下院議長の呼び名)にペロシが就任したのはまさに、メキシコとアメリカの国境の壁の建設予算をめぐって、アメリカ議会がトランプ大統領と激しく対立していた時期だった。

当時、トランプ大統領と未来の下院議長との関係には、気を緩めたほうが負けという緊張感が漲っていた。「ナンシー・ペロシの反対側に賭けて勝った者はいない」と娘のアレクサンドラはアメリカのテレビ局CNNで語っている。「相手が血が出ていることにさえ気づかないうちに相手の息の根を止めている、そういうタイプ」と娘は冗談交じりに発言している。ペロシには経験という強みもある。下院議員15期目となるペロシは、これまでにジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマのふたりの大統領の下でスピーカーの役職を務めているのだ。確かに、トランプ大統領との闘いはそれとはまた違ったが。

”もし私が無能だったら、誰も私を批判したりしない”

そうした経歴にもかかわらず、共和党支持者の中には彼女を評価しない人も多い。彼女の「尊大さ」と、父親と兄弟も政治家(ボルチモア市長で、メリーランド州選出の下院議員も務めた父は、ルーズベルトとケネディ、ふたりの大統領と緊密な関係にあった)というアメリカのエスタブリッシュメントを象徴するそのイメージが、共和党員の間で不評を買う要因となっているようだ。民主党内からも、ときおり反乱の声が上がることがある。2018年11月19日には、民主党の下院議員16人が連名で、新しい若い党首(つまり、ペロシより若い人という意味だ)を選ぶ時期が来たと訴える書状を発表したことを「エコノミスト」紙が報じている。例えば、その10日前にニューヨーク州から下院議員に選ばれたアレクサンドリア・オカシオ=コルテスのように。

どれだけ批判されようが本人は意に介さない。雑誌「エルUS」のインタビューで、ペロシは「憎まれている」というより「敬意を払われている」と感じると述べている。「もし私が無能だったら、誰も批判したりしないでしょう」。その能力はオバマ元大統領のお墨付きだ。元大統領は中間選挙の後に「アメリカ史上最も有能な議長のひとり」と讃辞を送っている。

議員活動の集大成

彼女がこうした道を歩むことになろうとは誰も予想していなかった。ナンシー・ダレサンドロは、1940年3月ボルチモアに生まれた。5人の兄を持つ6人兄妹の末っ子としてカトリックを信奉するイタリア系家族のもとで育つ。ワシントンのトリニティ・カレッジで政治科学を専攻し、1962年に同学を卒業。同じ時期に「サハラ以南のアフリカの歴史」と題された夏期講習で、ポール・ペロシと知り合った。1年後、ふたりは結婚し、サンフランシスコに居を構える。夫は不動産業と金融業で財を成し、彼女は5人の子どもの教育に専念した。政界進出は遅く、代議院に初当選を果たしたのは47歳のときだ。「ワシントン・ポスト」紙によると、当選前の数年間、メリーランド州選出のダニエル・ブルースター上院議員のもとで修業を積んだという。

現在、ペロシは移民の権利、性的マイノリティの保護、中絶の自由化のために奮闘を続けており、議員活動の集大成にふさわしい活躍が期待される。これまで彼女の任期中に下院ではいくつもの法案が採決された。2008年に起きた金融危機に対処するためのプログラム”ポールソン・プラン”や、2010年の医療保険制度改革”オバマケア”もそのひとつだ。アメリカ政治界で成功するために、ペロシはあえて「鎧に身を固め」、進んで「攻撃を受ける」。2019年12月11日にトランプ大統領と対決した時に彼女が纏っていた鎧はマックス・マーラだった。

texte : Mooréa Lahalle (madame.lefigaro.fr)

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