ケネディ大統領夫人は、未来の不運を予感していた?

Culture 2021.05.17

マリリン・モンロー、宿命的な不幸、ジャクリーン・ブーヴィエへの「挑戦」...。2020年4月に刊行された『ザ・ハウス・オブ・ケネディ』で、筆者のジェームズ・パターソンは、他にはないこの一族に入った亀裂について調べ上げた。そして、米元大統領とその妻ジャッキーのなれ初めについても触れている。

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ジャッキー・ケネディは、ジョン・F・ケネディと結婚したらどんな未来が待っていのか、知っていたのかもしれない。(ワシントン、1963年5月28日)photo : Abaca

ジャクリーンとケネディは、1952年、記者のチャールズ・バートレットとその妻マーサの紹介で知り合った。

2020年にアメリカで出版された『ザ・ハウス・オブ・ケネディ』の中で、ジェームズ・パターソンは、後にジャクリーン・ケネディ・オナシスとなるジャクリーン・ブーヴィエとジョン・フィッツジェラルド・ケネディのなれ初めについて再検証している。

当時JFKは、若き上院議員でしかなかった。ジャクリーンもまだ若く、ワシントン・タイムズ・ヘラルド紙で記者として働いていた。途端にケネディに首ったけになったジャクリーン・ブーヴィエだったが、この政治家の危険なうわさも把握していた。「この出会いはその後の2人の関係のきっかけとなったが、ジャッキーは後に『こんな風に深く傷付けられても、それだけの価値がある』と感じたと告白した」という。

JFKに関しては、この女性記者を口説き落とすことを「挑戦」と見なしていたかもしれない、とケネディ一族の友人レム・ビリングスは語る。「そしてジョンが、挑戦以上に愛したものはなかった」とも。

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マリリン・モンローは「第二のケネディ夫人」?

ふたりはその後、大統領選を勝ち取り、ジャッキーの2度の流産はあったが、1957年に誕生したキャロラインと1960年に誕生したジョン・ジュニアという2人の子どもを一緒に育てた。

1963年、JFKが暗殺された後、ジャクリーンは1968年10月に億万長者のアリストテレス・オナシスと再婚。1994年、64歳でがんのため息を引き取った。その5年後、息子のジョン・ジュニアは、妻のキャロリン・べセットと義姉ローレンとともに飛行機事故で他界した。

一族のその他の不運について、ジェームズ・パターソンはこの著作の中で、ジャクリーン・ケネディがファーストレディとしてホワイトハウスに君臨していた頃に、彼女とマリリン・モンローの間で交わされたであろうやり取りに触れている。

彼女の伝記を著したジェームズ・スパダが2012年にピープル誌に明かしたように、JFKと弟のボブ・ケネディと関係を持ったとされているモンローは、「第二のケネディ夫人」になると主張していたと言われている。その言葉が『ザ・ハウス・オブ・ケネディ』の中で引用されている。

「ジャーナリストのクリストファー・アンダーセンによれば、ジャッキーは皮肉を込めて『マリリン、ジャック(*JFKの通称)と結婚するのね、素晴らしいわ。ホワイトハウスに引っ越して来たら、私がここを出ていくわ。それであなたはあらゆる問題を引き継ぐのよ』と彼女に答えた」こともジェームズ・パターソンは伝えている。

『お熱いのがお好き』(1959年)のヒロインは、記者会見で当時の大統領との関係を暴露すると脅したとされているが、その機会は訪れなかった。不可解な状況のもと、彼女は36歳で亡くなることになる

texte : Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr), traduction : Yuriko Yoshizawa

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