読者から寄せられた悩みに、かつて『週刊プレイボーイ』を100万部売った“伝説の編集長”島地勝彦が答えます。
Q.字がきれいに書けず、 見られるのが苦痛です。
おしゃれも美容も大好きです。でも、子どもの頃から字が汚いことがコンプレックスです。きれいに書こうと思っていても、走り書きのようになってしまいます。とても女子の文字とは思えない筆跡です。メールでのやり取りが増えたいまでも、書類や宅配便の送り状は手書きで書かねばならず、書いた文字を人に見られるのが嫌で仕方ありません。手書きのメモを覗かれるのですら苦痛です。なんとか改善しようとペン字を始めたこともありますが、大人になってから書き癖を直すことは難しく、なかなかうまくなりません。どうしたらいいのでしょうか?(33歳 /会社員)
photo:MIREI SAKAKI
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A.相談者がコンプレックスに悩んでいることに大いに共感します。
わたしは幼い頃からおしゃべりで目立ちたがり屋だったにもかかわらず、実は吃音なのです。カ行とタ行で始まる言葉がうまく出てきません。素敵なレトリックが浮かんでも、それを発することができず、残念ながら言葉が舌の上で死んでいってしまうのです。
でしかし、小学生の頃に類語辞典の存在を知り、“ためらう”は“逡巡”に、といったように、カ行、タ行の言葉を別の言葉に言い換えてしまえばいいのだと閃きました。カ行から始まる自分のカツヒコだけは避けようもないのですが、こうして私はこの難を克服しました。わたしはさらに言語表現の豊かさに目覚め、辞書をむさぼるように読みふけり、語彙を増やすことに熱中しました。この経験がなければ、のちに編集者という職業は選ばなかったことでしょう。コンプレックスは、ときに武器に変わることもあるのです。また、相談者には、文字の形に正解はないのだということも知っていただきたい。教科書通りに字を書けることも一つの個性ではあります。しかし“習字”という言葉が示す通り、綺麗な字というのは習ったものに過ぎないのです。教科書の字体に近づくほど、オリジナリティは失われてしまうとも言えるでしょう。わた しの字をご覧ください。決して美しい文字だとは思いません。親からもらった習字教室の月謝を握りしめ、そのまままっすぐ映画館に通うような悪童でしたから無理もありません。しかし、これは自分にしか書けない味のある文字だと自負しています。編集者時代に、世に知られる作家の生原稿をたくさん見てきましたが、習字のような美麗な文字を書いていた人などほとんどいませんでした。しかしどの作家も、原稿を見ればすぐに誰のものかわかるくらい、個性的な文字が原稿用紙のマス目に躍っていたものです。
ちなみに二度も総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信は、達筆の学友に嫉妬して生涯字を書かないと心に誓ったそうです。筆記はすべて秘書に行わせていたので、本人直筆の書面は現在、ほとんど残っていません。失礼を承知で申し上げるならば、21世紀を迎えた今日において、字が汚いことに悩む相談者は、いささか時代錯誤なのではありませんか?きっと相談者の手許にはスマホがあるでしょう。大隈重信のように秘書を雇わなくても、最新鋭の文明の利器が代筆してくれるではありませんか。

1941年生まれ。『週刊プレイボーイ』編集者として直木賞作家の柴田錬三郎、今東光の人生相談の担当者に。82年に同誌編集長に就任、開高健など人気作家の人生相談を企画、実施。2008年からフリーエッセイスト&バーマンとして活躍。現在は西麻布『Authentic Bar Salon de Shimaji』でバーカウンターに立ち、ファンを迎えている。