R・ストーンズのチャーリー・ワッツ、57年にわたる愛妻との物語。
Culture 2021.09.10
8月24日ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツの死が発表された。公開されている最後の写真の一枚には、妻シャーリ・アン・シェパードの横で満面の笑みを浮かべるチャーリー・ワッツの姿がある。57年間、ワッツは彼女だけに揺るぎない愛を注いだ。ロック(岩)のように硬い絆で結ばれて。
ミック・ジャガーの娘、ジョージア・メイ・ジャガーの洗礼に出席したチャーリー・ワッツとシャーリ・アン・シェファード。(1992年リッチモンドにて) photo:Getty Images
ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツの死が8月24日に公表された。彼を追いかける大勢のグルーピーを追い払い、57年以上続いた結婚生活の中で妻シャーリ・アン・シェパードへの愛を貫いた。公表されているワッツ最後の写真の一枚は、2020年5月、慈善イベントで撮影されたもの。そこには妻の横で顔を輝かせているワッツの姿がある。ストーンズが成功を収める前から続く永遠の愛を物語る一枚だ。
It was said they talked on the phone everyday, no matter what or where in the world he was. Condolences to Shirley Ann Shepherd and to the Rolling Stones family. Rest in beats, Charlie Watts. #RIP pic.twitter.com/KNiYvIAE2p
— Denise Sullivan (@4DeniseSullivan) August 24, 2021
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煌びやかな世界から離れて
チャーリー・ワッツとシャーリ・アン・シェパードが結婚したのは1964年。当時彼女はロイヤル・カレッジ・オブ・アートで彫刻を学ぶ美大生だった。その年にローリング・ストーンズは突然の大成功を収めた。ミック・ジャガーとキース・リチャーズは夜遊びに余念がなく、煌びやかで退廃的な暮らしを送っていた。しかしワッツが選んだのは目立たなく生きることだった。
ツアーに出るとワッツは必ず毎日妻に電話し、彼を取り巻くモデルやグルーピーたちを追い払い続けた。1972年にプレイボーイ誌の創設者ヒュー・ヘフナーの邸宅“プレイボーイマンション”に招待された際、ワッツはただひたすらゲーム室で過ごしたとロバート・グリーンフィールドは2002年に出版された著書『STP: A Journey Through America With The Rolling Stones』に書いている。
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「ロックスターっぽくない」
シャーリ・アンとの結婚生活が54年を超えた頃、チャーリー・ワッツはNMEのサイトで結婚が長く続いた秘訣は自分の控えめな性格にあると語っている。「僕にはロックスターっぽいところがない。その資質がないんだ。自分で運転できないクラシックカーを4台も持っていることを除けば……。でも実際にインタビューを受けることにも、注目されることにも興味を持ったことがない」
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ワッツとシャーリ・アンの間には1968年に長女セラフィナが、1996年には孫娘シャーロットが生まれた。ワッツとシャーリ・アンは余暇をイギリスのデヴォン州西部にある別荘で過ごし、広い敷地で馬を育てていた。かろうじて姿を見せたのは1997年のエルトン・ジョンの50歳の誕生パーティーと2010年6月のロイヤルアスコットの観覧席くらいだ。
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愛された夫、父、そしておじいちゃん
ロイヤルアスコット競馬を観戦したチャーリー・ワッツとシャーリ・アン・シェパード(2012年8月12日)photo:AFP Forum
80歳で亡くなった伝説的なドラマー。その家族は大きな柱を失い悲しみに包まれている。その中でパブリシストのバーナード・ドハーティはこのような声明文を発表した。「大きな悲しみを持って私たちの愛すチャーリー・ワッツが今朝逝去したことをお知らせします。ロンドンの病院で、家族に見守られ安らかに旅立ちました。チャーリーは夫・父・祖父として愛され、ローリング・ストーンズのメンバーとして彼の世代を代表する最も偉大なドラマーであり続けました」。音楽シーンに登場した時と同じように、愛す人々に囲まれての旅立ちだった。
text:Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)