「4回転アクセル初認定」羽生結弦のジャンプが世界一美しい理由。
Culture 2022.02.20
文/茜 灯里(作家、科学ジャーナリスト)
北京冬季五輪のフリープログラムで、世界で初めて4回転アクセル(4回転半ジャンプ)をISUから認定された羽生結弦。羽生のジャンプの秘密やライバルのネイサン・チェンとの違いを、科学ジャーナリストが徹底解説する。
転倒はしたものの、フリーでの4回転アクセルは世界で初めてISUの認定を受けた 時事通信
フィギュアスケート男子の羽生結弦は、北京五輪を4位で終えた。だが、国際スケート連盟(ISU)公認の国際試合で初めて4回転アクセル(4回転半ジャンプ)を認められた者として、歴史に名を刻んだ。
フィギュアの男子/女子シングルはショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)の総合点で競い、各演技は技術点と演技構成点で採点される。
技術点では選手が決められた数のジャンプ、スピン、ステップを実施し、審判員が個々の要素を基礎点と出来栄え点(GOE)で評価する。演技構成点ではスケート技術、要素のつなぎ、演技力、構成力、曲の解釈の5項目を評価する。
ショートに3回、フリーに7回含まれるジャンプの配点は、技術点のうちショートで7割、フリーで8割を占め、勝敗に最も影響する。
ジャンプの種類は基礎点の高いほうからアクセル(A)、ルッツ(Lz)、フリップ(F)、ループ(Lo)、サルコウ(S)、トウループ(T)の6種あり、同じジャンプなら回転数が増えるほど基礎点も高い。
特に男子では、4回転ジャンプの種類と成功回数が勝敗のカギとなる。北京五輪では前回五輪と比べてジャンプの基礎点が軒並み下がり、GOEが+5から-5までの11段階評価に拡大された。転倒や回転不足に対する減点も厳しくなり、北京五輪で勝利するためには、より質の高いジャンプの成功が必要となった。
羽生の武器は、世界一美しいと称されるジャンプだ。だが、ジャンプのうち、決まれば高得点をたたき出す半面、羽生自身もこれまでに成功したことがない4回転アクセルの挑戦には「金メダルを取るためには跳ばないほうがよい」と否定的な意見も多かった。
一方、最大のライバルで世界選手権を3連覇中のネイサン・チェンは、羽生よりも多種類、多数の4回転ジャンプを演技に入れられるのが強みだ。
ルール上、4回転アクセルが跳べないショートでは、実施予定の技術要素の基礎点の合計は、羽生が45.8点に対し、チェンは49.87点。フリーではさらに差が広がり、羽生が96.9点、チェンが101.24点だった。
両者は演技構成点ではほとんど差がつかないので、羽生は試合前から技術要素の計8点以上の差をGOEで補塡せざるを得ないというハンディを負っていた。それには大減点になる転倒や回転不足を防ぐのはもちろん、ジャンプの美しさや完成度をさらに高めてGOEを稼ぐ必要があった。
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羽生の技術あってこその挑戦。
羽生のジャンプの美しさは、1.高さと幅がある、2.空中で回り切って余裕を持って着氷する、3.空中での姿勢が真っすぐで、着氷時の姿勢も伸びやか、4.助走が短く、着氷後もスピードが落ちないことにある。これらの特長は、GOEで加点を得られるだけでなく、羽生が4回転アクセルへの挑戦を現実的に考えられた要因にもなったはずだ。
1と2は、ジャンプの滞空時間が長いことを示している。滞空時間は跳躍の高さに依存する。たとえば2019年世界選手権ショートの3回転アクセルを見ると、羽生は跳躍高が69センチで滞空時間は0.75秒だった。チェンも決して低くはないが、跳躍高が60センチで滞空時間は0.58秒だった。
ジャンプで跳躍高が高いと、離氷時の速度を無理に上げなくても飛距離(幅)を得られるので、助走を短くしたり直前まで独創的な振付を行ったりできる。さらに空中での姿勢が真っすぐでぶれないと、体の回転半径が小さくなって無駄がなくなり、着氷後もスピードが落ちにくくなる。
すなわち4回転アクセルは高い跳躍力を可能とする筋力と、無駄のない動きを身に付けている羽生だからこそ挑戦できたジャンプと言える。実際に、昨年末の全日本選手権で4回転アクセルに実戦で初めて挑戦した時は、両足着氷かつダウングレード(1/2以上の回転不足)で3回転アクセル扱いとなったが、73センチの大跳躍を見せた。
チェンは今年1月にインターナショナル・フィギュアスケーティング誌で4回転アクセルについてインタビューを受け、けがのリスクや3回転アクセルと比べて採点のうまみがないことを挙げて、習得には消極的な姿勢を見せた。
とはいえ、世界初の4回転アクセル成功者となり、フィギュア史に名を残したいと考える者も少なくない。
北京五輪に出場したキーガン・メッシングは、2018年に練習用補助具のハーネスを使って4回転アクセルを跳ぶ動画をSNSに投稿。3年前から5回転ジャンプに取り組むダニエル・グラスルは最近、4回転アクセルの練習も始めた。
今年の全米選手権2位で次世代エースと目される17歳のイリヤ・マリニンも、4回転アクセルの習得に興味があるという。
羽生以外で4回転アクセル成功に最も近いのは、アルトゥール・ドミトリエフだろう。18年にISU公認試合のロシア杯で挑戦し、ダウングレードの判定で認定されなかったが、今年1月の全米選手権では国内試合とはいえアンダーローテーション(1/4以上1/2未満の回転不足)の判定で4回転アクセルが認定された。
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4回転アクセル「初認定」への大跳躍。
2年以上4回転アクセルに取り組んできた羽生が、ISU公認試合で世界初の成功者に確実になるには残された時間は多くはない。北京五輪は、羽生が4回転アクセルに挑戦する絶好の機会だった。
本番では、ショートの最初のジャンプで羽生は氷上の穴に引っかかり、4回転サルコウが1回転になって点数がゼロとなる不運があった。
2本目の4回転トウループ-3回転トウループの連続ジャンプは、同じ構成の全日本の時よりも4回転トウループが7センチ高かった。3回転トウループでは全日本とは異なり、GOEを得やすい両手を上げる跳び方にした。このジャンプは必ず成功させる、勝負を諦めずに少しでも点をもぎ取ろうという気持ちの表れだろう。
3本目の3回転アクセルも難なく跳んだ。ミスは最低限に抑えられたが、1位のチェンは羽生が持つショート世界最高得点を更新して113.97点を獲得。95.15点で8位の羽生は、チェンに18.82点の差をつけられた。
逆転することが極めて難しい状況は、フリーの冒頭でリスクの高い4回転アクセルを跳ぶ挑戦をやりやすくしただろう。73センチの大跳躍は転倒こそしたものの、回転不足なく片足着氷して4回転アクセルと認定されることに最後までこだわるものだった。
バンクーバー五輪代表の小塚崇彦は「(着氷のために)空中に跳んでいないといけない時間は、あと0.03秒くらい」と指摘した。
2本目の4回転サルコウでわずかな回転不足が認められたが、その後は順調に演技した羽生は、フリーではチェン、鍵山優真に続く3位、総合4位となった。
試合後のインタビューで「4回転半への挑戦は続くか」と尋ねられた羽生は「ちょっと考えたい。それくらい、今回、やり切っている」と答えた。
狭義でのジャンプ成功とは、回転不足がなくGOEでマイナスにならないことだ。羽生が世界選手権で再び4回転アクセルに挑戦し、完璧なジャンプを披露することを期待したい。
(注:ジャンプの動作解析は30fpsの競技映像を用いた独自研究。フレーム数や撮影アングルの問題等により、ice:stats(Qoncept)やI-Scope(フジテレビ)の分析結果と一致しない場合もある)
それでも不可能と思えることに挑み続けてきた羽生であれば、次の五輪を目指す可能性はあるかもしれない。
茜 灯里
作家・科学ジャーナリスト。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専攻卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)、獣医師。朝日新聞記者、国際馬術連盟登録獣医師などを経て、現在、大学教員。フィギュアスケートは毎年10試合ほど現地観戦し、採点法などについて学会発表多数。第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。デビュー作『馬疫』(光文社)を2021年2月に上梓。
2022年2月22日号(2月15日発売)は「羽生結弦 挑戦する心」特集。五輪男子フィギュア3連覇を懸けて北京で4回転半ジャンプに挑んだ羽生結弦の勇気と決断はどこから来たのか
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text: Akari Akane