ウィリアム王子が引っ越すアデレード・コテージの恋物語。

Culture 2022.06.30

この夏、ケンブリッジ一家はウィンザー城の東に位置するこの住まいに居を構える予定だと6月13日付の「ザ・サン」紙が報じた。1940年代にロマンスの舞台となり世間を沸かしたこの屋敷には、いまも当時の記憶が漂う。

00-220630-prince-william.jpg

マーガレット王女とピーター・タウンゼント、ブリティッシュ・インダストリーズ・フェアにて。(1953年)photography: Getty Images

今年の夏、ウィリアム王子キャサリン妃は3人の子どもを連れてウィンザー城の東にあるアデレード・コテージに居を構えるそうだと、6月13日付の英「ザ・サン」紙が伝えた。理由の一つは女王に近い所に暮らすため。二つ目はエプスタイン事件に関与した疑いがかかるアンドルー王子から女王を遠ざけるためだとうわさされている。「控え目にエレガント」な邸宅であるアデレード・コテージは、かつて甘く情熱的なロマンスが繰り広げられた舞台でもあった。その一つがエリザベス女王の妹であるマーガレット王女とピーター・タウンゼントの恋物語だ。

 

 

---fadeinpager---

夢のような一目惚れ

1944年2月、イギリス空軍の元戦闘機パイロットであるピーター・タウンゼントはイギリス王ジョージ4世の御馬番に任命され、住居としてアデレード・コテージをあてがわれた。3年前に結婚し妊娠中だった妻ローズマリーと息子ジャイルズとともに寝室が4つあるこの邸宅に移り住む。ジョージ4世はこの後に生まれた次男ヒューゴの名付け親となる。

マーガレット王女が初めてピーター・タウンゼントと会ったのは13歳の時で、「素敵な一目惚れ」だったと何年も後に彼女は明かした。王女は日曜日をアデレード・コテージで過ごすようになり、ジャイルズとヒューゴと楽しく遊んだ。後にエリザベス2世となる姉エリザベスもタウンゼントの妻ローズマリーとの交流を楽しみ、妹と一緒にタウンゼント家を訪問した。ピーター・タウンゼントはデッキチェアで昼寝をしていたそうだ。

---fadeinpager---

3カ月間南アフリカに

マーガレットと元パイロットとの関係がのちに愛人関係に発展するとは誰も予想していなかった。1947年、タウンゼントは王、女王、そして王女たちとともに3カ月間の南アフリカ公式訪問に同伴しないかと誘われる。彼に与えられた役目の一つはマーガレット王女の付き添いだ。こうして32歳のタウンゼントと17歳のマーガレットは「虹の国」と呼ばれる南アフリカの平野を駆け巡る。「あの美しい国で素晴らしい天気に恵まれながら、毎朝ふたりで馬に乗って出かけました」と彼女は後に思い出を語る。「あの時に彼と本当の恋に落ちたのです」

当時の英国人たちはこの秘密の関係についてまだ何も知らない。しかし、1953年のエリザベス女王の戴(たい)冠式で撮影された映像がうわさの種をまくことになる。タウンゼントが着ていた制服のほこりをマーガレット王女が優しく払う姿が鋭い観衆の目を引いたのだ。タウンゼント夫妻はその前年に離婚していたが、マーガレット王女とタウンゼントの関係は、夫婦が別れるかなり前から始まっていたという声もある。それもなんと、南アフリカ訪問時の1947年からだ。

---fadeinpager---

奇妙な電話

それが事実だという証拠は一つもないが、イギリスのコラムニスト、クレイグ・ブラウンは2017年にある興味深いエピソードを明かした。著作『Ma'am Darling : 99 Glimpses of Princess Margaret』の読者から、ふたりが不倫関係にあったことを証明する書類を手に入れたので、それを提供したいとの連絡があったというのだ。それによると1947年10月、マーガレット王女とタウンゼントはエディンバラ・キャッスル号の進水式でベルファストを訪れた際、滞在した北アイルランド総督の公邸で隣り合った寝室を用意するよう要求したとのことだ。

2002年にはエリザベス女王の伝記の著者であるサラ・ブラッドフォードも興味深いエピソードを語っている。宮廷の廷臣がアデレード・コテージで行われたタウンゼント家の息子の誕生会での出来事を振り返る。「パーティーの途中に電話がかかり、その内容は“ピーターさんはマーガレット王女と乗馬に出かけますか”というものだった。勤務時間外だったにも関わらず彼は出かけていった」。タウンゼントはローズマリーとの離婚後、1952年にアデレード・コテージを出た。

---fadeinpager---

ヴィクトリア女王の一目惚れ

しかしピーター・タウンゼントとマーガレット王女の恋物語は悲しい宿命から逃れることはできない。ロイヤル・ファミリーの一員と離婚経験がある者との結婚は、元伴侶が生存している限り許されないと当時の王室の婚姻に関わる法律が定めていた。1955年10月31日、マーガレット王女はピーター・タウンゼントと結婚しないことを決めたと発表した。

アデレード・コテージではもう少し軽い物語も展開された。英国王ウィリアム4世が妻アデレードのために1831年にバークシャー州に建てたこの邸宅は、ウィンザー城のすぐ近くにあり、当初はふたりの別荘として利用されていた。イギリスの建築家ジェフリー・ワイアットヴィルが構想したこの2500平方mの住宅は1837年に国王が亡くなった後、利用されなくなった。しかしヴィクトリア女王がここを気に入り、朝食やティータイムによく訪れたそうだ。

ピーター・タウンゼントがここを出た後はエリザベス女王の友人や側近に無償で提供されていた。その内のひとりは、女王の従妹マーガレット・ローズの息子サイモンだった。

2015年に改装されたアデレード・コテージ。今後は「ウィンザーで新生活を始めるにあたり、控えめな家」を希望していたウィリアム王子とキャサリン妃が住居を構えることになる。

text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr) translation: Hana Okazaki, Hide Okazaki

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

フィガロワインクラブ
Business with Attitude
パリとバレエとオペラ座と
世界は愉快

BRAND SPECIAL

Ranking

Find More Stories