「重荷からの解放」 家族と縁を切った人たちの証言。
Culture 2022.07.06
重大な出来事、いさかい、相続問題。さまざまなきっかけで、彼らは親や兄弟、ときには親族全員と縁を切った。まだ怒りが収まらない人もいれば、かわりに交友関係を充実させて新しい生活を築いた人たちもいる。フランスのマダム・フィガロのリポート。
photography : Getty Images
29歳のルアンヌはひとつの峠を越えたところだ。4年前に家族と関係を絶ったことをパートナーに打ち明けた。「この決別は長い時間をかけて考え抜いた末の決断でした。何も後悔はありませんが、愛する人も含めて他人にこのことを話すのはやはり難しい」と彼女はため息をつく。
気まずい沈黙の後、金融アナリストの彼女は絶縁を決意するまでの経緯を語った。彼女はフィニステール県の由緒あるブルジョワ家庭に育った。両親のうち片方はアルコール依存症で、もう片方はほとんど家にいなかった。親戚たちは何度となく繰り返される育児放棄にも目をつぶっていた。「両親が学校に迎えに来てくれなかったことが何度あったかもう忘れました......。先生たちが両親に何度電話をかけても繋がらない。私はその様子を見ていました。先生たちのひそひそ話を聞いていました」と彼女はセーターの糸を引っ張りながら当時を振り返る。
いまは家族のことに話が及ぶと話題を逸らすようにしている。クリスマスや家族が集まる機会の多い季節が近づくと家に閉じこもる。「両親と縁を切ったと口にすることは、実際のところいまはもうタブーではありません。でもその話をすると、相手が私を理解してくれたと感じても、同時に何か神聖なものに触れてしまったという感じもするのです。自分の家族に背を向けるのは、何か冒涜のようなところがあります」と彼女は言う。
だからといって彼女は決意を後悔しているわけではない。「息苦しい重荷から解放されました。両親に会うとどうしても子どもの頃を思い出してしまう。愛情をかけてもらえないことに苦しみ、いつも何かを待っていた頃の自分を。その何かを両親はこの先も私に与えてはくれないでしょう。両親にもう会わないことで、距離を取り、自分の力で自分のために自分の人生を築くことができました」
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非現実的な家族像
「世間のしきたりには反しますが、家族と繋がりを断つことが救いとなることもあります。機能不全を起こしている家庭では特に」と、心理士兼セラピストで家庭問題オンブズマンを務めるパスカル・アンジェは指摘する。「ご存知の通り、中には子どもをだめにする有毒な親もいます。親に苦しみを打ち明けても耳を傾けてもらえない、尊重してもらえないと感じる場合や、親の側に自分が子どもに与えた悪影響について省みる様子が感じられない場合は、関係に終止符を打った方がいい。たとえそれが親子であっても」
社会が家族に向けるまなざしは変わりつつある。私たちはいま時代の転換点に立っている。「家族の固い絆や無条件の愛という考え方は依然として主流ですが、それと同時に、CMで描かれる仲睦まじい家族像は現実にはありえない単なるイメージにすぎないことを誰もが知っています。私たちの生きる社会では、自分を中心に物事を考え、より一層自己に注意を向ける傾向が強くなっています。また一方で、家族は常に財産であるとは限りません。すべての家庭が相互扶助の場とは限りませんし、必ずしも互いが強い連帯感で結ばれていると感じられるような、利害を共有する集団というわけではないのです」と専門家は言う。
バラ色の街、トゥールーズの広場で、エロイーズは冬としては例外的に暖かい午後を満喫している。「私がトゥールーズを好きな理由はまさにこれです。熱気があふれている。空にも、建物の壁にも、住民にさえ感じます。ストラスブールとは対極です」。陽の光を顔に受けながら、彼女はそう言い放つ。39歳のアルザス出身の彼女は2012年に生まれ故郷を後にし、南部に移住した。家族との間にできるだけ距離を置くためだった。それ以来、彼女は母親とも、義理の姉妹とも、叔父や叔母とも一度も話をしていない。942km離れた地に住む親類たちのことに言及するとき、彼女の声はいまだに怒気を帯びる。
エロイーズによると、家庭内にいざこざが生じたのは父親の死がきっかけだったという。彼女は17歳だった。父親は彼女に多くの遺産を残していたが、そのことで自尊心を傷つけられた母親との間で言い争いが絶えなくなった。月日が経つにつれ、家族は真っ二つに分かれてしまった。「13年間ずっと、おかげで私はつらい目に遭ってきました。繋がりというよりも電線か有刺鉄線のような関係を維持しようと試みてきました。そして最終的に私の方から、もうたくさんと家を出たのです」
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言わなかった言葉
エロイーズは時折、特に自分の誕生日が近づくと、子どもの頃に家族や親戚が集まって賑やかに食卓を囲んだことを懐かしく思い返す時もある。しかし彼女にとって、こうした思い出は決定的に過去のものだ。「父が亡くなった後、こういう集まりも雰囲気が変わってしまった。辛らつな言葉や言い争いばかり」と彼女は語気を強める。故郷を出た後、彼女は一度も実家に戻っていない。説明もしていない。いまでも彼女は母親に言わなかった言葉のことを気にしているようだ。「決裂の前に、とにかく何かやってみてほしい。そうしないと、“もしこうしていたらどうなったのだろう?”という大きな疑問符を抱え続けることになります。ですから、とことんやった方がいい。少なくとも言いたいことはすべて言ってしまいましょう」と家族問題オンブズマンのアンジェはアドバイスする。
ジュールは家族に何を言うべきかずっとわからなかったと言う。そもそも彼が気にしていたのはまさにそれだった。「血縁という強制的な関係をずっと拒否してきました。思い入れがない上に、興味のポイントも違う。それなのになぜ無理して付き合う必要がある? 自分の兄弟姉妹に対して特別な愛情は一切感じません。目指す方向も違えば、関心の対象も、主義も信条も違う。上辺を取り繕って幻想を維持するなんて偽善的です」と彼は話す。
彼はゆっくりと、そして断固たる決意を持って、家族から離れていった。同時に彼は、彼自身の言葉によると、「心の家族」を築き上げた。自分の妻と息子たち、そして一握りの非常に親しい友人たちがこの小集団のメンバーだ。友人たちも家族との付き合いをやめたか、あるいはほとんど会っていないという。それが彼らを互いに結びつけている共通点かもしれない。カンヌの入り江で仲間たちと40歳の誕生日を祝ったジュールは、もうじき同じメンバーで50歳の誕生日を祝う。大小様々のイベントを仲間たちと楽しむ人生を選んでもう20年以上になる。
彼のような人はほかにもいる。2016年に保険会社ネットワークAnpèreの委託で世論調査機関オピニオンウェイが実施した調査によると、フランス国民の7%がクリスマスを友人たちと祝うと回答している。この新たな動向は特に都市で顕著で、地域別に見ると、パリ圏では13%にも上る。それに対して農村部では4%。パラダイムシフトの反映かどうかはともかく、血のしがらみから解かれたポストモダン時代の家族とは、どうやら自分で選ぶもののようだ。少なくとも、政治をめぐる口論とも、異常な嫉妬とも、辛らつな言葉の応酬とも無縁に、心穏やかに鳥の丸焼きを味わえることは間違いない。
text: Caroline Lumet (madame.lefigaro.fr)