ダイアナ妃、事故死の2年前に自らの自動車事故を予言していた?
Culture 2022.08.23
25年前に交通事故で亡くなったダイアナ妃が、自身の死を予言するような謎のメモが見つかったことが、ドキュメンタリー番組で明らかになった。
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ドキュメンタリー作品『ザ・ダイアナ・インベスティゲーションズ』は、ダイアナ妃が生前に抱いた予言に迫る。photo: Getty Images
1997年8月31日、パリでの交通事故による悲劇的な死から25年、ダイアナ妃の伝説はかつてないほど活気に満ちている。8月18日からDiscovery+で放送され始めた『ザ・ダイアナ・インベスティゲーションズ』は、彼女にまつわる多くのドキュメンタリーの中で、前兆となる恐ろしい事実、「ミシュコン・ノート」について詳しく語っている。ウィリアム王子とハリー王子の母親は、悲劇的な最期を遂げる2年前に、交通事故に遭うことを予言していたと言われている。1995年10月、ダイアナが法律顧問のヴィクター・ミシュコンに「悩んでいることを相談したい」とプライベートな面会を求めたことにさかのぼる。
その会話の中で、ダイアナ妃は、名前は伏せたが「信頼できる筋」から、交通事故が仕掛けられるかもしれない、と知らされたとミシュコンに語ったという。そして、ダイアナは「いずれ死ぬか、大ケガをする」と予言していた。
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前兆現象
その2年後、最悪の事態が起こった。ダイアナ妃と当時の伴侶ドディ・アルファイド、運転手のアンリ・ポールは、パリのポン・デ・ラルマ・トンネルで乗車していたメルセデス・ベンツが柱に衝突し、亡くなった。このドキュメンタリーの専門家によると、ミシュコンはダイアナ妃との面会のメモを当時のロンドン警視庁長官、ポール・コンドン卿に渡したという。
コンドン(当時のロンドン警視庁長官ポール・コンドン)の後任のジョン・スティーブンスが就任してから、コンドンが金庫にしまっていたノートの存在が一般に知られるようになった。「王室から派遣されたエージェントが調査を発表したとき、私はこの手紙をすぐに王室公職者(当時はマイケル・バージェス、後にスコット・ベイカー判事)に渡しました」とスティーブンスは米デイリー・ビースト誌に語っている。
「2005年の春ごろにミシュコンに会いましたが、彼は(ダイアナは)妄想症だと思っており、(ノートを)あまり信用していなかったという事実に変わりはありませんでした」。チャールズ皇太子と離婚して2カ月後の1996年10月にダイアナ妃が書いたとされる2通目の手紙にも、同様の予感があった。ダイアナ妃の執事、ポール・バレルが2003年に出版した著書『A Royal Duty(ロイヤル・デューティー)』にも掲載されている。
text: Mathilde Seifert (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi