愛とは何か? レア・セドゥが浮き彫りにする『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』

Culture 2022.08.26

人を愛することの、固有性と困難さについて。

『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』

220801-cinema-01.jpg
前作『心と体と』がベルリンで金熊賞を受賞したハンガリーの女性監督の新作。「宿命の女」風に登場しながら、愚直な海の男を翻弄・破滅させるという定石からズレた「恋多き女」の芳しい存在感を、レア・セドゥが醸し出す。© 2021 Inforg-M&M Film – Komplizen Film – Palosanto Films – Pyramide Productions - RAI Cinema - ARTE France Cinéma – WDR/Arte

人を愛するとはどういうことか。この永遠の問いについて考えさせる映画、それがイルディコー・エニェディの『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』だ。カフェに最初に入ってきた女性と結婚すると、突然、船乗りのヤコブは友人に宣言する。そしてそれを実行してしまう。愛と結婚を遊びのようなものと思っているのだろうか。そうではない。もし最初に入ってきた女性に魅力を感じなければ、男は自分の宣言をひるがえしていただろう。彼は本当にその女性、リジーに恋をしたのだ。人は相手の豊かな人間性を理解したから恋に落ちるのではない。そうではなく、相手を理解していないからこそ恋に落ちるのだ。恋とは合理性を超えた何かであり、相手のなかのわからない部分が謎となり、まさにその謎が魅力を生み出す。ヤコブはカフェでリジーの後ろ姿を見ただけでもう惹かれている。むしろ、女性の顔が見えないことが彼女をいっそう魅力的にしたのだ。

---fadeinpager---

人は愛する対象を理解しようとするものだ。だが、ここにも罠がある。もし相手のことがわかってしまえば、もうその相手に謎はなく、欲望の対象になりえない。もちろん、他人を完全に理解するなんて不可能なことだ。だが、わかったと思い込んだ時点でもう謎はなくなっている。ヤコブにはリジーの心がわからない。だがそれ故に、かえって彼女への執着を強めていったのだ。

確かに、ヤコブの愛し方は幼稚で身勝手すぎる。彼を非難するのは容易なことだ。だが、リジーもヤコブに惹かれて結婚を受け入れ、彼女なりに彼を愛し続けたのだ。リジーにはリジーの確固たる生き方があり、愚かな男に愛された不幸な被害者とみなせばすむ話ではない。リジーの味方となってヤコブを裁くのは後回しにしよう。むしろ、特異な愛の行方を追いながら、愛の残酷さと人の繋がりの困難について、物思いに耽ってみてはどうだろうか。

文:伊藤洋司/フランス文学者
パリ高等師範学校の研究生を経て、パリ第3大学で博士号を取得。『Apollinaire et la lettre d’amour』(Connaissances et Savoirs刊)により、フランスでデビュー。その後、『映画時評集成2004-2016』(読書人刊)を日本で上梓。
『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』
監督・脚本/イルディコー・エニェディ
出演/レア・セドゥ、ハイス・ナバー、ルイ・ガレルほか
2021年、ハンガリー・ドイツ・フランス・イタリア映画 169分 
配給/彩プロ 
8月12日より、新宿ピカデリーほか全国にて順次公開
https://mywife.ayapro.ne.jp

新型コロナウイルス感染症の影響により、公開時期が変更となる場合があります。
最新情報は各作品のHPをご確認ください。

*「フィガロジャポン」2022年9月号より抜粋

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

フィガロワインクラブ
Business with Attitude
パリとバレエとオペラ座と
世界は愉快

BRAND SPECIAL

Ranking

Find More Stories