Pola Museum of Art アーティスト村上華子、「写真のはじまり」を探す旅。

Culture 2022.10.03

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日常に写真や映像があふれる現在。「写真のはじまりとは何か?」を問うアーティスト村上華子が、写真の原点をリサーチし続けた結果生み出された作品が、ポーラ美術館で展示されている。写真を生み出したニエプスとダゲールとは? そもそも「写真」とはいったい何なのか? 村上にとっても新たな展開となる新作が、20作品以上も目にできる企画となった。展覧会が開催される3カ月前から、村上が作品を生み出す過程を追った。

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19世紀末頃のものと思われるカメラが並ぶ、ビエーヴル写真市の店頭。しかし黎明期の探究をする村上にとってはこれらのものも新しすぎるという。

「写真のはじまりに興味があります。どのような発想に基づいていたのかはもちろんのこと、目の代替物としてのイメージ(像)はどう焼きつけられるのか。網膜に写った像を他の人々とどう共有できるのか……」。そう語るのは、パリを拠点として活動するアーティスト、村上華子。世界各地の写真アーカイブを訪ね、残された写真黎明期の資料の丹念なリサーチを重ねながら、自身の作品を発表している。

今年初夏、村上はパリ郊外のビエーヴルで毎年開催される写真市を訪れていた。日本で予定されている個展のための新作制作も大詰めの段階を迎える中でのリサーチだ。ビエーヴルの写真市に10年以上通っている村上には、顔なじみの店主も多い。「博物館に展示されるかのような品々を入手できるだけでなく、会話を通して貴重な情報やアドバイスを得ることもできます。研究のために読んでいた本の著者に偶然会うことができたりと、ビエーヴルはさまざまな糸口が見つかる場所なんです」

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発見したのは、イメージが消えてしまったダゲレオタイプの「失敗作」。しかし、村上の興味はまさにこうした点にも宿っている。

希少価値の高い骨董カメラを求める人々が早朝から列を作る傍らで、村上が向かったのはそれらとは少々異なる趣きの店だ。100年ほど前の写真乾板を手にとり、現像液から暗室ランプにいたる道具が一式揃えられた1920年代の移動現像セットに目を輝かせる。その昔、現像に用いられていた薬品が詰められた古めかしいガラス瓶も、この日購入したひとつ。

「こうしてリサーチを重ねながら、私の作品に重要なのはさらに100年ほど前にまで遡るものなのです。写真の源流に遡り、長い時間を生きてきた物質の存在の痕跡そのものをとらえたい。それがどのようなものであるのかを目にするためにも、当時の技術を用いて自分で表現してみるしかありません」

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ニセフォール・ニエプスとの出会い

村上が特に探求を重ねているのが、現存する世界最古の写真を残したとされる人物、ニセフォール・ニエプス(1765~1833年)の試行錯誤の足どりだ。2013年、ポーラ美術振興財団の在外研修員としてフランスに滞在していた際に、記念館として公開されているニエプスの家を見学して、大きな衝撃を受けたのがきっかけだったという。「そこで見たものは、それまで私が『写真』と理解していたものからはおよそかけ離れた世界でした」

今回の展覧会では、これまでに以上にニエプスに焦点をあてることを考えた村上。今夏、村上は彼の家も再訪している。パリからTGVで約3時間ほどのブルゴーニュ地方南部、サン=ルー=ド=ヴァレンヌの地に、ニエプスのアトリエを含む家が残されている。メゾン・ニセフォール・ニエプスだ。

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閑静なサン=ルー=ド=ヴァレンヌにあるメゾン・ニセフォール・ニエプス。シーズンオフのこの時期に訪れるのは、かなりの写真好きか専門家くらいだという。

「大学で美学芸術学を専攻した後、メディア映像を専攻して最先端の技術に触れるなか、それらとは真逆となる写真の起源に立ち戻ってみたいと考えるようになりました。発明とは無から有を生む行為です。また最古というのは普遍ですから」

ニエプスは1765年生まれ。蒸気船のエンジン開発に心血を注いだ発明家で、自転車のハンドルの発明にも功績のある人物なのだという。彼が日々実験を重ねた家は素朴な雰囲気だが、発明家の情熱がそこから伝わってくる。

写真の発明の祖、といえば銀板写真「ダゲレオタイプ」のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787〜1851年)がよく知られているだろう。しかしそれ以前の基礎研究を重ね、写真に関する研究をダゲールと共同で行っていたのがニエプスであり、その存在なくしては銀板写真も生まれえなかった。にもかかわらずニエプスの存在はあまり知られておらず、そのことも村上の心を大きくとらえたのだった。

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メゾン・ニセフォール・ニエプスで、暗箱を前に館内の職員から説明を受ける村上。

写真に関するニエプスの最初の実験は1816年にまで遡る。箱の片方の小さな穴を通して対象をとらえる原始的な投影装置「カメラ・オブスキュラ」で現われる像を、どうにかして留めてみたいと考えたニエプス。彼は息子が持っていた指輪の小箱に、祖父の太陽光顕微鏡のレンズを組み合わせた装置を考案。箱内部に映る像を感光剤を塗布した紙で写しとることを試みた。

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ニセフォール・ニエプス美術館で、ニエプスの暗箱を眺める村上。

天才発明家が数え切れぬほどの実験を行っていたのは、アトリエとして用いていた天井の高い屋根裏の部屋だった。彼はまた手紙を出す際には必ず同じ内容を記録に控えるといった几帳面な性格で、そうして残された書簡が発明に関する貴重な資料となっている。「残されているものから、いまでは残っていないものを推測していきます」と語る村上。

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ニセフォール・ニエプス美術館のキュレーターに案内され、収蔵庫でニエプスの書簡を閲覧する。

ニエプスが実験を重ねた成果の大半は残念ながら散逸してしまっているが、その「実験レシピ」は全部で133点あると記録されている。この事実をもとに村上が手がけた作品『The Boxes』(2019年)は、ニエプス美術館の収蔵作品になっている。

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ニエプスが実験を重ねた屋根裏の空間も当時を偲ばせる。

美術館では世界で現存最古の写真であるニエプスの『ル・グラの眺め』(1827年)がどのように誕生したのかも紹介されている。その部屋の周囲には、彼が日々目にしていた庭がある。村上が訪ねた初夏には、彼女の背丈ほど草木が茂る野生的な庭の光景があった。

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ニエプスの庭を訪れた村上。手にしているのは1940年代の「Retina(網膜)」という名前のカメラ。

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日本で開幕した展覧会、タイトルは「見たいという欲望」

ビエーヴルの写真市やニエプスの故郷を再訪してのリサーチは、9月17日にポーラ美術館で開幕した「村上華子:du désir de voir 写真の誕生」展の作品として結実した。

エントランスで私たちを待つ作品は、『ニエプスの庭』。村上が撮影した写真を転写したカーテンが、風の吹き抜ける窓辺でもあるかのように静かになびいている。世界で現存最古の写真となる『ル・グラの眺め』をニエプスが撮影した時、家を取り囲んでいた庭の風景でもある。

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ポーラ美術館のエントランスとなる「アトリウム ギャラリー」に設えられた村上の作品『無題(ニエプスの庭)』(2022年)。初夏に訪れた庭がカーテンに転写され、開放的な天井の窓から差す日光に照らされて表情を変える。

カーテンごしに見えるのは真っ赤なネオン管の文字、「du désir de voir(見たいという欲望)」。「ダゲールがニエプスに送った手紙にあった一節です。『Je brûle du désir de voir vos essais d’après nature.』、あなたの、自然に基づいた習作を見たいという欲望に私は燃えている、とありました」と村上は語る。

「見たい、という燃えるような欲望は、まさに写真のはじまりです。もっとも、まだ写真と呼ばれていなかった当時、生まれるイメージをニエプスは『rétine(網膜)』と表現し、暗箱の奥のイメージを固定しようと試行錯誤を繰り返していました。そのとき彼の背景にあったのが庭であり、『網膜』に写りきらなかった光景をこの空間では表現しています」

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『無題(見たいという欲望)』(2022年)。ニエプスあての書簡に残るダゲールの筆跡のまま「du désir de voir」と綴られたネオン管。光は展示スペース周辺の壁に反射し、見たいという欲望が燃え広がっていくかのよう。

展示には、発明の詳細をニエプスが手書きで記した『ヘリオグラフィー覚書』に関する作品もある。その覚書の表紙と裏表紙が一枚の紙の表裏に印刷されている。「写真のはじまりはその覚書の、獣の皮を思わせる表紙と裏表紙の間にあった」と村上の文章が添えられている。

あるいは硝酸で表面が溶解した銀貨。食塩を加えて生じた塩化銀を紙に塗布して作った感光紙を使い、太陽の軌跡をとらえた作品もある。内側を鏡のように磨きあげたふたつの石版石は、その表面が像をうけとめる支持体とされていた史実に基づくものだ。村上の作品の一つひとつに物語が潜んでいて、引き込まれてしまう。作品に添えられた村上の文章も、私たちの想像力を刺激する。

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『無題(スプーンの明るい影)』(2022年)。感光性をもたせた金属板にスプーンを置き、その「影」をとらえた作品。写真が一般に普及するきっかけとなったダゲールのダゲレオタイプの手がかりとなった過程をふまえた。photography: Ken Kato
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『無題(向かい合う石版石)』(2022年)。石を磨き上げ、その表面を支持体として用いて像を写し取ろうとした。

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失敗のレシピを披露する実験室

明るい展示室の先には、ニエプスの実験の場を訪れたかのような空間が現れる。「ニエプスの試みには多くの失敗がありました。私の作品も同様で、その意味では選りすぐりの『失敗の展示』とも言えるかもしれません」

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まるで暗室に入ったかのような、もうひとつの展示室。こちらにも、写真を巡る史実とアーティストの創造力によって織りなされた作品が。

ここでも歴史に残る実験とアーティストである村上の創造の世界が出会う醍醐味に包まれている。太陽が描くもの、との意味を持つ「ヘリオグラフィ」を技法としたものや、銀箔のなかに輝く環状の虹を目にできる作品、光をとらえる技法「フィゾトタイプ」を用いて、ガラス板にかすかな像をとらえた作品もある。見る角度を調整しながら慎重に向き合うことで植物の輪郭が目にできる、繊細な作品も複数ある。

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『無題(フィゾトタイプ)』(2022年)。曇ったように見えるガラス板。照明や見る角度を変えると、植物の輪郭が浮かび上がる。「消え入りそうなほど密やかな」(村上)との表現がまさにぴったり。photography: Ken Kato

「幼い頃にファンタジー小説『ジファンティ』を読んだニエプスは、嵐の光線がタブローに反射して焼き付けられるという章を強く印象に留めていました。これも写真のはじまりです。ダゲールとのやりとりのために暗号のように記された101種の実験材料や、その暗号を用いた手紙のなかにも、はじまりがありました」

展示室ではかすかにただよう花の香りのような、しかしこれまで感じたことのなかった香りに気づく。「ニエプスはアスファルトの粉をラベンダーオイルに浸したものをなめらかな素材の表面に塗布して露光していました。現像にはラベンダーオイルをテレビンオイルで割ったものを用いていました。こうした実験室の香りの中から、写真というものが立ち上がったのではないかと想像しました」

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『無題(環状の虹)』(2019/2022年)。銀箔の上にヨウ素の粒を置くと、環状に輝く虹が浮かび上がった。イメージが定着されない技法のため会期中に徐々に変化していくかもしれない。photography: Ken Kato

網膜と表現された写真の予兆の数々。「見える」ことを定着することが試みられた200年前の空気が、時空を超えるかのように美術館の空間を満たしている。「はじまりはひとつではありません。探るほどにたくさんあることに気づきました」と村上。

「光と化学物質によって写真が生まれるとされていますが、残されたレシピ通りに試みても失敗したり、逆に思いもかけずに像が生まれたりと、科学的に説明できないミステリアスな面が含まれることも実感します。写真が生まれる瞬間を、心で感じていただければうれしい」

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『無題(フィゾトタイプ)』(2022年)。窓からの眺めを写そうとしたが、像は映らなかった。対象を写し取ることには失敗したが、留められた痕跡は不思議な魅力を放つ。photography: Ken Kato

スマホで写真を撮り、画像によるコミュニケーションが日常的になっている時代に、いま私たちは生きている。では、見ることとは何か。見たいという欲望とは何か……。見ることは思索や想像の広がりにも深くつながる。

展示の場で出合えるのは、「見る」ことのおぼつかなさを探るアーティストによる、緻密なリサーチに基づきながらも詩的で美しく、ミステリアスでもある表現の数々。「失敗するほど『見たいという欲望』は明快になっていく」「失敗作に浮かび上がる痕跡こそが私が追い求める写真の根源ではないか」と、ニエプスの失敗のレシピを丁寧にすくいあげ、きらめく一つひとつのイメージとして示し続けるアーティストの活動から、写真を巡る、ある感触が生まれ出る。その感触を、展示のその場で、受けとめたい。

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村上華子/2007年、東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程卒業。09年、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻終了、13年にポーラ美術振興財団在外研修員としてパリへ。2014年、ル・フレノワ フランス国立現代美術スタジオ在籍。現在はパリに在住。最近の主な個展に、「Imaginary Landscapes」(タカ・イシイギャラリー、2022年)、「クリテリオム 96 村上華子」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、2019年)、「CONCEPTION」(アルル国際写真祭、2019年。新人賞ノミネート)など。

村上華子『du désir de voir 写真の誕生』展詳細はこちら

HIRAKU Project Vol.13 村上華子 「du désir de voir 写真の誕生」
会期:2022年9月17日(土)~2023年1月15日(日)
会場:ポーラ美術館1F アトリウム ギャラリー
開場時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
年中無休(展示替えのため臨時休館あり)
Tel:0460-84-2111
www.polamuseum.or.jp

 

text: Noriko Kawakami,photography: Taisuke Yoshida(France), Mirei Sakaki(Hakone)

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