2007年にウィリアム王子とキャサリン妃が破局した黒幕、カミラ王妃だった?

Culture 2022.11.01

10月27日にイギリスの「エクスプレス」紙が報じたところによると、2007年当時、ウィリアム皇太子キャサリン皇太子妃が一時的に破局したのはカミラ王妃が動いたからと言われている。

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馬車に乗ってアスコット競馬場に向かうキャサリン皇太子妃とカミラ王妃。(イギリス、2019年6月18日) photography: Getty Images

10月27日の「エクスプレス」紙によれば、カミラ王妃は何年もの間、国王チャールズ3世をたきつけた結果、2007年にウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃を別れさせることに成功した。確かにこの年、ふたりの突然の破局にイギリス国民は驚いた。もっとも10週間後には復縁するのだが。

当時、「待ちぼうけケイト」と呼ばれた皇太子妃はロンドンに住んでおり、ダイアナ妃の息子はドーセット州の士官学校でヘリコプターのパイロットになるための訓練を受けていた。皇太子は破局の原因にふたりの距離を挙げたそうだが、実際は義母のカミラ王妃に促されての決断だったらしい。上述の「エクスプレス」紙では、2016年に作家クリストファー・アンダーソンがアメリカのニュースサイト「デイリービースト」に語った内容を引用している。2011年に著作『ウィリアムとケイト、ある高貴なラブストーリー』(原題:William and Kate: A Royal Love Story)を出版したクリストファー・アンダーソンは当時、デイリービーストに次のように語っている。「ふたりの破局を知ったのは、ロンドンにいた時で、驚き啞然としました。ウィリアムがケイトにプロポーズするのは時間の問題だと誰もが思っていたからです。そうしたら、カミラが黒幕だとささやかれはじめました」

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アリス・ケッペルの末裔

今日、カミラ王妃と皇太子妃との仲はとても良いように見えるが、当時のカミラ王妃にはケイト・ミドルトンが王室にふさわしくない女性に見えたようだ。その理由は平民だから。「キャサリン皇太子妃は王室に迎えられた初めての平民出身の女性です。父親は炭鉱労働者の家の出で、母親はスチュワーデスでした」と著者は言う。それにしても、キャサリン皇太子妃は立派な教育を受け、スコットランドの名門校、セント・アンドリュース大学で学び、2001年にウィリアム皇太子と同校で出会っているのだが。

「カミラ王妃はちょっと気取っていますからね。彼女は、エドワード7世の愛人だった曾祖母のアリス・ケッペルの末裔であることを誇りに思っているんです」と著者は言うと続けて、「カミラ王妃がチャールズ3世の耳元でささやいて、ウィリアム皇太子にどうするのかの決断を迫らなければならないと促した噂は破局当時もその後もありました」

ジョージ王子ルイ王子シャーロット王女の両親は、10週間余りの別離期間を経て復縁した。2010年に婚約し、2011年4月29日、ついに結婚する。今年の9月8日にエリザベス女王が死去し、ウイリアム皇太子とキャサリン皇太子妃はプリンス&プリンセス・オブ・ウェールズとなった。

text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)

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