欲望に忠実に生きることの恍惚と不安。

Culture 2023.01.06

『デグリネゾン』

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金原ひとみ著 ホーム社刊 ¥1,980

本書を読むうちに、自分が生きる意味のありかについてふと思いを馳せることになる。仕事こそ自己実現の主戦場と考えるか、精神の解放としての恋愛が重要か、はたまた安定の象徴である家庭が最優先か──。どれかひとつでは満足できず、バランスをとりつつ全部を手にしようともがくのが、本書の主人公である天野志絵だ。

30代後半の小説家である志絵には2度の離婚歴があり、中学生になる娘の理子とふたり暮らし。近ごろ大学生の蒼葉に押し切られて付きあい始め、彼の一途な愛とセックスを享受しながら、いつまで持つかと冷静に見てもいる。ただしコロナ禍が状況を一変させる。母親の恋愛体質を容認するようだった理子に蒼葉との同居を提案するがNOの意思表示。父である吾郎と暮らすと言うのだ。

「人との同居や離別といった大きな岐路を、どんな意味や価値を基準に判断すべきなのか、私は測りかねていた」

志絵は、人と関係を結び、傷つき、相互に影響を与えあった歴史を堆積させ、人生を形作ってきた。娘や夫たち、蒼葉とも全身全霊で向きあってきたことに嘘はない。だがまっすぐ進めば穏当と思われる道から、内なる獣に衝突されたようにときに脇道に外れ、よれよれと立て直した経験も。気のおけない同業者たちと、「小説のために破滅的な生き方をするのは馬鹿げてる」と意見は一致するが、実はその一面を否定できずにいるのだ。

子を産めば母親の役割をまっとうせよとの圧のかかる日本で、志絵はそのレッテルから身をよじっている。母、小説家、恋人であることを並立させんとする、疎外感含みの闘争の行く末は? 読者はじっと見守ることになる。

タイトルはフランス語の「語尾変化」、転じて、ひとつの食材をいくつもの調理法で料理し皿に盛ることを意味する。志絵は貪欲で欲望に忠実な美食家として描かれる。牡蠣尽くしから、焼き肉、メキシカンまで。官能を求めてさまざまに変容する志絵の姿は、力強く、味わい深い。

文:江南亜美子/書評家
大学で教える傍ら、主に日本の純文学と翻訳文芸に関し、新聞、文芸誌、女性誌などで評論を手がける。共著に『きっとあなたは、あの本が好き。』(立東舎刊)、『韓国文学を旅する60章』(明石書店刊)など。

*「フィガロジャポン」2022年12月号より抜粋

text : Amiko Enami

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