ベルルスコーニ元首相とヴェロニカ・ラリオ、不倫とスキャンダルの30年。

Culture 2023.04.19

現在86歳の元イタリア首相、ベルルスコーニが白血病で入院中だ。長年人生を共に歩んだ末、2014年に離婚した2番目の妻はヴェロニカ・ラリオという。どんな女性なのだろうか。

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2004年当時のヴェロニカ・ラリオとシルヴィオ・ベルルスコーニ。photography: Abaca

ヴェロニカ・ラリオは「田舎娘」を自称する。「ファーストレディ」になるなんて夢にも思わなかった。そんな彼女がイタリアの名物男(そしてお騒がせ男)のシルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相の妻として30年間暮らした。イタリア首相を4期務めた億万長者と元女優の結婚生活は決して平穏なものではなかった。支持者から「イル・カヴァリエーレ(騎士)」と呼ばれる激しい気性の夫と、「レディ・インビジブル(透明なレディ)」の異名を持つひかえめな妻はとても対照的なカップルだった。

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慎重で楽観的な性格

2014年にシルヴィオ・ベルルスコーニとの離婚が世間を騒がせたヴェロニカ・ラリオが果たして現在、元夫の病床につきそっているのかはわからない。肺感染症と慢性白血病で入院したベルルスコーニは集中治療室から通常病棟に移ったと4月16日付けの伊「コリエーレ・デラ・セラ」紙で報じられた。ヴェロニカ・ラリオの本名はミリアム・ラファエラ・バルトリーニ。ヴェロニカ・ラリオの芸名は、1940年代に活躍したアメリカの女優ヴェロニカ・レイクに憧れて選んだそうだとパリ・マッチ誌が以前報じている。

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偉大な寝取られ男

1956年7月19日生まれのヴェロニカ・ラリオは1980年にシルヴィオ・ベルルスコーニと出会った。当時のベルルスコーニはミラノで最も活躍する起業家のひとりだった。一方ヴェロニカの家は貧しかった。少女のヴェロニカは下町の路上で遊び、日曜日は祖母の家で折り紙を折って過ごした。若くして夫を亡くしたヴェロニカの母親はレジ係として働いて娘を育てた。やがて女優を志すようになったヴェロニカは当時つきあっていた彼に請われて舞台に出演する。その彼はベルルスコーニの登場であっという間に駆逐されてしまうのだが。

 

 

シルヴィオ・ベルルスコーニが初めてヴェロニカ・ラリオを見たのは、彼が買収したばかりのマンゾーニ劇場の舞台だった。ヴェロニカはフェルナン・クロムリンクのヴォードヴィル劇『偉大な寝取られ男』の短い場面にトップレスで出ていた。ベルルスコーニはいそいそと楽屋に押しかけ、ヴェロニカに求愛した。一方、ヴェロニカの方はミラノのディナーの席で出会ったと語っている。「既婚者なのに独身のように振る舞っていました。その時に知り合ったはずなのですが、彼の方は覚えていないようです」とヴェロニカは言う。

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おおいなる隠遁生活

ベルルスコーニはおとなしい性格の妻カルラ・マリア・エルヴィーラ・デッローリオと1965年に結婚しており、マリーナとピエル・シルヴィオの子どもふたりも生まれていた。しかし青い目の女優と情熱的な関係を持つことにいささかのためらいもなかった。やがてヴェロニカ・ラリオはベルルスコーニの愛人となり、彼が用意したアパルトマンに住むようになる。そこはベルルスコーニ一族が支配するイタリアの大持株会社、フィニンヴェスト社本社から目と鼻の先にあった。

ヴェロニカは秘めた関係を続けることに悩むこともあった。女優としてのキャリアもはかばかしくない。低予算の映画数本に出演した程度だ。ダリオ・アルジェント監督の長編映画『シャドー』(1982年)でのカルト的なシーンが、女優として最後に注目を浴びた機会となった。「そしておおいなる隠遁生活が始まった」とイタリアのジャーナリスト、マリア・ラテラは2004年の自著、『Tendenza Veronica(ヴェロニカトレンド)』の中で述べている。つまり、日陰の存在としての暮らしの始まりだ。

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花と庭と家と子ども

1984年、ベルルスコーニとの子ども、娘のバルバラが生まれたことで状況が一変した。ベルルスコーニは隠し子の存在を認め、前妻と離婚し、ヴェロニカとの関係を公表した。その後子どもは2人生まれた。1986年にエレオノーラ、1988年にルイージ。1990年12月、ふたりはついにミラノで結婚した。しかし4年後、ヴェロニカは失望を味わうことになる。貪欲な野心を持つシルヴィオ・ベルルスコーニは政界に進出し、閣僚評議会議長、すなわち首相の座に収まった。それとともに、彼の心は彼女から次第に離れていった。

夫がローマで政治家として活躍する間、妻はミラノの家で母としての務めを果たしていた。「花と庭と家と子どもたち、それが私の人生よ」と、彼女をしつこく追い回す記者たちに自嘲気味に言うこともあった。右派系日刊紙「イル・フォリオ」の大株主となったものの、ヴェロニカはごく平凡な日々を送っていた。毎朝、子どもたちを学校へ連れて行き、有機野菜づくりをし、プルーストを読み、哲学に関心を持つ。まさに模範的な主婦だ。シルヴィオ・ベルルスコーニは妻のイメージを自分のために巧みに利用した。

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ダイヤモンドとベリーダンス

しかし家庭の内情は異なった。なにしろ一家の父親がほとんど家にいないのだ。「電話で話すだけじゃありません、時々テレビで彼を見かけます」とヴェロニカは皮肉を言ったりした。政治には関わらないスタンスながら、夫の決定に反対なときは公の場でも遠慮なく発言することもあった。2005年、教会や夫とは逆に不妊治療に関する規制緩和を支持すると発言したこともある。

 

 

ヴェロニカが夫の放蕩から目をそむけつづけるのは難しいことだった。数々の訴訟を抱えて係争中の夫から妻の心は徐々に離れていった。ベルルスコーニは、妻の50歳の誕生日に関係修復を試みる。ベルベル人の廷臣に扮してベリーダンスを披露した後、ダイヤモンドネックレスを妻に贈った。彼女は感動して「泣いた」。

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堪忍袋の尾が切れた

数カ月後の2007年、夫はまた失態を冒す。「自分が既婚でなかったら、即座に彼女と結婚するね」と、若い国会議員マーラ・カルファーニャについてテレビの生放送で口を滑らせたのだ。ヴェロニカは夫に公の場で謝罪するように要求し、夫は従った。しかしベルルスコーニは懲りない。ある日曜日の朝、ナポリのゴミ問題に関する緊急会議があると言って夫は家を出た。翌日、妻は夫が18歳のノエミ・レティツィアの誕生パーティーに行ったことを新聞で知った。

ヴェロニカの堪忍袋の尾が切れた。2009年5月、彼女は夫の「行動に疲れました」と離婚を申請した。効果はてきめん、新聞はベルルスコーニと関係した体験談を語る「エスコートサービス」の女性たちの証言でたちまちあふれかえった。ベルルスコーニは公私ともに自分が追いつめられた元凶として妻を恨み、ヴェネチアの左派市長マッシモ・カッチャーリと妻が不倫している噂を広めようとした。

2010年5月、裁判所はベルルスコーニにヴェロニカへ月30万ユーロの生活費を支払うよう言い渡した。2012年12月28日、ミラノの裁判所は新たな判決を言い渡し、ヴェロニカ・ラリオには、毎月300万ユーロが支払われることになった。2014年2月18日、離婚が成立した。それ以来、ヴェロニカはひっそりと暮らしている。幾つかのスキー場や孫のアレッサンドロの学校への送り迎えでたまに目撃されるぐらいだ。ヴェロニカが冗談まじりに言うように、いまや孫が彼女の「生涯の男性」なのだ。

text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)

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