ソフィー・マルソー、身体を他人の目にさらすことへの違和感を語る。

Culture 2023.05.19

新刊を出版した女優が、ラジオ局フランス・アンテールの番組に出演し、パーソナリティのレア・サラメに身体について語った。

女優としてのソフィー・マルソーは知られていても、作家でもあることはあまり知られていない。短編小説と詩をまとめた『La Souterraine(原題訳:地下道)』(Seghers社刊)を出版したばかり。新刊PRのため、ラジオ局フランス・アンテールの朝の番組に出演したソフィー・マルソーは「自分と向き合う」のが執筆活動であり、「他人を演じる」こととは異なるものだと語った。パーソナリティを務めるレア・サラメは、映画の中で自分をさらけだすことや、自己の身体をどう捉えているかについてたずねた。なぜなら新刊の中では女性の身体というものが大きなテーマのひとつだからだ。レア・サラメは「身体は非常に存在感があります。(中略)身体を他者に見せる難しさについても語っていますね。『自分の体が好きじゃなかった』とも」と問いかけた。

これに対し、ソフィー・マルソーはスクリーンで自己の身体を他人の目にさらす難しさについて語った。そして『ソフィー・マルソー・恋にくちづけ』(ジョルジュ・ロートネル監督作品、1984年)の撮影現場で、女優のマリー・ラフォレから、映画での服の脱ぎ方を教わった日のことを振り返った。「上から始めるのよ」と言われたそうだ。「彼女はとても頭が良くてカメラのことをよく知っていました。当時の私よりも経験が豊富でした。率直に言ってこの日彼女に救われました。美しくて素敵なマリーを見ているだけで幸せな気分になりました。でもその一方で小さい子どもの気分でもありました。彼女はもう一人前の女だったのに私はそうではなく、女になるというのがどういうことか知らなかったからです」

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次いでレア・サラメは女性の胸について書かれた部分に言及し、「短編小説の中にはとても官能的な作品がいくつかありました。とりわけ女性の胸について語った作品がありますね」と水を向けた。ソフィー・マルソーにとって胸はデリケートな話題だ。1997年にシンガーソングライターのジュリアン・クレールが勝手にソフィー・マルソーの胸を歌詞に入れて歌ったことで激怒した事件があるからだ。その歌詞は「Faut des ronds, faut des courbes, des marchands d'marrons, rue Lecourbe. Faut des ballons, des cerceau et les seins de Sophie Marceau. (丸くなきゃ、曲線がなきゃ、栗売りも、ルクルブ通り。風船がなきゃ、フープも、そしてソフィー・マルソーの胸も。もうたくさん)」というものだった。1998年5月、彼女は「エル」誌に当時の気分を語っている。「この曲にはひどく恥ずかしい思いをしました。家に送られてきたけれど、隠してしまいました。周囲の人に知られたらとビクビクしたものです。自分が間違ったことをしでかしたかのように嫌な気分になりました。ラジオで自分の胸をさらしている気分にもなりました。胸というのはプライベートなもので、エロティックで性的なものです。裸にされた気分でした」と切々と訴えた。一方、ジュリアン・クレールはぬけぬけとテレビで「かわいいと思ったから」と言ってのけた。そして2年後、今度はアラン・スーションが「Au ras des pâquerettes」という曲の歌詞でソフィー・マルソーの胸に言及した。

カンヌ国際映画祭のメイン会場のレッドカーペットでのドレス事件でも裸になった気分を味わったに違いない。肩ひもが落ちて片方の胸がぽろりと出てしまったのだ。その場で本人はにっこり笑ってやり過ごした。2021年、仏「ジュルナル・デュ・ディマンシュ」紙の取材でこの時の気分を語っている。「幸いなことに、ほんの一瞬の出来事でした。事故だったからこそ、ドキドキしました。でも世界ではこれが日常茶飯事なんですよね」

text: Justine Feutry (madame.lefigaro.fr)

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