ボロボロになるまで精神を蝕む、「毒の友情」とは?

Culture 2023.06.03

友情はときに強い絆によって育まれる。あまりに強すぎると、息苦しい関係に変わり、破壊的な影響を及ぼすこともある。体験者の証言と専門家の分析を紹介する。

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友情はときに強い絆によって育まれる。あまりにも強すぎて息苦しい関係に変わり、破壊的な影響を及ぼすことさえある。
photography: Getty Images

彼女たちの出会いは美しく幸せな友情を予感させるものだった。2022年9月15日に出版されたタチアナ・ド・ロネの最新小説『明日はもっと元気になる』(1)で、音響技師のカンディスは自動車事故に遭った50代女性のドミニクを救助する。彼女は知るよしもないが、この女性を助けたことでカンディスはとんでもない泥沼に陥ってしまう。ドミニクはまるでクモの巣を張り巡らすように、カンディスを徐々に囲い込んでゆく。しばらくの間、カンディスの家に滞在することになったドミニクは、年下の友人のプライベートや仕事の領域にまで踏み込むようになる。いたるところに顔を出し、やたらに干渉するドミニク。カンディスは息が詰まってしまう。

これが一般的に「毒になる友情」と呼ばれるものだ。絆が(あまりに)強いと、いいことよりも辛いことのほうが多くなり、ときにはどちらかを苦しめてしまうこともある。「友情においては、互いに適度な距離を保つ必要があります」と哲学者のミシェル・エルマン(2)は言う。「相手を尊重する気持ちと距離のバランスが崩れたときに有毒な関係が始まる」。こうした息苦しい関係を経験したことがある人は少なくないようだ。雑誌『トゥデイ』と『セルフ』が2011年に行った調査によると、女性の84%、男性の75%がこれまでに毒になる交友関係を持ったことがあると回答している。

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気詰まり

47歳のヴィルジニーもこうした有害な友情を経験したひとりだ。コミュニケーションコンサルタントの彼女は2000年代の終わりに小説家のジャンヌに出会った。細やかな心遣いを見せるこの聡明な女性に彼女はたちまち夢中になった。「最初はお互いに相手に魅了されました」とヴィルジニーは振り返る。ふたりきりのとき、互いに自分の「神経症的」な部分をありのままに明かし合った。そして6ヶ月後には一時も離れられない間柄になっていた。「バカンスを一緒に過ごし、私は自分の友人たちを彼女に紹介しました。彼女はそのなかのひとりと付き合うようになりました」

だがこの親密さはいつしか「不健全な」関係に変わっていった。ジャンヌはヴィルジニーの日常に過剰に介入し始め、ついにはヴィルジニーの息子の教育にまで口出しするようになった。「彼女は子どもがいませんでした。欲しがってもいませんでした。でも私がシングルマザーなので、彼女は自分が関与する余地があるかもしれないと思ったのです」とヴィルジニーは話す。

最初に気詰まりを感じたのは、ジャンヌが彼女の誕生日にサプライズパーティーを企画してくれたときだった。ジャンヌはテーブルの中心で、集まった人たちの注目を一身に浴びていた。交友関係を築くのが苦手だというヴィルジニーは、ジャンヌがいとも簡単に自分の友人たちの関心を引きつけてしまう、その才能とスピードに圧倒された。「会食の間中、彼女は自分を前面に押し出していました。スターでした。彼女は作家で、本も売れていますから」とヴィルジニーは言う。「サプライズパーティーを企画してもらってうれしいはずだ、と私は自分に言い聞かせていました。でも、悪い予感がしていた。彼女に食われてしまう、そんな気分でした」

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人格の放棄

多くの場合、こうした友情の始まりは衝撃的だ。30歳のジュリエットが経験したことはまさにそれだ。広報担当者の彼女がアマンディーヌに出会ったのは中学時代。当時のふたりは正反対だった。一方は社交的。もう一方はコンプレックスを抱えた一匹狼タイプ。「まるでふたつの世界がひとつの教室のなかでぶつかり合ったような感じ」とジュリエットは微笑む。固い友情で結ばれた彼女たちは、別の高校に進学したものの、定期的に連絡を取り続けた。

学業のためにリール(フランス)に移住することになったジュリエットは、経済的な問題を抱えて孤立していたアマンディーヌに、自分が借りているワンルールマンションに一緒に住まないかと提案する。共同生活はふたりの友情を打ち壊した。ベッド、鍵、服、メイク、そして交友関係……。彼女たちはすべてを共有した。「私たちは一心同体でした」とジュリエットは言う。

まさにこれが問題なのだ。定義上、融合は個性の吸収という結果をもたらす、とセラピストのアンヌ=ロール・ビュッフェは強調する。「そうした関係では自由に自分の気持ちを表現することができなくなる」と彼女は続ける。ビュッフェには『友情:本質的、構築的、融合的、あるいは有毒……。私たちのどれだけの部分がこの強力な関係に左右されているのか?)』(3)の著書がある。「ふたりのうち一方が、思考、行動、感情の受け止め方、表現、そのどれにおいてもその人自身でいることができなくなる。自分の人格を相手に委ねてしまうのです」

こうした極端な近さから依存関係が生じる。関係の近さが双方を圧迫し、最終的にどちらも息苦しくなってしまう。アマンディーヌの抱える問題はたちまち同居人であるジュリエットにも深刻な影響を及ぼすようになった。「彼女は無軌道な生活を送っていました」とジュリエットは話す。「関心を向けて欲しいという無言のアピールが感じられる。彼女は私なしでは生きられなかった。窒息しそうでした」。この「地獄」に終止符を打つための解決策はたった一つ。ジュリエットはアパルトマンを出ることにした。ふたりはそれぞれ荷物をまとめた。もう数年間、顔を合わせていない。

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愛の名において

こうした不健全な関係には、当然、多くの逸脱が伴う。19歳のカミーユに彼女が経験したという有害な関係について聞くと、次のような一言が返ってきた。「過剰な愛という名において、私たちはお互いにそこまでやってはいけないということまでしてしまっていた」。彼女はいまでも覚えている。ある日、親友のセシルがふたりの共通の友人たちの前で、自分に対して暴言を吐いたことがあった。「屈辱的な、ひどい言葉でした」

「こうした振る舞いをするとき、人は自分の利益のためだけに行動しています。たとえ相手を侮辱することになっても」とビュッフェは説明する。「そうすれば注目してもらえるからです」。特に、こうした行動は両義性を孕んでもいる。28歳のマリーはアンナとの複雑な関係についてこう回想する。「友人たちが集まるパーティーに一緒に行くと、彼女にとってその場で存在感を発揮する唯一の方法は、私をおとしめることでした。でも私が落ち込んでいると、アンナは私を慰めてくれて、頼れるのは彼女だけだと感じさせるのです」

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他者の意志を操縦する

毒になる関係では、非難や脅しも頻繁に見られる行動だ。「他者の意志を操縦する」ため、と哲学者のエルマンは言う。「たとえばセシルがカミーユを非難するとき、彼女は自分が下した評価をみんなの前で言いたいと欲しているわけです。友情の様々な可能性を極限まで推し進めてみたいという、駆け引きのようなものです」

しかし、この有毒な関係の根源はどこにあるのだろうか? ビュッフェによれば、極度の自信なさや自己認識の欠如、さらには見捨てられる恐怖が根底にあるという。「自分自身の空虚な実存に呼応するものが他者の内にあると考える人は、自分が存在しているという感覚を持つために、友情にしがみつきます」。このタイプの人は有害な友情から個人的な満足感を得る一方で、常に安心感を求めてもいる。

こうした支配関係は破壊的な結果をもたらす。自立心の喪失、自己評価の低下……。「被害者は自分の感情、思考、行為がコントロールされていると感じます」とビュッフェは説明する。「そして、相手を怒らせてしまうという恐怖心から、自分では気づいていなくても、服従の姿勢を取るようになります」

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別れ

往往にして、友情が破綻するきっかけは、ちょっとした出来事だ。「ほんの一滴で花瓶の水が溢れるようなものです」とビュッフェは言う。「たとえば一晩で50通のショートメッセージを受け取ったときとか。ずっと感じていたけれど、それまで口に出したことのなかったことが明るみに出るのです」。ヴィルジニーの場合、頭の中で突如、スイッチが入った。その日、彼女は意図しない妊娠をしたことをジャンヌに打ち明け、彼女に支援を求めたのだ。返答は「私も問題を抱えているわ。うちの犬の具合が悪いのよ」というものだった。

支配関係にあることを意識するのはときに大きな苦痛を伴うから、相手からの最後の攻撃が必要になる場合もある。友情に欠陥があると認めることは「自分の信念、自分の投影を断念することでもあります」とビュッフェは付け加える。「こうした友情と縁を切ることは、相手が自分を損なう恐れのある行動を取っているのを認めること。同時に、こうした関係に陥った責任は自分自身にもあるかもしれないと認めることでもあります」。不健全な関係を断ち切るためには、理由を説明した上で、こうし有毒な友人と距離を取るように、そして、対話が不可能で問題の友人がこちらの言い分に耳を傾けようとしない場合は一切の接触を断ったほうがいい。それがビュッフェのアドバイスだ。

想像とは逆に、別れは決定的とは限らない。「友情がバランスを取り戻し、別の形で再生することもある」とセラピストのビュッフェは言う。「そのときは公正で、誠実で、正直な関係が戻ってくる可能性もあります」。過去から多くを学んで、互いを守る距離を維持しながら、交流を再開したいと望む人たちもいる。「今度セシルと会うときは、私たちの関係は間違いなくまったく違うものになるでしょう」とカミーユは言う。「私たちの友情は私たちを満足させてくれたけれど、それ以上に私たちを不幸にしました」

*名前は一部変えています。

思春期の有毒な友情
有毒な友情は成人より思春期の若者の方により有害な結果をもたらす可能性がある。「アイデンティティを模索中の思春期の若者は脆弱です」とセラピストのエマニュエル・メルシエは指摘する。「彼らは家族より自分が属するグループを優先する傾向があります」。その結果、ティーンエージャーは友情を過度に重視するあまり、感情に振り回されてしまう。「こうしてバランスが崩れていく。友情というつながりを失うのが怖いからです。友情はこの時期、生の中心的な位置を占めているものです」。エマニュエル・メルシエには『言葉を使って:ティーン』(4)の著書がある。

 

(1) Tatiana de Rosnay著『Nous irons mieux demain』Robert Laffont出版
(2) Michel Erman著『Le lien d’amitié』Plon出版
(3) Anne-Laure Buffet著『L’amitié : Essentielle, constructive, fusionnelle ou toxique… Quelle part de nous se joue dans ce lien puissant?』Eyrolles出版
(4) Emmanuelle Mercier著『Avec des mots : Ado』Châtaigneraie出版

Chloé Friedmann(madame.lefigaro.fr)

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