米元大統領の性的暴行を告発したE.ジーン・キャロルとは?

Culture 2023.06.10

6月9日、ドナルド・トランプが著名な米ジャーナリストであるエリザベス・ジーン・キャロルに対する性的暴行を行なったことをマンハッタンの連邦地裁の陪審が認めた。“E・ジーン”の名で知られる彼女は、1996年にトランプ氏にレイプされたことを告発していた。

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エリザベス・ジーン・キャロル氏は1990年代にトランプ氏にレイプされたと訴えていた。(2019年6月21日、ニューヨーク)。photography: Getty Images

恋愛仕事、金銭問題……悩みがあったらE・ジーンに相談してみよう!1993年以来、コラムニストである彼女は月刊誌、アメリカ版ELLEで読者のさまざまな、時には奇妙な質問に答えてきた。取り上げなかったテーマなどひとつもなかったほどだ。彼女のコラム「Ask E. Jean」(直訳すると「E・ジーンに聞いて」)は大人気のコラムだった。少なくとも、2019年12月に彼女が解雇されるまでは。

それ以降、1996年にドナルド・トランプにレイプされたことを告発し、マスコミを騒がせてきた。5月9日、連邦地裁の陪審において強姦は認められなかったものの、性的暴行があったことは認定され、身体、精神面に対する損害賠償として約500万ドル(7億円近く)をキャロルに支払うようトランプ前大統領に命じられた。

トランプがマンハッタン連邦裁判所に一度も出廷しないなか、2週間にわたって審議が行われた。1996年春、ニューヨークのデパート、バーグドルフ・グッドマンの試着室において、トランプによる強姦があったのか、性的暴行であったのか、それとも同意なし身体的接触が行われたのか、陪審員たちは現在79歳になる被告人の証言から判断する任務を課された。

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「彼のことが怖かった」

E・ジーン・キャロルが初めて元米大統領にレイプされたと発言したのは2019年6月21日のニューヨーク誌のインタビューの中だった。その中で、彼女はあるニューヨークのデパートの入り口でトランプとすれ違い、その際、彼女がエル誌にコラムを持っていたことで彼女を知っていると声をかけられたと語っている。ランジェリーのコーナーに近づいた時、当時ビジネスマンであった彼は、知人へのプレゼントを探していると彼女に伝えた。試着室の近くを通った時、身体を乱暴に壁に押し付けられ、次にタイツを引き下ろされ、「最初は指をヴァギナ」に、次はペニスを挿入したと説明した。「ドナルド・トランプのことが怖かった。[...]自分自身が恥ずかしかった[...]起きたことは自分のせいだと思っていました」と語っている。そして続けた。「この件について書いた時、彼はそんなことは起きていないと言いました。彼は嘘をつき、私の評判をぶち壊しました[...]私は、自分の人生を取り戻すためにいま、ここにいるのです」

ドナルド・トランプはこの証言を完全に否定し、キャロルを「噓つき」と呼んだ。「こんな人に会ったこともない」と発言しているが、この著名な女性と彼女の元夫と一緒に写っている古い写真がある。「自分の最新の本を売ろうとしているだけ。それが彼女の目的だということがわかるはずさ」。こう言ってトランプは片付けようとした。

これらの攻撃に憤慨したE・ジーン・キャロルはドナルド・トランプを法的に訴え、金額未定の損害賠償を要求した。「公の場で勇気を出して声を上げたことによってハラスメントを受け、あるいは暴行され、黙らされ、左遷され、笑いものにされた全ての女性のために裁判を起こしました。この国では法から逃れられる人はいるべきではありません」と彼女は2019年11月4日にツイートした。

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ミス・チアリーダーUSA

1943年12月12日、ミシガン州デトロイト市に生まれたE・ジーン・キャロルは、インディアナ州の二番目の都市、フォートウェインで育った。父親は発明家、母親は政治家だった。若いころから自分でコラムを書きたいと考えていたが、誰にもその夢を語ったことはなかった。

インディアナ大学ではパイ・ベータ・ファイ女性クラブに所属。子どもの頃は「ベッティ・ジーン」というあだ名をつけられていた彼女は、大学時代スポーツが得意だった。アメフトのポンポンガールになり、ミス・チアリーダーUSAのタイトルまで獲得した。おかげで高額な奨学金を手に入れることができた。1963年、エリザベス・ジーン・キャロルはミス・インディアナ大学の座も獲得した。

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屈指の雑誌コラム

大学を卒業したのち、彼女はアフリカへと飛び立った。帰国後、目指すはシカゴ。ジャーナリズムの世界で名を挙げるべく奮闘する。目標は成功。若い彼女はすぐにあらゆる社交界のパーティーに招待される。そのひとつでドナルド・トランプと出会っている。

仕事は評価され、1993年からエル誌で自身のコラムを獲得。1994年から1996年、“E・ジーン”はケーブルチャンネル「America's Talking」(アメリカズ・トーキング)でも番組を展開。あまりの評判に2003年にはシカゴ・トリビューン紙が挙げる最高の雑誌のコラム上位5位に入ったほどだ。その後、読者の質問とそれに答えるチュートリアルのサイトも立ち上げた。

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一心に引き受けた独立心

エリザベス・ジーン・キャロルには何よりも大事にする上価値観がある。それは独立だ。「私は生涯ほとんど独身で過ごしてきて、あらゆる重荷から解放されていました」とThe Cut誌に打ち明けている。そしてこう観察する。「私は1960年代から70年、80年、そして90年代まで働いてきました。当時は女性がひとりで道を歩いていたら、必ずと言っていいほどナンパされるし、仕事をしてもしかるべき賃金を得られなかった時代です」

いま、コラムニストの彼女は新たな戦いが始まった。女性に向けられた暴力を告発する、明るみに出すことだ。

text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr) translation: Hana Okazaki, Hide Okazaki

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