文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回は彼女とも親交のあった、フランソワーズ・サガンの言葉をご紹介。
飲酒のイメージが強いサガンだが、アルコールだけでなく、若い頃から彼女がドラッグの常習者だったことは知られている。21歳の時、愛車ジャガーで車の事故を起こし、瀕死の重傷を負って入院していた時に、アルコールよりもっと強烈な症状を引き起こすドラッグというものを知り、すっかり夢中になったという。だからこの言葉も、もしかしたらアルコールだけでなく、ドラッグを使っている時、という意味も入っているのかもしれない。
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車の事故から立ち直ったサガンは、翌1958年8月8日におしゃれなリゾート地として知られる海辺の町、ドーヴィルのカジノにいき、ギャンブルに8という数字を賭けたら、800万フランを勝ち取ったという伝説的なエピソードが残っている。それをすぐに使い切りたいため、近くの瀟酒な別荘を購入したという。
父親に溺愛されて、家族の中でも「わがまま娘キキ」といわれていたサガンは、使用すれば社会的に手痛い制裁を受けるのは知っていたし、どんなにドラッグがいけないことだと分かっていても、なかなか止めることはできなかったようだ。米の作家スティーブン・キングは「狂人と酔っ払いには神が宿る」といっていたそうだが、サガンもおそらく酔っ払いやジャンキーには特別な親しみが持っていたのだろう。
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怯えた少女のような感性を持ち続けた彼女は、知らない人には極端に警戒心が強く、他人の言葉には疑心暗鬼だったが、唯一酔っ払いの言葉にだけは、耳を傾けていたのかもしれないし、自分も本音を語っていたのだろう。
私が知り合った頃、1980年代半ばのサガンは、少し前に麻薬法違反で取り調べを受けていたし、その直後だったので、さすがその方面には手を出さなくなっていたようだ。パリ左岸、シェルシュ・ミディ通りの自宅で、薔薇の花咲く庭先を眺めながら、静かに私とアールグレイを啜っていた。
若い頃のドラッグやアルコールに溺れていた頃の彼女にも、会ってみたかった。
フランソワーズ・サガン
1935年、フランス生まれ。1954年、『悲しみよこんにちは』でデビュー。以降小説、戯曲、随筆など代表作多数。2004年、心臓疾患のため逝去。
フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!
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