ブリトニー・スピアーズの自伝で明かされた10の秘密。

Culture 2023.10.26

2023年10月24日、歌手ブリトニー・スピアーズは自伝『The Woman in Me(原題)』について初めて語った。彼女の最も印象的な10の告白を振り返ろう。

ブリトニー・スピアーズについては全部知っていると思いがちだが、それは誤解だ。10月24日に彼女の自伝『The Woman in Me(原題)』が発売された。彼女にとって、彼女の真実をついに告白する機会となった。今年最も待ち望まれた本のひとつであるこの本の核心には10の驚きの告白が含まれている。

19歳で妊娠中絶

1999年から2002年にかけて、ブリトニーはジャスティン・ティンバーレイクと交際し、幸せな関係を築いていた。しかし、2000年にブリトニーが妊娠した時、ジャスティンは親になる覚悟ができておらず、ブリトニーに中絶を求めた。「それが正しい決断だったのかわからない。私だけの判断だったら中絶はしなかったと思う。けれど、ジャスティンは父親になる覚悟がなく、心の準備ができていなかった」と彼女は自伝に書いている。一方、19歳という若さにもかかわらず、ブリトニーは子どもを持つことにはかなり前向きであったようだ。「妊娠には驚いたけれど、私にとっては悲劇ではなかった。ジャスティンをとても愛していたから」と説明した。最終的には彼女の恋人がこの状況において最終的な決定権を持った。ブリトニーはまた、妊娠中絶手術を秘密裏に行わなければならなかったことを明らかにした。彼女の家族は中絶を受けることを許容しない家庭であり、またファンに知られたくなかったためである。ブリトニーは次のように述べている:「妊娠し、中絶をするつもりであることを、家族やファンには知られたくなかったから、すべてを秘密裏に行う必要があった」。この出来事は、23年経った今も彼女の記憶に深い印象を残している。

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ジャスティンは簡素な言葉で別れを告げた

「もう終わりにしよう」という非常に簡潔なメッセージで、ジャスティン・ティンバーレイクは2002年、ブリトニー・スピアーズに別れを告げた。3年間の交際の後、ふたりは簡素なメッセージで終止符を打ち、これにより若き日のブリトニーは深く悲しんだ。ブリトニーは、「私はルイジアナでぐったりしていたのに、彼はハリウッドを楽しんでいた」と記述し、彼らの間に生じた違いを示唆した。ジャスティンは、同年に不滅のヒット曲「クライ・ミー・ア・リヴァー」を発表したが、この曲はふたりの別れに触発されて作られたことで知られている。

ブリトニーはジャスティンを裏切った

噂は本当だった。長年、ブリトニー・スピアーズがウェイド・ロブソンという振付師と浮気したこと、そしてそれが彼らの別れの原因だったと言われていた。「私たちはスペインのバーで一晩過ごし、キスしました」とブリトニーは告白した。しかし、ブリトニーはジャスティンにすべてを話し、「たった一度」だけだったことを伝え、その結果、関係を修復したと語っている。しかし、それも長続きしなかったようで、わずか数か月後、ジャスティンは別れのメッセージを送り、ブリトニーはショックを受けた。

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クリスティーナ・アギレラはブリトニーを深く傷つけた

2000年代がブリトニー・スピアーズの時代なら、クリスティーナ・アギレラの時代でもあった。1993年にディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」でふたりは出会い、当時は仲良しだったが、10年後にはライバルになった。そして、2003年に発表された「ローリング・ストーン」誌の表紙も緊張感を高めた出来事のひとつだった。クリスティーナ・アギレラはその表紙でジャスティン・ティンバーレイクと腰を合わせてポーズをとり、共同ツアーを発表した。「ローリング・ストーン」誌は「最もセクシーなツアー」と評した。これは、ジャスティンとブリトニーの別れからわずか1年後の出来事だった。

ブリトニー・スピアーズは自伝の中で、「彼らが意地悪しようとしているわけではなかったかもしれないけれど、私には彼らが傷口に塩を塗っているように感じられた。私もひとりの人間だし、こういった大見出しに深く影響されてしまうほど傷つきやすい人間だということを皆なぜわかってくれないの」と自伝に綴った。関係者たちはまだこれに反応はしていない。

ついに坊主にした理由を告白

2007年、ブリトニー・スピアーズが美容院で自分の髪の毛を剃る姿が世界中に広まった。16年後、彼女がその行動の理由をようやく明かした。「私は成長する過程で、人々に見られることに耐えてきた。10代から、私の体に対する他人の意見を聞き、上から下まで見られてきた」と『The Woman in me』で説明している。そして、彼女は次にこう付け加えた。「髪の毛を剃ることは、自分の身を守るための反抗だった」。ファンやパパラッチからスポットライトを浴びながら過ごす生活は、ブリトニーに精神的なダメージを与えた。これに加え、ふたりの子どもの父親であるケヴィン・フェダーラインとの困難な離婚から立ち直ろうとしていた。しかし、この出来事は重大な影響を与え、2008年から父親であるジェイミー・スピアーズの監護下で生活しなければならなくなった。ブリトニーは自身の髪を伸ばすことや、健康状態を回復させることが求められた。「髪を伸ばすように言われ、体調を整える必要があった。早く寝なければならず、指示された薬を全て服用しなければならなかった」とブリトニーは明かした。そして、これにより、彼女は不幸にもひとつの苦境から別の苦境へと移行した。

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父親の13年間の後見人生活を振り返る

2021年11月、ブリトニー・スピアーズは長い法廷闘争の末、ついに後見人である父ジェイミーから解放された。しかし、父親が彼女の人生のすべてを支配していた13年間、自由を奪われた時期をどのようにブリトニーが乗り切ったかを私たちは知らない。『The Woman in Me』の中で、彼女はこう書いている。「ただのロボットではなく、一種の子どもロボットだった。私は子ども扱いされ、自分自身を認識できなくなっていた」。実際、ジェイミーは娘に関するすべての決定を下し、薬を与え、食事制限を課し、特定のセレモニーへの出席を強要し、歌手としてのキャリアをどのように進めるべきかを指示していた。

2021年にブリトニー・スピアーズが提訴した裁判での重要な瞬間のひとつを思い出す。ブリトニーが裁判官に向けて発した非常に意味深い言葉だ:「父やこの後見人制度に関与したすべての人たち、特に私がツアーについて“ノー”と言ったときに私を罰した人たち、彼らは皆、刑務所に入るべきです」。その後、ブリトニーは自由の身となり、Instagramで踊ったり、ついに自分の物語を語ったりする自由を得た。

父親が息子たちとの面会を制限していた

元夫ケヴィン・フェダーラインとの間にもうけた現在18歳のショーンと17歳のジェイデンのふたりの息子の母親として、ブリトニー・スピアーズは後見人期間中、ふたりに会うために戦わなければならなかった。父親のジェイミーは、彼女のすべての所有物への完全かつ独占的なアクセス権を持つだけでなく、彼女が誰と会うかも決めており、ふたりの息子も例外ではなかった。何度も入院した後、ブリトニーは子どもたちの親権を元夫に奪われた。しかし、ショーンとジェイデンと数分でも一緒に過ごすために、あらゆる条件と闘い、受け入れなければならなかったのは父親のせいだった。「子どもたちと昼寝をすることと引き換えに、私の自由を手に入れる。それは覚悟の交換だった。13年という月日が流れ、その間に私はかつての自分の面影を失ったように感じた。今日、父とその仲間が私の身体とお金を長い間支配していたことを思うと気分が悪くなる」と彼女は切なそうに語る。

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テレビ局の検閲

ブリトニー・スピアーズは『The Woman in me』の中で、2016年にテレビ番組で後見人制度について触れた際、テレビ局から検閲を受けたことについて言及した。「2016年にトーク番組で後見人について話したけれど、なぜかその部分は放送されなかったの」と前置きした上で、「インタビューのその部分が放送されなかった。興味深いわ」と付け加えた。英タブロイド紙『ザ・サン』によると、これは英国のITVで放送されたジョナサン・ロスが司会を務める番組であったと報じられている。観客の中にいた証人によれば、ブリトニーは実際に「私は何年も後見人制度の下におり、多くの決定が私の代わりに行われてきたような気がしました」と語ったとされている。このトークショーは、ブリトニー・スピアーズのテレビでの出演の最後となっている。

妹との関係改善に努めている

ブリトニー・スピアーズの妹であるジェイミー・リンは、ブリトニーが後見人制度の中で助けを求めたときに、「戦うのをやめて、あなたにできることは何もない」と答えたと言われている。ブリトニーは長らく妹に対して多くの怒りを抱いていた。しかし、ここ数年間、彼女は妹に対して許しを示す覚悟を持っているようだ。「彼女はいつだって私の妹だし、私は彼女と彼女の素晴らしい家族を愛している。私は彼女と私に害をもたらしたすべての人々に対して怒りよりも共感を感じられるように努力している。簡単ではないけれど」と、ブリトニーは自伝の中で述べている。

MTVミュージック・アワードでは蛇が怖かった

2001年、ブリトニー・スピアーズはMTVミュージック・アワードでの注目を浴びるために、ステージ上で蛇を使ったパフォーマンスを行うことを決意した。しかも、普通の蛇ではなく、パイソンと呼ばれる大蛇を使用した。その映像は忘れられない。今日、ブリトニーはパフォーマンス中、ニシキヘビと目が合ったら殺されると感じたため、冷静さを保たなければならなかったと明かした。「皆わからなかったと思うけれど、私が歌っている間、ヘビは私の顔のすぐそばまで頭を近づけてきて、シューと音を鳴らし始めたの」と述べた。とはいえ、このパフォーマンスは素晴らしい映像を提供し、「MTVミュージック・アワードの歴史的瞬間になったけれど、それは見かけ以上に恐ろしいものだった」と彼女は説明している。

text: Gaspard Couderc (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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