恋愛映画の巨匠、アルノー・デプレシャンが説くフランスの恋とは?

Culture 2023.12.29

フランス人のリアルな恋模様を美しく、大胆に描いてきたアルノー・デプレシャン監督。彼が思う"恋"とは、いったいなんだろうか。恋愛映画の在り方、そして恋によって人々が得られるものとは......?

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Arnaud Desplechin
1960年、フランス生まれ。1991年デビュー作『二十歳の死』で数々の賞を受賞。現在、『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』が公開中。

ヌーヴェルヴァーグ時代の恋する男の代表はジャン=ピエール・レオーが演じたアントワーヌ・ドワネルだが、現代のドワネルといえばアルノー・デプレシャンの分身とも言えるポール・デダリュスだろう。『そして僕は恋をする』(1996年)、『あの頃エッフェル塔の下で』(2015年❶)に登場するマチュー・アマルリック扮するポールは、内気で受け身でありながら女性を虜にし、複数の相手と恋愛を重ねる。

デプレシャンは自身の映画で恋愛を描く理由を、こう語っている。

「私にとって恋愛とは、決してうまくいかないもの。だからこそ人は夢中になり、欲するのです。私が大好きなトリュフォーの映画の一本に、『暗くなるまでこの恋を』(69年)がありますが、このなかに、『愛は苦しいもの?』『そう、愛は苦しい』『愛は歓びであるとともに苦しみだ』というやりとりがあるのですが、まさにそのとおりだと思います。また、恋愛というと軽い浮ついたイメージがありますが、哲学のように知識を得られるものです。恋をしている時、ケンカをする時、別れなければならない時、それぞれの段階で何かを学べるし、複数の相手と付き合えば異なることが学べる。相手によって愛し方も変わるものだから」

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❶『あの頃エッフェル塔の下で』 『そして僕は恋をする』の続編とも言える、初恋と青春の日々の追憶。
●監督・共同脚本/アルノー・デプレシャン ●出演者/カンタン・ドルメール、ルー・ロワ=ルコリネほか ●2015 年、フランス映画 ●123 分 ●Amazonプライム・ビデオほかにて配信中

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新作『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』(22年❷)は、姉のアリスと弟のルイの物語を主軸にしながら、ルイとそのパートナー、フォニアとの関係も語る。家族と反目するルイは、人里離れた山奥でフォニアと静かな暮らしを営んでいる。

「家族と喧嘩ばかりしてきたルイはフォニアに出会ったことにより、ずっと抱えてきた家族との関係を修復することができる。恋愛は、葛藤、誤解、ライバル意識などを孕む家族から抜け出す手段であり、それによって彼は救済されるのです」

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❷『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』 仲違いしていた舞台女優の姉と詩人の弟が、両親の事故によって再会、憎しみの出口へ向かう。
●監督・共同脚本:アルノー・ デプレシャン ●出演:マリオン・コティヤール、メルヴィル・プポーほか ●2022年、フランス映画 ●110分 ●Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下ほか全国にて順次公開中

デプレシャンの映画では、恋愛のイニシアチブを握るのはどちらかといえば女性たちであり、男たちはうろたえ、引きずられている印象がある。それは彼が日常のなかで感じる、フランス的な恋人たちの姿なのだろうか。

「私自身、若い頃はとてもシャイで、恋愛に成功することがほとんどありませんでしたが、私自身の経験との繋がりというよりは、私が愛する映画との繋がりによるものです。映画ではそういう男女の形のほうが映えると思うから。たとえばスクリーンの男優を想像する時、ケーリー・グラントやジェームズ・ステュワートのように、ちょっと狼狽してリディキュールなイメージの男優に私は惹かれます。男優は自分が滑稽であることを受け入れた時に、とても魅力的になる。一方グレタ・ガルボやマリリン・モンローにそうしたイメージはない。素晴らしい女優は、キャラクターをより華々しく見せてくれるものです。『終電車』(80年)では、感情に振り回されるジェラール・ドパルデューの役に対してカトリーヌ・ドヌーヴ演じるヒロインは、何があっても凛とした魅力を保っている」

結婚や不倫、三角関係といったさまざまな形は、愛の本質にどう影響を及ぼすかについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「フランスは歴史的に、自由思想や宮廷風恋愛を経てきた国ですから、日本とはかなり土壌が違うかもしれません。それに私が育った時代はヒッピー文化の頃だったので、いまの若者ともまた差があると思います。でも私が考えるに、愛にとって形式は関係ない。結婚のような制度は愛を形式に押し込める罠でしょう。ブラッサンスの歌で、『僕は君に決して結婚してくれと言わないだろう。君を愛しているから』という歌詞があるのですが、私はこの歌を12歳の頃に聴いて、これこそ僕の考えだと思いました(笑)。私が惹かれる愛は、日常を一変させるようなもの。それが居心地のいいものだったり、習慣化してしまっては、魅力的でなくなってしまう。愛がないのに形だけ残っているというのは最悪です。だからそこから逃げなければならない(笑)

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私がフィリップ・ロスの原作を映画化した『レア・セドゥの いつわり』(21年❸)は不倫のドラマですが、ふたりに罪悪感はない、ただ失望があるだけ。不倫関係というのは、いつかは終わりがくる。でもそれゆえに瞬間、瞬間がとても貴重なものになる。たとえば一緒にお茶を飲むような平凡なことだったとしても、これが最後かもしれないと思えば違うものになる。突然平凡な行為が崇高なものになる。だから素晴らしいのです。

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❸『レア・セドゥのいつわり』 フィリップ・ロス原作『いつわり』をレア・セドゥ主演で製作した濃密恋愛ドラマ。
●監督・脚本/アルノー・デプレシャン ●出演/ドゥニ・ポダリデス、レア・セドゥほか ●2021年、フランス映画 ●102分 ● Amazonプライム・ビデオほかにて配信中

不倫で思い出しましたが、私がパリに出てきた頃、著名な映画評論家であるセルジュ・ダネーの講義を取っていたのですが、とても印象的な言葉がありました。彼は、愛というのは常にふたりの間のことだと思いがちだけれど、それはロマンティシズムであって、本来は3人のものなのだと。ふたりが回っていくためには、たとえばライバルのような、それを観察している3人目の存在が必要だと。トリュフォーの『突然炎のごとく』(61年)や、『恋のエチュード』(71年)のように。愛のロマンティシズムは幻想にしかすぎず、実際はロマネスクなものなのだと語っていたのですが、私は彼の定義に賛成です」

すでに撮影に入っている次回作では、再びポール・デダリュスの物語を描くという。恋愛映画の巨匠はこれからも我々に、「平凡な日常を突き破る崇高な瞬間」を見せてくれるに違いない。

*「フィガロジャポン」2023年11月号より抜粋

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