アラン・ドロンと長男アンソニー、長年の確執とは?
Culture 2024.01.09
アラン・ドロンと彼の長男アンソニーの関係は何度かスキャンダルになり、しばしばゴシップ誌で取り上げられてきた。しかし、論争を乗り越え、いまでは過去を清算し、ふたりの関係は穏やかなものとなっているようだ。
1988年12月1日、テレビで共演したアンソニーとアラン・ドロン。photography: Getty Images
「ドロン家の王朝」の終焉か? いずれにせよ、フランス映画の巨星アラン・ドロンの長男アンソニーと愛娘アヌーシュカの確執によって、一家は弱体化している。アンソニーは87歳の父親の健康状態を妹アヌーシュカが秘密にしていたと非難している。一方、アヌーシュカはこれらの主張を完全に否定しており、彼女はそれを「アンソニーによる恨み、嫉妬、復讐」だと見ている。彼女の弁護士であるクリストフ・アイラが1月4日(木)『ル・フィガロ』紙に語った言葉では、「明らかに解決されていない昔からの争い」が関与していると述べている。主な利害関係者は誰か? アラン・ドロンは、「メディアでの暴露に非常にショックを受けている」と語り、長男を提訴することを決めたようだ。長男との関係は長い間険悪だった。
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「父は私を愛していなかった」
"アラン・ドロンの息子"という伝説的俳優の名前を背負うのは容易ではない。また、父の影響を受けずに生きることも、父がときに自分を話題にすることも避けることは難しい。アンソニー・ドロンはそのことを重々理解している。彼が支払わなければならない代償は、2022年3月に出版された著書『Entre chien et loup(原題)』に詳しく書かれている。59歳の俳優は、この著書の中で、自身と父親との深い関係性を探求している。過酷で難しい状況や出来事を描きながらも、真の許しも描かれ、尊敬される反面、恐れられる父親の難しい姿を強調している。
この自伝の中で、アンソニーの記憶には、アラン・ドロンの厳しさがしばしば許容範囲を超えた瞬間が刻まれている。「父であるこの男は私を愛しておらず、私の一部を破壊させた。しかし、私は、父が、若者の典型的な愛と限りない熱意をもって、この世の他の何ものでもなく私を求めていたと思う」と彼は綴っている。ページをめくるごとに、ナタリー・ドロンの息子アンソニーは、アラン・ドロンの"欠落した日々"をより細かに描写している。父の暗黒面が支配していた日々。2022年5月の日刊紙『ウエスト・フランス』のコラムで、彼は幼い頃、食卓にうまく座れなかった時の昼食のことを語っている。「父は苛立ちながら『フォークで口に運ぶのであって、逆ではない』と叫んだ。3回目の発言の後、父は皿を窓から投げ出し、『部屋に行け!』と叫んだ。『再び彼の中の悪魔に取り憑かれたように』、有名な俳優でもある父は革の鞭を取り出し、それで私を打った。『犬にさえこの鞭を打たないのに......』と父は言った。」
屈辱はそこで終わらない。「父は、10歳の時から何度も私を屈服させ、弱体化させようとした。成人になる年齢でもそうであった」とアンソニー・ドロンは日刊紙『ウエスト・フランス』に語っている。その後、彼は自身のブランドのレザージャケットが自分の息子の商品の影に隠れてしまうことを恐れて、息子のブランドを消滅させ、収益が見込まれる日本での広告撮影を禁止した。「私が生きている限り、絶対に日本にはドロンはひとりしかいない、それは私だけだ」と述べた。母親のナタリーはどう思っていたのだろう? 誰もわからない。しかし、アンソニーは死の直前まで、彼女の揺るぎないサポートを得ていた。アンソニーは著書の中で、自らを「雀の体をした獅子」と表現している。
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戦争と平和
しかし、映画界の巨星である父への憧れから、アンソニーは映画や舞台の道を歩むようになった。それは父に認められたいという気持ちからだったのだろうか?「ある時、父が劇場で私の舞台を特別に見に来てくれた後、父は言った:『舞台では君だけが目立っていた』。しかし、私はそれが俳優にではなく、息子に向けられた言葉だと理解した。」それは息子アンソニーが長く待ち望んでいた受け入れられた瞬間だった。
シャンゼリゼ大通りにあるレストラン、ドラッグストアのリニューアルオープン時のアンソニー・ドロンと父アラン。(パリ、2004年2月5日) photography: Getty Images
そして年月は流れ、橋の下には水が流れ、アンソニーの憎しみは次第に武器を置き、徐々に許しへと変わっていった。「これらは生きていく上で許容できないネガティブな感情だった」と彼は打ち明ける。しかし、アンソニーは今、父親が何ヶ月も音信不通になるなど特に連絡を取らなくても平気なタイプであるにもかかわらず、父親を信じている。息子がこの哲学を取り入れたのは、父親の幼少期のトラウマに気づいてからだ。「父が私に対してそのように振る舞ったのは、彼自身が不幸で見捨てられた子どもだったこと、両親が離婚したときには4歳で里親に預けられたからだと理解した。母親は息子が17歳になると息子がインドシナで戦争に行くために免除書に署名した......これが母の愛なのだろうか?」
それでも、自然な感情が時に勝り、アンソニーと父親の関係は依然として複雑で、常に波風が立っている。アンソニー・ドロンは雑誌「ガラ」の中で、父親は努力はしているが、「どうしても優位に立ち、私を傷つける」と認めている。それにもかかわらず、息子は今や、信念が異なる偉大な父に対して自己主張することができるようになっている。2013年、アラン・ドロンがフランスにおける国民戦線への支持を表明したときのように。アンソニーは躊躇することなく父親の発言に反対し、それを「ぞっとする」と表現した。「彼は俳優だ。彼は政治学者として即興で演じるよりも、映画を作ってクリント・イーストウッド風の最期を見せた方がいい」と、恨みっこなしで付け加えた。クリスマス・イブ、彼はふたりの娘ルーとリヴとともに父の食卓についた。おそらく、不在だった父親が、現在の祖父として名誉挽回した証拠だろう。しかし、アラン・ドロンと非常に近い存在の娘のアヌーシュカに対するアンソニーの今回の攻撃は、火に油を注ぐことになりそうだ。そして、過去の傷跡を再び呼び起こすのだろうか?
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【写真】アラン・ドロンと子どもたち
ナタリー・ドロン、アラン・ドロン、アンソニー・ベベ。(フランス、1964年)
Instagram /@therealanthonydelon
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自宅にいるアラン・ドロンと妻ナタリー、息子アンソニー。(パリ、1964年)
photography: Zuma / Zuma/ABACA
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アラン、ナタリー、アンソニー・ドロン。(フランス、1966年1月1日)
photography: Alain Dejean / Sygma via Getty Images
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アンソニー・ドロンと母ナタリー・ドロン。(1970年)
photography: APS-Medias / APS-Medias/ABACA
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映画『タンタン』のプレミアに出席したアラン・ドロン、妻ナタリー、息子アンソニー。(パリ、1969年12月15日)
photography: Michel Ginfray / Sygma via Getty Images
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ボクサーのジャン=クロード・ブティエを従えたアラン・ドロンと息子のアンソニー。(モンタルジ、1969年)
photography: Zuma / Zuma/ABACA
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ディズニーランドでのアラン・ドロンと息子のアンソニー、パートナーのミレイユ・ダルク。(カリフォルニア州、1971年2月)
photography: Michel GINFRAY / Gamma-Rapho via Getty Images
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ディズニーランドで休暇を過ごすアランとアンソニー・ドロン。(ロサンゼルス、1979年2月)
photography: Michel GINFRAY / Gamma-Rapho via Getty Images
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映画『危険なささやき』のプレミアで、パートナーのアンヌ・パリロー(白い服)、元恋人のロミー・シュナイダーとミレイユ・ダルク、息子のアンソニー・ドロンと並ぶアラン・ドロン。(パリ、1981年9月8日)
photography: Serge BENHAMOU / Gamma-Rapho via Getty Images
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シャンゼリゼ通りを歩くアランとアンソニー・ドロン。(パリ、1982年9月1日)
photography: Michel GINFRAY / Gamma-Rapho via Getty Images
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『101匹わんちゃんII パッチのはじめての冒険』のプレミアに出席したアラン・ドロンと娘のアヌーシュカ。(パリ、2002年10月1日)
photography: Bertrand Rindoff Petroff / Getty Images
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ディズニーランドを訪れたアラン・ドロンと3人の子どもたち、アンソニー、アヌシュカ、アラン=ファビアン。(パリ、2003年11月8日)
photography: Peter Bischoff / Getty Images
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アヌーシュカ、アラン=ファビアン、アラン・ドロンの3人がメダイユ・ド・ラ・ヴィルを受賞。(パリ、2006年)
photography: Bertrand Rindoff Petroff / Getty Images
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アラン・ドロンと2人の子どもたち、アラン=ファビアンとアヌーシュカがアンヌ・ゴシニーと一緒に映画『Astérix aux Jeux Olympiques(原題)』の試写会に出席。(パリ、2008年1月13日)
photography: Van de Vel Jan / Van de Vel Jan/Reporters/ABACA
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「Une journée ordinaire」を観劇後のアラン・ドロンとアヌーシュカ・ドロン。(パリ、2011年1月21日)
photography: Bertrand Rindoff Petroff / Getty Images
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カンヌ国際映画祭でのアラン・ドロンと娘のアヌーシュカ。(カンヌ、2011年5月)
photography: Hahn-Nebinger-Orban / Hahn-Nebinger-Orban/ABACA
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アヌーシュカとアンソニー・ドロン。 (パリ、2012年)
photography: Reynaud Julien / Reynaud Julien/APS-Medias/ABACA
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アラン=ファビアンとアンソニー・ドロン。(パリ、2015年)
photography: Genin Nicolas / Genin Nicolas/ABACA
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展覧会を訪れたアンソニー・ドロンとミレイユ・ダルク。(パリ、2016年1月)
photography: Wyters Alban / Wyters Alban/ABACA
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ミレイユ・ダルクの葬儀に参列したアンソニーとアヌーシュカ・ドロン。(パリ、2017年8月28日)
photography: Berzane-Wyters / Berzane-Wyters/ABACA
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カンヌ国際映画祭でパルム・ドール・ドヌールを受賞したアラン・ドロンとアヌーシュカ・ドロン。(カンヌ、2019年5月19日)
photography: Hahn Lionel / Hahn Lionel/ABACA
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カンヌ国際映画祭でパルム・ドール・ドヌールを受賞したアラン・ドロンとアヌーシュカ・ドロン。(カンヌ、2019年5月19日)
photography: Hahn Lionel / Hahn Lionel/ABACA
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ケリング・フォーウーマンのディナーに出席したアラン・ドロンとアヌーシュカ・ドロン。(カンヌ、2019年5月19日)
photography: Domine Jerome / Domine Jerome/ABACA
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ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀でのアンソニーとアラン・ドロン。(パリ、2021年9月6日)
photography: Prezat Denis / Prezat Denis/ABACA
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アラン・ドロンと息子のアラン=ファビアンとアンソニー、ふたりの孫娘ルーとリヴ。(フランス、2023年12月31日)
Instagram /@alainfabiendelon
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アラン・ドロンと娘のアヌーシュカ。(フランス、2024年1月1日)
Instagram /@anouchkadelon
text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi