泥沼裁判状態のアラン・ドロン一家、今度は次男が長女を告訴!

Culture 2024.01.11

アラン・ドロンの長男アントニーが異母妹のアヌーシュカを警察に通報したのに続き、今度はアヌーシュカの実弟である次男がインスタグラムで姉を非難、さらに姉を告訴したことを発表した。これまであまり表立って発言をしてこなかった次男とは一体何者だろう。

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2020年パリファッションウィーク春夏コレクションでのアラン=ファビアン・ドロン。(フランス、2019年6月21日)photography: ABACA

姉と兄がテレビや新聞雑誌に登場して非難合戦を繰り広げているのに対し、アラン・ドロンの末っ子、29歳のアラン=ファビアンはこれまで比較的目立たない存在だった。もっともアラン・ドロン家で何ヶ月も前から起きている争いの渦中にアラン=ファビアンも当然いる。姉のアヌーシュカ33歳、異母兄のアントニー59歳と共に父の「同居人」のヒロミに対し、弱者虐待の訴えを起こしたのが昨年7月のことだった。健康状態が危ぶまれる88歳の映画界のレジェンドの子ども3人が一致団結して日本女性のヒロミに対抗する構図にマスコミは飛びついた。しかしながら固い結束力は見かけ倒しで、きょうだい間でのつばぜりあいが早くも始まっている。

2024年1月4日の「パリ・マッチ」誌によれば、ナタリー・ドロンを母とする長子のアントニー・ドロンは、父親の健康状態に関する情報を隠していたとして異母妹のアヌーシュカを警察署に通報した。アヌーシュカはこれに対抗してアントニーを名誉棄損で訴えた。その後、アントニーがBFMテレビに出演し、次いでアヌーシュカがTF1テレビに出演した。アントニー、アヌーシュカ、アヌーシュカ、アントニーと2人がここ数日でマスコミでの応酬に明け暮れている間、ロザリー・ヴァン・ブレーメンを母とする末っ子のアラン=ファビアン・ドロンはおとなしくしていた。ところが2024年1月8日になり、姉のアヌーシュカを追い詰めるような録音をインスタグラムに投稿し、翌日には「弱者の脆弱性の悪用」で姉を告発した。そしてこれまではもっぱらSNSでしか発言してこなかったのに2024年1月9日、BFMテレビに出演。アヌーシュカが父親を利用し、自分たちを脅していると非難し、兄に味方した。「最低なやり口だ。(中略)とても深刻なことが起こっている」と彼はテレビでぶちまけた。

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傲慢な気取り屋

彼のテレビ嫌いが知れ渡っていたからこそ、このテレビ出演は衝撃だった。これまで数えるほどしかないテレビ出演はアラン=ファビアンにとって嫌な思い出でしかなかった。たとえば2019年に本人の生い立ちが色濃く反映された処女小説『De la race des seigneurs(原題訳:個人生活)』を発表した時のことだ。テレビ番組「コティディアン」に出演したところ冷笑を浴びた。「傲慢」「気取り屋」等々、アラン=ファビアンのイメージは瞬く間に失墜し、ネットではいまも「アラン=ファビアン......メロン」と嘲笑われているぐらいだ。

アラン・ドロンとモデルのロザリー・ヴァン・ブレーメンとの間に、1994年に生まれたアラン=ファビアンは外面よりもずっと繊細で愛すべき人物のように見える。2019年の「リベラシオン」紙の記事によれば、スターの子どもらしくフランス、オランダ、スイスの恵まれた環境で学校教育を受けたものの、愛情には恵まれなかったようだ。アラン・ドロンの最初の結婚相手であるナタリー・ドロンとの間に生まれたアントニーは少し前、BFMテレビでこんなふうに語っている。「アラン=ファビアンには何もなかった。彼の育った家庭では、姉が全てだった。想像するにゾッとする暮らしだ。"娘が一番美しく強い"と言っているような父親と暮らすなんて。単純な話、アヌーシュカが9割で弟には1割だけ......」。だからだろうか、弱冠15歳で薬物依存症の矯正施設に送られたのは。

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犯罪歴

幼い少年の頃はロワレ県ドゥシーの家に住み、庭で犬やガチョウに囲まれて姉のアヌーシュカと遊ぶ日々だった。のどかな時代は2001年、7歳のときに両親が別れたことで終わりを告げる。その10年後、息子の反抗期に手を焼いた母親によって父親の元に送られ、一緒に暮らすようになる。9歳の頃からタバコを吸っていた少年は、2009年にマリファナ中毒の治療を受けている。「15歳の時だった。マリファナを吸っていた僕は元ヘロイン中毒者が経営するニューエイジ風の施設に入所させられた」と後にリベラシオン紙に語っている。さらに2012年、「VSD」誌の取材では、「母から、お前は麻薬中毒のろくでなしと言われた。実際には同世代の多くの若者同様、大麻を吸い、ときどきマリファナもやっていたぐらいだ。しかも母はオランダ人だったのに。もちろん、決してほめられることじゃないけれど、それで麻薬中毒扱いされるのは......」と不満を漏らしている。

こうして2011年より、アラン=ファビアンは父親と暮らすことになった。そこはレマン湖とアルプス山脈の間の高地にあり、モンブランが一望できる「奇妙な音に満ちた広くて陰気なアパルトマン」だった。当時のインスタグラムには、まだ頬がふっくらとした天使のような顔の少年が愛犬と一緒に写る姿が載っている。父アラン・ドロンとの関係はこじれたままで、反抗するティーンエイジャーは孤独だった。「それまでは殴られたことはなかった。でも、(父は)怒鳴ったり、髪を引っ張ったり、皿を投げたり、窓ガラスを割ったりすることがあった」と彼は「パリジャン」紙に語っている。クサクサした気持ちを紛らわせようと、若者は父親が留守になるとパーティーを催した。ある事件が起きるまでは。2013年、19歳になっていたアラン=ファビアンは家でパーティーを開き、少々飲みすぎた。父親が所有する銃、ナチス・ドイツの高官であったヒムラーのピストルを持ち出して遊んでいたところ、誤って発砲し、ガールフレンドのひとりの腹部を負傷させてしまう。これは刑事事件となり、執行猶予付き懲役6ヶ月の刑が言い渡され、世界的スターの息子は前科者となった。うちのめされた青年はようやく目が覚め、前向きに生きることを決意したようだ。それにしてもこの頃のアラン=ファビアンはどんな夢を抱いていたのだろう。

父親からは美しい顔立ちと鋭いまなざしを受け継いだ。アラン・ドロンとピート・ドハーティが混ざったようなアラン=ファビアンは、モデルとしてキャリアをスタート。2015年、皮肉にも父の後継としてディオールの香水「オー・ソヴァージュ」の顔となった。しかし、アラン・ドロンが最愛の娘アヌーシュカを映画界の新たなロミー・シュナイダーとして売り込む一方で、息子は父親からないがしろにされていると感じていた。昔から父親のように俳優になることを夢見ていたものの、道のりは遠かった。2013年のヤン・ゴンザレス監督のドラマ映画『Les Rencontres d'après minuit(真夜中過ぎの出会い)』、翌年には映画『Der Doppelganger(ドッペルゲンガー)』などに端役で出演した。どこまで自分の可能性を信じていたのだろう。

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父親との和解

2019年、エヴァ・イオネスコ監督の映画『Une jeunesse dorée(ゴールデン・ユース)』でアラン=ファビアンは役を得る。パリの伝説的クラブ「ルパラス」のリッチで無邪気で破滅的な日々を描いた作品は、まるでアラン=ファビアンの人生と重なるようなシナリオだった。2019年にはストック社から小説『De la race des Seigneurs(原題訳:個人生活)』を初出版。作者の分身とも言うべき主人公の青年アレックス・デルヴァルはスターの子どもに生まれ、裕福ながら悩み多い青春時代を送る。主人公は依存症から立ち直ろう、親からの愛情不足を癒そうと懸命に努力する。

来年3月に30歳を迎える彼は、こうして俳優や執筆活動を通じて自己を解放し、過去の恨みを捨てたようだ。2023年4月初旬、テレビ番組「50ミニュット・インサイド」に登場、「困難な時ほど絆は深まる」と語っている。ヒロミに対する最初の訴えを起こす前のことだ。「若い頃、父母との関係はうまくいっていなかった。父が脳卒中を起こした(2019年8月)後、回復期にソファで一緒に写真を撮った。その時、こうして横に座るのは10年ぶりだと思った」。それ以来、この12月24日のクリスマス・イブに撮られた写真が示すように、父と息子は仲良く座るようになった。だが今回のきょうだい騒動で、父子の関係が再び悪化することはないだろうか。

text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)

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