アンヌ・パリロー、アラン・ドロンとの関係を語る。

Culture 2024.04.26

フランスのテレビ番組に出演した女優のアンヌ・パリローはアラン・ドロンとの関係について語った。ふたりは1980年代初めに付き合っていた。その後の絶縁状態を経ていまでは和解しているそうだ。

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TV局フランス2の番組でのアンヌ・パリロー(左)とアラン・ドロン(右)photography: France2の画面のスクリーンショット

2024年4月20日、TV局フランス2の番組、『Quelle Époque(ケル・エポック)』に女優のアンヌ・パリローがゲスト出演し、司会のレア・サラメからアラン・ドロンとの関係について突っ込まれた。ふたりは1981年の映画『危険なささやき』での共演をきっかけに付き合うようになり、関係は5年間続いた。出会った時にアラン・ドロンは彼女の倍以上、年上だったが、いつも優しかったわけではないことを同番組で女優は暴露した。

当時のアンヌ・パリローは恋人のアラン・ドロンからしょっちゅうけなされ、内気な性格がさらにひどくなったそうだ。「内気な性格は、私をバカにする人たちと暮らすうちに形成されたのかもしれません。両親からけなされて育ち、同様に彼(アラン・ドロン)は私のことを散々けなしました」と女優は番組で語った。辛い子ども時代を過ごしたアンヌ・パリローは、恋愛において常に父親の面影を追い求めてしまっていたと言う。少女の頃、アンヌ・パリローは父親から性的虐待を受けた。そのトラウマを自分なりに初めて表現したのが2021年に出版された処女小説、『Les Abusés(原題訳:虐待の被害者たち)』だった。「いつまでもついて回ります。感情の土台がしっかり築かれないとずっと不安定なままです。得られなかった愛情を求めているのでしょう」

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和解のきっかけ

アラン・ドロンとの関係を解消した経緯については語らなかったものの、和解に至ったきっかけには言及した。「あれは精神分析をテーマにしたダニエル・オートゥイユ主演映画(『見覚えのある他人』1996年)に精神分析医役で出た後のことでした。アラン・ドロンの方から電話をしてきて、和解をしました」と言うと、「彼は『ごめん、これは認めるべきだし、今言うが、君は素晴らしい女優だ』と言ってくれました。『ありがとう』と返しました。彼がどんな大変な思いでそう言ったのか、わかったからです。彼が認めたことが重要でしたし、励まされました。彼の言葉をリュックにしまいこみ、私は前を向くことができたのです」

アラン・ドロンの3人の子どもたち、アントニー、アラン=ファビアン、アヌーシュカが1年近くも争っている状況に関する感想を求められたアンヌ・パリローは歯に衣着せぬコメントを放った。「もちろん悲しく思います。でも、とても手厳しいことを言いますが、子どもを育てるのは両親です。子どもたちの振る舞いに対し、アラン・ドロンにも責任の一端はあります。多分、子どもたちを押さえつけすぎたことが反発、恨み、怒りや不公平感を生んでしまったのではないでしょうか」

text: Léa Mabilon (madame.lefigaro.fr)

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