「人には公と、私的と、秘密の生涯がある」文豪ガルシア=マルケスの言葉に見る「人間らしい」生き方とは?

文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回はマジックリアリズムの旗手として知られるコロンビア出身のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの言葉をご紹介。


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最近Amazonの注文数の1位を飾ったガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は、それが難解な文学作品というだけでも驚かされるが、その上日本の一般的な読者にはあまり馴染みのないラテンアメリカ文学、という点でも、極めてレアな状況が生まれている。没後10年ということで、これまで封印されてきた文庫化に踏み切ったことで、読者数の幅が広がったのだろうか。

いまの時代、文章は明確に、的確に、シンプルに伝える、という流れの中で、突然そこに蜃気楼のような7世代の家族の百年に渡る膨大な物語が現出して、脚光を浴びたのだから、それこそ非現実な出来事といえる。

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マルケス本人は、「自分は成功など、夢にも望んでいなかった。遠く離れた大陸で、人口も少ない町で、ただ物語を書いていただけなのに、それは突然やってきた。見知らぬ人たちが私に会いにきて、次から次に質問をしにやってくる」と語っている。12才の頃から詩を書くのが好きで、学校で注目されていたマルケスは、退役大佐だった祖父や、祖母に育てられたせいか、昔の話をきくのが好きで、いつも架空の世界で夢想する少年時代を過ごしている。

そんな彼は野心など微塵にも持ったことなく、『百年の孤独』や『エレンディラ』などで名声を得たことで、その影響から却って苦悩するようになってしまったという。有名になったことで、気軽に他人に接することができなくなり、その結果以前にも増して孤独になっていったからだ。

世界的な傑作『百年の孤独』を書いたマルケスが、そのせいで自身が孤独に苛まれることになったのだから、皮肉ともいえる。

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マルケスの3つの生涯とは、どんなものだったのだろうか。公の人生については、すでに知られているように、世界的な名作を生み出した文豪という評価を受け、次々に作品を生み出し、ベストセラー作家としても、文句のつけようのないノーベル文学賞作家としても、見事な生涯だった。

2つ目の私生活にしても、彼は愛妻メルセデスとは50年間の結婚生活を送り、ふたりの息子に恵まれている。

3つ目の秘密の生涯は、彼が87歳で亡くなった後、メキシコ人の女性ジャーナリストとの間に、隠し子がいたことが判明していて、女の子だったという。彼は終生その秘密を貫き通していた。

魔術師、といわれることを好んだマルケスの魔術は、テクノロジー全盛の現代においても、ベストセラー作家として再登場して、いまなおその魔術はとけていないようだ。

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Gabriel García Márquez
1928年、コロンビア生まれ。退役軍人の祖父と土地の伝説に詳しい祖母に育てられ、戦争体験や迷信、伝承を身近に触れながら育ち、文学を志す。コロンビア国立大学法学科に進むが、政変に伴う混乱の中で転学、のちに生活難により中退。以降、雑誌記者、ジャーナリストとして活躍、55年にローマで現地記者をしながらイタリア国立映画実験センターで学び、のちにメキシコで映画監督としても活動することに。59年にはキューバにわたりフィデル・カストロの知遇を得、親交はお互いの晩年にまで続いた。代表作に『大佐に手紙は来ない』(61年)、『百年の孤独』(67年)、『族長の秋』(75年)、『予告された殺人の記録』(81年)など。82年にラテンアメリカで四人目となるノーベル文学賞を受賞。2014年にメキシコの自宅で逝去。

>>連載『ことばの宝石箱』を読む。

フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌をはじめとする女性誌の特派員として取材、執筆。フランスで『Et puis après』(Actes Sud刊)が、日本では『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)が好評発売中。食べ歩きがなによりも好き!

Instagram: @kasumiko.murakami 、Twitter:@kasumiko_muraka

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