塩田千春、つながりを紡ぐ。出身地の大阪で16年ぶり大規模個展を開催中。

Culture 2024.10.07

「生と死」の深淵を見つめ、作品を通じて「生きることとは何か」、「存在とは何か」を追求する塩田千春。ベルリンを拠点に活躍する塩田が、出身地の大阪で16年ぶりに大規模な個展を開催中。塩田の母校である京都精華大学教授の吉岡恵美子が話を聞いた。


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塩田千春の代名詞ともいえる、糸を使ったインスタレーションに白紙を組み合わせた作品。バンコクビエンナーレでの展覧会は「静寂とカオス」がテーマだったので、風や台風に、紙が舞っているイメージで制作した。『The Eye of the Storm』(2022年)

ちょっとだけ普段の生活から離れて、何かを感じ取ってほしい。

日本を代表する現代美術家のひとりであり、四半世紀にわたって世界中で作品を発表してきた塩田千春。彼女の故郷の大阪に2年半前に開館した大阪中之島美術館で、2024年9月14日から大規模な個展『塩田千春 つながる私(アイ)』が始まった。世界のアートシーンの第一線で活躍を続ける塩田だが、彼女と出会った人は意外な印象を持つことが多い。言葉をひとつひとつ選び、真摯に、時には「こんなことまで」と思うような話も淡々と語る。個展開始1カ月前の8月、現在、拠点を置くドイツからのオンラインインタビューを通じて塩田が語った言葉を手がかりに、彼女の"現在地"のみならず、その背景・原動力についても探ってみたい。

『塩田千春 つながる私(アイ)』では、赤いドレスとロープを用いた作品《インターナルライン》がまず来場者を迎える。塩田がドレスを用いた作品を最初に手がけたのはちょうどいまから25年前の1999年。ベルリンに来て間もない彼女は、ドレスを"第二の皮膚"と位置付けて作品を発表し、大きな注目を集めた。

「ドレスは私にとって、身体そのものはそこにないけれどその存在を表す"第二の皮膚"なのです。ドレスの作品の先には、白い糸から水がポタポタと落ちていく作品が続きます。水が落ちてはまた湯気となって巡っていくように、"生命の循環"をイメージしました」

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「第二の皮膚」を象徴する赤いドレスを用い、日々身体に蓄積される人生の記憶を表現した作品。3着の巨大な赤いドレス、垂直に吊るされた約1万本の糸、計34キロ以上もの素材を使用した壮大な作品となっている。『インターナルライン』(2022年)

塩田の作品では、抜け殻のように思える存在の痕跡も、そこに漂う記憶のかけらも、自然現象も、互いに連鎖するようにつながっていく。そのことを最も象徴的に表すのは、天井から無数に吊られた赤いロープの狭間に白い紙が舞う《つながる輪》である。紙に記されているのは、"つながり"をテーマに塩田が一般の人々から集めたテキスト。ひとりひとりが捉えた"つながり"が何百、何千とつなぎとめられ、ひとつの大きな渦となって立ち上がる。作品に込められた根源的で普遍的なテーマが鑑賞者それぞれの心身を震わせていく"共振性"は、塩田作品の大きな魅力である。

『塩田千春 つながる私(アイ)』は国内では5年ぶりの大規模な個展となる。2019年の秋、東京の森美術館で開催された『塩田千春展:魂がふるえる』は成功裏に幕を閉じたが、そのすぐ翌年から新型コロナウイルス感染症が全世界に広がった。そのような中、同展は、韓国、台湾、中国(上海)、オーストラリア、インドネシア、中国(深圳)と世界各地の美術館を巡回。塩田の作品は展示空間に合わせて、その度現地で制作されるものが多いため、彼女も展覧会とともに移動を繰り返した。

「ワクチンを打ち、PCR検査を出国24時間以内に受け、現地に着いたらホテルで2週間の隔離を経て、ようやく会場に入るということを繰り返していました」

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ベルリンのアトリエにて、糸を使った家にまつわる作品を制作する塩田。

家族をドイツに残し、普段の何倍も手間と時間とリスクをかけて個展とともに各地に赴いた塩田。大阪での今回の展示では、私たちの日常生活を大きく揺るがしたコロナを踏まえ、塩田はあらためて、"つながり"のテーマに向き合った。

「この展覧会について考えていた時がコロナの収束時期と重なっていたこともあり、コロナ以後の私たちの生活をテーマにしたいと考えました。会場すべてが見える糸と見えない糸とでつながったひとつの大きなインスタレーションのイメージです。タイトルの『つながる私』には、『I(私)』『EYE(目)』『ai(愛)』の3つの『アイ』を込めました。パンデミックの時には人と人の接触が禁止されていましたが、見えない糸であっても人とのつながりによって救われることがあると思っています。特に私はがんを2回経験して、死を間近に感じた時の家族や友人とのつながりの大切さを実感しています」

次々と大きな展覧会に呼ばれるようになった05年、塩田は卵巣がんと診断されている。手術・治療を経て、娘を出産。そのような中でも作家活動を止めることはなかった。15年にはヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表作家にも選出され、国際的な大舞台を経験。そして17年、森美術館での個展の話が決まった直後に、塩田はがん再発の診断を受けた。

「自分でも予想していない困難でしたが、乗り越えないと先がないという気持ちでした。結婚して3年くらい経って子どもができないと思っていたら、卵巣がんと診断されて。子どもが欲しかったので、医者からは再発の可能性は残ると言われながらも卵巣ひとつと子宮は取らないでいてもらったんです。その後娘が産まれて、12年後に再発した時は子宮も取りました。抗がん剤治療を受けながら、森美術館での個展のための作品を作っていかなければならなかったので、それを乗り切って完成させた展覧会を大勢の人がじっくりと見てくれていると知った時には、すごく救われた気持ちになりました。がんに罹っていなかったら、あそこまで"生きたい"と願いながら作品を作ることはなかったと思います」

なぜそこまでできるのかと驚く一方で、だからこそ見る者の魂に届く作品が生まれるのかと腑に落ちる。そのような芸術家・塩田千春はどのように作られたのだろうか。

「子どもの頃は、周りに流されながらいくつか習い事をするくらいで、家の近くに絵画教室ができて初めて自分から絵画教室に行きたい、と母に言ったんです。高校生になってからは遠くの美術館に自分で見に行くようになり、また美術科の先生の指導のもと、美術室で絵を描く日々でした。京都精華大学に進んでからは絵を描けなくなって悩んだ時期があったのですが、わりと早い段階で糸を使ったインスタレーションを試みて、空間を使った作品を作るようになりました」

現在、彼女が手がける大型作品は何人もの人が設営に加わり完成するが、大学生の頃も、貪欲な塩田が学内の空間を使って大規模な展示をする際には同級生らが駆り出されたそうだ。

「スケジュールが全然間に合わなくて、みんなを巻き込んで手伝ってもらってやっていましたね」

いまでも京都精華大学で語り継がれているエピソードだ。

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大学卒業後、近しい仲間がそばにいる環境から脱出し、塩田はドイツへ渡った。

「当時のベルリンにはアーティストが集まっていて、家賃も安く、週に数回レストランでアルバイトしたらやっていけました。学校にも行ける。着いて2週間後には自分の展覧会を開きました。いつでもどこでも展覧会ができる環境がうれしくて」

日本だと、若手作家は貸画廊を自費で借りて発表することから始めるのが一般的だが、生活費に制作費、画廊の使用料を賄うためにかなりの時間を割いて別の仕事をする必要がある。塩田は、まだ物価が安かったベルリンに学生として滞在し、自由に制作する時間と環境を得たことで、大きな一歩を踏み出したのだ。

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読売新聞で連載中の多和田葉子による小説、『研修生(プラクティカンティン)』の挿絵を描く塩田。いまは絵筆と紙をどこへ行くにも持っていって、常に絵を描いている。さまざまな包装紙の色や柄を切って貼って、画面を構成していくことも。大阪中之島美術館の個展ではその挿絵も出品される。

いま、塩田は読売新聞で連載中の多和田葉子の小説『研修生(プラクティカンティン)』の挿絵を手がけている。ドイツの会社で研修生として働くことになった主人公が異なる文化や価値観に触れ、人間関係を築いていく様子が描かれた小説だ。90年代半ばにドイツ社会に飛び込んだ塩田はこの小説の"研修生"と重なる部分があるという。

「自分のドイツでの生活の始まりと似ていてびっくりします。私も(主人公のように)ハンブルク中央駅に来た時に知り合いと待ち合わせをして、そこからスタートしました。当時は携帯電話もそこまで普及していなくて、日本とはFAXでやり取りする時代でした」

そこから30年近くの時が経った。インターネットやSNS、Zoomなどのオンラインツールが私たちの生活や仕事に欠かせないものとなった。コロナも収束し、人と人との直接的なつながりも復活した。だが一方で、人間どうしや国家間においては、歪んだ理解や無関心、衝動的あるいは構造的な暴力の連鎖はますます深まっているようにも感じられる。塩田が頻繁に用いる「糸」は分断されたものをつなぐ一方で、がんじがらめの状態も想像させる。「赤」は"痛み"と同時に"温かさ""祝祭"も想起させる。これらのことは、塩田が人間の本質への鋭い眼差しと希望の双方を作品に託している証ではないだろうか。

「全部、感じてもらいたいですね」

塩田が今回の展覧会について漏らした一言をそのまま受け止めて展覧会に向かいたい。

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Profile
1972年、大阪府生まれ。ベルリン在住。2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。15年に第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表に選出。19年、森美術館にて過去最大規模の個展『魂がふるえる』開催。20年、第61回毎日芸術賞受賞。また、アーマンド・ハマー美術館(23年)、クイーンズランド・アート・ギャラリー/ブリスベン近代美術館(22年)、龍美術館(21年)、ニュージーランド国立博物館テ・パパ・トンガレワ(20年)、南オーストラリア美術館(18年)、ヨークシャー彫刻公園(18年)、国立国際美術館(08年)を含む世界各地の個展のほか、国際展などのグループ展にも多数参加。

『塩田千春 つながる私(アイ)』

会期:開催中〜12/1
会場:大阪中之島美術館
開)10:00〜16:30 最終入場
休)月、10/15、11/5
※10/14、11/4は開館
料)一般¥1,800(平日)、¥2,000(土、日、祝)
06-4301-7285(なにわコール)
https://nakka-art.jp/exhibitionpost/chiharu-shiota-2024/

*「フィガロジャポン」2024年11月号より抜粋

photo courtesy: Bangkok Art Biennale, photography: Anders Sune Berg, Shu Hirayama©JASPAR, Tokyo, 2024 and Chiharu Shiota text & interview: Emiko Yoshioka

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