中国と北朝鮮、ふたつの国が混ざり合う地域の実情とは? 作家・山内マリコが語る、映画『国境ナイトクルージング』。

Culture 2024.10.12

黄金のバランスによって、若者のすべてを織りなす。

『国境ナイトクルージング』

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© 2023 CANOPY PICTURES & HUACE PICTURES

天然氷の切り出し、オンザロック、角氷の口移し、アイススケート。国境の観光都市、出自が違う3人の物語を"氷"が密やかに結びつける。シャワーカーテンを隔てた観光ガイドと旅人の、寸時のラブシーンも切ない。

朝鮮半島の国境というと、反射的に北緯38度の軍事境界線を思う。けれど北朝鮮のさらに北、半島の付け根のあたりは、どんなところなのだろう。

そこには中国との国境がある。本作のタイトルが指すのは、中国と北朝鮮の国境。ふたつの国の文化が混ざり合う街、延吉(えんきつ)が舞台だ。上海から来た青年ハオフォンと、地元でツアーガイドをする女性ナナ、彼女の男友だちシャオの3人が、つかの間、邂逅する。

そこはいうまでもなく極寒で、"最果ての地"と呼びたくなるような場所だ。人口の約半数が朝鮮族という自治州であり、看板にはハングルが混在する。中国の人にとっては手軽に行ける外国のような街というわけだ。ゆえに観光地特有の、どこか物悲しい旅情が漂っている。

彼らは言葉少なに、ただ街を回遊する。しきりに煙草を吸う。バイクに3人乗りする。楽しそうに、延吉観光へと出かけて行く。その姿は、パズルが嵌ったみたいにしっくりきていた。だから映画の後半、バイクに男ふたりで乗っている場面は無性にさびしい。ひとり足りない。彼らは3人でワンユニットなのだ。誰かひとりが欠けては成立しない。ふたりじゃダメなんだ。

男ふたりと女ひとりの組み合わせは、もっとも映画的な黄金のバランスである。1960年代のフランス映画、トリュフォーの『突然炎のごとく』(62年)とゴダールの『はなればなれに』(64年)によって確立した、法則のようなものだ。

2020年代の中国。国境の街を3人組が彷徨し、描かれるのは、圧倒的な倦怠感である。繁栄の坂を上り詰めたあとに広がる、何もなさ。絶望的な虚しさ。虚無感。急成長と引き換えに、その国の若者が一手に引き受けることとなる、負の遺産だ。若者はみな悲しい。そして美しい。若者についてのすべてが、ここに結晶している。

 

『国境ナイトクルージング』
監督・脚本/アンソニー・チェン
出演/チョウ・ドンユイ、リウ・ハオラン、チュー・チューシアオほか
2023年、中国・シンガポール映画 100分
配給/アルバトロス・フィルム
10月18日より、新宿ピカデリーほか全国にて順次公開
https://www.kokkyou-night.com/


文:山内マリコ / 作家
富山県生まれ。2012 年、短編集『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)でデビューを果たす。新刊は『マリリン・トールド・ミー』(河出書房新社刊)。最新エッセイ『きもの再入門』(KADOKAWA刊)が今秋10月2日に発売予定。

*「フィガロジャポン」2024年11月号より抜粋

text: Takashi Goto

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