齊藤工が信念を共有した竹林亮監督のドキュメンタリー映画『大きな家』
Culture 2024.12.13
ドキュメンタリー映画『大きな家』の舞台は、東京のどこかにある児童養護施設。何かしらの理由で実の親と離れて生きる子どもが、職員とほかの子どもたちと暮らしている。本作は、彼ら彼女らの時間を写し、その気持ちや考えに耳を傾ける。
映画のタイトルになっている「大きな家」が意味することとは? 作品を観れば、観客それぞれが見つけられるだろう。多くの人が集う場所、箱として大きな広い家、寛大に他者を受け入れる家庭。どれもが正解であり、観た人によって、自身が生きてきた時間の中で体感した何かとリンクさせて「大きな家」を解釈するのだと思う。
では、本作の作り手である企画・プロデュースの齊藤工と監督の竹林亮は、どのような心構えで映画『大きな家』と向き合ってきたのか、聞いた。
きっかけは『14歳の栞』
何がきっかけだったのか? そして、どのように齊藤と竹林は作品を作り上げるためにコミュニケーションしていったのか?
「竹林監督が撮った『14歳の栞』を観たことがアンサーだと思います」と齊藤は答えた。
映画『14歳の栞』は、ある中学校の2年6組の生徒35人全員の物語を紐解くドキュメンタリー。渋谷の映画館1館のみで上映されていたところ、口コミが広まり全国45館で公開にいたった2021年のドキュメンタリーだ。ティーンエイジャーという、人生の中で誰もがさまざまな壁にぶつかり悩み、戸惑う時期を「そのまま」写し撮った作品。齊藤工は、この作品を作りあげた竹林亮に『大きな家』を預けたい、と感じたのだそう。
「もともとはJICAでアンバサダーをしていた時にマダガスカルを訪れ、私が被写体として関わった『JICA いつか世界を変える力になる』を撮っていただいたのが竹林監督との出会いでした。以来、監督のクリエイティブに興味があって、常に追いかけていました。『14歳の栞』を観る前、あるきっかけがあって本作の舞台である施設に行き、映像を撮りました。最初に子どもたちに出会ったのは2020年、コロナがスタートする時。その時は映画にしようとも思っていなかったんです」(齊藤)
去り際に齊藤が感じたのは、「施設の子どもたちが、一時的にどこかの大人が来ては去っていく、もうここには来ないと感じる経験を何度もしているのではないか」ということ。帰り際にこちらを眺める子どもたちの眼差しをそんなふうに受け止め、気になっていたという。呼ばれたわけでなくても、時間を見つけては施設を訪れるようになっていた時期に『14歳の栞』を観て、この施設を作品に残そうと思いついた。
竹林監督は言う。
「作品としてどう成り立たせるか、子どもたちのプライバシーをどう守ろうか、そもそも、どういう映画にするか――齊藤さんと施設に行っては施設長と長く話すことを繰り返して、職員の方々もどんな悩みを持っているか、詳しく聞きました。どう作ろうとしているのか、我々の視点を齊藤さんから職員の方々にたくさんインプットしていただきました。晴れ舞台のような撮影の日もあれば、日常が続くだけのシーンもある。普通の彼らを捉えたいし、自然な声に耳を傾けたいと思っていました。訪れては話し合うということに1年くらい時間をかけ、資金作りのためにヨーロッパの機関にまでプレゼンしたり、がんばりましたね」(竹林)
丁寧な時間を積み重ねて、子どもたちにも顔を覚えてもらい、「映画の撮影が始まるよ」と予告してからスタートした。ハロウィーンの時期には齊藤がお菓子を配ったり、季節の行事もともに時間を過ごして信頼を紡いだ。撮影が始まって最初の半年くらいは毎月2、3日ずつ。そのうち子どもたちから「次はいつ来るの?」と言われるようになり、月の半分くらい撮影で訪れるようになった。
「僕たちみたいな小さいチームであっても、生活におじゃまするわけです。先生たちから疑問もありましたよ、大事な子どもたちにカメラを向けるんですから。そういう時に齊藤さんがささっとやってきて映画の信念を伝えてくれて、疑念を安心に変えてくれた。いい連携ができたんです、齊藤さんが信頼して任せてくれていることも僕の心の支えでしたし、子どもたちも齊藤さんが見てくれていることに信頼を寄せてくれました。齊藤さんは関わり続けてくれることで、信頼の軸を作ってくれました」(竹林)
齊藤は、
「『14歳の栞』という作品を作ったチームであれば映画にとって大切な被写体を守る、ということが無理なくできる。あの施設と竹林組なら、足し算であり、掛け算にもなるのではないか、と感じたんです。子どもたちのプライバシーを守るという大前提が互いにわかった状態で映画制作が進行できる。竹林監督と子どもたちのコミュニケーションに対して信頼しかありませんでした。実際に、監督はカメラも持たずにただただ子どもたちとカードゲームをしたり、たまに来る大人ではなく、いつもいる人になってましたよ。被写体にならない子どもにもカメラを向け、同じような質問をして。もちろん職員の方々に対しても」
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潔く諦めることが意味したもの。
このインタビューは一部グループインタビューとして行われた。「ビッグイシュー日本版」の記者が、自身のティーンの娘がオンライン試写を隣で見て、「私と同じくらいの子たちだね」と興味を持ったという。興味深かったのは、彼女の年代のリアルな声として、「ナレーションや音楽がないことがいい」と述べたそうだ。自分が感じていることを何かの演出によって代弁してほしくない、と感じたらしい。説明を極力省いた演出について竹林監督は、
「子どもたちにとって、なぜ映画が撮られているのか、この映画は作られるべきなのかどうか、はとても大事なことです。いちばん大切なのは、映画が、出演している本人たちが作品を観た時に彼ら自身を励ますことができるかどうか。そこに軸に置いた、ある意味ビデオレターなんです。子どもたちにとってあまり知られたくない情報もあるかもしれない、そういうことを考えて演出していきました。少しでも軸がぶれたら、違う方向にいってしまうから」(竹林)
作り手として、こういう絵が撮りたい、こういうふうに演出したいなどと考え始めると、深追いしてどんどん盛っていこうとするものだ。竹林監督が、スタッフ全員と共有していたのが、子どもたちが「いやだ」と言えば、「じゃあ、止めよう」。現場が殺伐しないように、スタッフたちもちゃんとごはんを食べ、休んで、ゆとりをもって撮ることを大切にし、決して深追いしない。「潔く諦める」をルールにした。そうしていると、子どもたちのほうから話してくれた。
「彼らの背景に半年経ってなかなかなじめなかったとしても、それでよくないか?と思ったんです。日常生活の中であっても、気になった人がいたとして、その人の経歴のすべてがわかるわけでもないし。作品を観た人が子どもたちのことが気になって仕方ない、という気持ちを味わってもらえばいい。ドキュメンタリー作品は、背景を撮影し、伝えて、観客に課題意識をもってもらうというやり方もあるかとは思うけれど、それとは違うアプローチにしたって成り立つだろう、と信じながら進みました。ナレーションで説明しなかった理由はそういう考え方からです。いちばん大事だったのは、子どもたちが、自分自身をこの映画の主人公として観られることでした」(竹林)
齊藤が共鳴するのも、竹林のこういう考え方だった。
「『14歳の栞』を観なかったら私も不安を感じたかもしれない。企画・プロデュースの立場として、興行に偏らずに映像を作ることから生まれる映画の価値、結局、見たかったのはそれだったんです。竹林監督には、被写体としても学ばせてもらいました。起承転結を無理に作るのではない、カメラが権力を持ち過ぎず、いちばんいいタイミングで撮るからこそカメラが存在する意味を感じました。そういうやりとりを通じて、子どもたちが自分の想いを告解するような雰囲気になれたかと。竹林組はそういう存在になっていたかと思います。そこで切り取られるものは変に味付けされるのではなく、"被写体そのものの美しさ"という特徴があったと思います。興行性を引いて、見守ることに徹していました」(齊藤)
竹林組や施設に関して、齊藤自身が知りたいことがたくさんある、と齊藤は断言した。日々、齊藤自らがロジカルにエンタメ的なものに向き合って素晴らしい作品はたくさん目にしているが、
「見ている人は、本物がそこにあると"心が動く"んです。うまく作られているだけだな、と感じるのではなく"そのものである"こと」(齊藤)
制作陣はそんな自分を見て不安になったんじゃないかな、と齊藤は付け加えた。でも、「決して負け戦にはならない」と確証があったから企画に関わったのだ、と断言した。
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「竹林くん」の距離感。
監督や齊藤が子どもたちからなんと呼ばれていたのか聞くと、
「竹林くん、です」(竹林)
「齊藤さん、と呼ばれていました。圧倒的に監督よりも距離があったし。いまはなんて呼ばれているんですか?」(齊藤)
「いまも竹林くん、です。齊藤工と写真撮れた!と子どもが喜んでましたよ」(竹林)
齊藤は自身を「いい意味でノイズ」と言い、竹林は「齊藤さんのオーラはすごい」と返す。
幼少期からテレビをあんまり見ない子は、ただの大きいおじさんだと思っていたはず、と言いながら齊藤は、
「子どもたちの眼差しはリアルでした、特に幼児たち。時間が経つと、我々のことを害を与える人たちじゃない、と感じ始める。幼児との距離感がいちばん解像度高くて、真実の距離だと感じました」(齊藤)
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ネパール訪問で見えたこと。
観る者にとっては、この施設そのものが興味深い点がたくさんある。筆者はたまたまこの場所を知っていて、子ども時代含め、実家暮らしの時は近くを通った。電車が過ぎゆく光景を高台から眺める夕暮れ、坂道の途中に咲く花。桜の季節は美しく、これみよがしではなく素朴な街並みの中に溶け込んでいるのも特徴だ。養育者や職員たちは、家族のように子どもたちと暮らしている。日本の社会的養護が進まないのは里親制度が進んでいないからという見方でこの施設のありようを見てしまうと、その見方・考え方がいかに偏った知識であることに気付かされる。
「施設の職員の方々は公的な制度に本当に詳しくて、どうやって公的資金を得て子どもたちを大学に行かせるかなども考えている。組織内でサポートしあっていて、とても心強いと感じました」(竹林)
施設の力で大学進学する子もいるし、映画の後半では、ネパールの同じような施設を訪れるシーンがある。若い時分に、それが研修的な意味合いがあったとしても海外旅行に行けることは、ある種、とても貴重な経験をしているとも感じる。
齊藤は、
「施設の子たちの心持ちに純然たる何かを感じたシーンです。作品の心臓部で、竹林印。日本で施設に暮す子どもたちに見せたいシーンですね」(齊藤)
新しい発見や異なる国へ訪れて文化を知る経験を、心が柔らかな年齢でできることの素晴らしさ。施設の子どもたちは、自分の人生を自分で選ぶチャンスを十分に持っている、と一観客として感じるシーンでもあった。
「子どもたちはネパールに対して興味を持ち、友情も芽生えていて、日本での日常よりも視点が広がった、と言っていました。『(自分は)お世話になっている立場だが、彼らの助けになるようなことをもっとしたい、今度は助ける立場にもなりたい』と言う子もいた。親から離れている立場は一緒だが、もっと踏み込んで話をしたいと思った、とも」(竹林)
起承転結は無理に作らなくてもいい。誰の人生にも自然な起承転結は日々起こるわけだから。そういう意味で、本作はとてもシネマティックなのだと思う。ネパール以外にも、百名山登山に挑戦したり、子どもたちの人生が広がるきっかけはいくらでも、周りにいる人がともに歩みながら提供してくれている。
本作を観て、田荘荘監督作『青い凧』という映画を思い出した。中国の古い住宅形態の四合院を舞台としている。四角い敷地にいくつもの家が集まり、そこに住まう人たちは子どもたちをみんなで育てる。こうでなくてはいけない、とか、正しい育て方、というものは世界のどこにも実はない。観客たちは、スクリーンに映るひとつの在り方や生き方をとおして、何かを感じる。作品と観る人の間にも「そのままでいい」。そんな竹林印のドキュメンタリー映画がくれる感慨を、ひとりでも多くの人が受け取ってくれたら、と願う。
『大きな家』
●監督・編集/竹林亮 ●企画・プロデュース/齊藤工 ●2024年、日本映画 ●123分 ●配給/PARCO ●12月6日より、東京ホワイト・シネクイント、大阪TOHOシネマズ梅田、名古屋線ツリーシネマにて先行上映、12月20日より全国順次公開中 ©CHOCOLATE