人間的な時間の過ごし方とは? ブルネロ・クチネリの人生を描いた映画に答えがある。
Culture 2025.12.19

ブルネロ・クチネリ/Brunello Cucinelli
ブルネロ・クチネリ社 会長兼クリエイティブ・ディレクター。1953年、ペルージャの農家に生まれる。78年、カシミアニットの会社を設立。82年に妻フェデリカの故郷であるソロメオ村に移転し、3年後に本社業務をすべて移行。人間主義的経営の雄として起業家として世界中から数々の賞を受賞。哲学と読書を愛する彼の自宅には蔵書があふれていて、本作のポスタービジュアルのイメージ源ともなった。©BRUNELLO CUCINELLI
ファッションメゾンの創立者やデザイナーを主人公にした映画やドキュメンタリーはあまた存在する。そこから観客はブランドのメッセージを受け取り、ものづくりの哲学やクリエイターのキャラクターを掴みとる。イタリアのサルトリアーレを軸にした服づくりで知られるブルネロ・クチネリの創業者、クチネリ氏の半生を描いた映画『ブルネロ:礼節ある先見者』(原題:BRUNELLO - IL VISIONARIO GARBATO)がこの冬、完成した。しかしこの作品、他のファッション映画とは一線を画している――ストレートなドキュメンタリーではなく、ドキュドラマの手法を取った複雑な構成で、監督はあのジュゼッペ・トルナトーレ。日本を含め世界を一世風靡した映画愛の作品『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督がメガホンをとったのだ。
「ブルネロから私に監督をしてほしいと電話をもらった時、どう始めたらよいかまったく想像できなかった。だが、彼はやりたいことをやり抜く人物だ。きっと、このまま巻き込まれてやることになる......とわかっていたけどね」とトルナトーレ監督は冗談まじりに語った。

上映会時のクチネリ氏(中央)とトルナトーレ監督(右)、音楽を担当したニコラ・ピオヴァーニ(左、『ライフ・イズ・ビューティフル』(1999年)で米国アカデミー賞作曲賞受賞)。監督は、「ブルネロは作品を確認してみた時も一切変えてくれと言わなかった。すべてのクリエイティブの権利を任せてくれた」と語った。©BRUNELLO CUCINELLI
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トルナトーレ監督が描く愛と人生の物語。
映画はブルネロ・クチネリが幼少期から現在まで生きてきた軌跡を辿る。幼い頃に生家で星を見上げる少年だったこと。家畜を含め小さな動物たちと戯れ、家族みんなで日々を営んでいく信心深く慎ましい家庭で育ったこと。バイクと仲間と遊ぶことに興じたり恋に落ちたりして目の前のことに囚われ、未来をどう構築していくか読めない青春時代を過ごしたこと。

少年期のブルネロを演じたフランチェスコ・カンネヴァーレに演出するトルナトーレ監督。©FOTO di Stefano Schirato

作品のワンシーン。この家は本当にブルネロが子ども時代を過ごした場所。撮影のために自ら買い取った。©FOTO di Stefano Schirato
そんな中でもバールで知り合う人々との会話や人間観察から人生を学んだこと、恋人となり妻となったフェデリカとの二人三脚でファッションの道を切り拓き、いまやイタリアを代表する企業へと成長したこと......そして、大きな利益を上げることだけに執着するのではなく"人間主義的経営"という経営哲学のもと、彼とともに歩む社員や家族が前向きに暮らせる労働と生活を紡ぐシステムや環境を創ったこと。ただし、そこだけにとどまらず、ブルネロ クチネリ社の経営思想を世界に広げ、挑戦と質の高い生き方を目指す企業を増やし、社会の在り方まで問いかける道を歩んでいることまでが描かれている。ブルネロ・クチネリの人生の実話に基づいた壮大な物語だ。

映画のワンシーンから。サウル・ナンニが演じたブルネロ青年時代。ウイメンズカシミアニットの製造業を始めたばかりの頃。©FOTO di Stefano Schirato

映画で用いられた場面より。カシミア素材の原料のヤギを育ててくれているモンゴルを訪れたクチネリ氏。©FOTO di Stefano Schirato
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いまを生きるブルネロが作品の中に入り込む。
作中で使われる少年期の石造りの家は実際に彼の父母やきょうだいたちが住まっていた当時の家を買い戻して撮影に使った。俳優たちに当時を演じさせながら、ポケットに手を入れてクチネリ本人がその場面に入り込み観察しているというファンタジックな仕立てをトルナトーレ監督は起用した。監督の言葉で表現すれば、「ドキュメンタリーの形式に加えて、主人公の人生の最も象徴的な章を"映画的な演出による再現"として描く二重構造」ということになる。

トルナトーレ監督がこだわって作ったシーンのひとつ。カードゲームを真剣に行う、現在のクチネリ氏。クチネリ氏いわく、数学的な頭脳を使うカードゲームは、ビジネスに役立つ、とのこと。寸時での判断や、機を見る能力をカードによって養っているかのようだ。©FOTO di Stefano Schirato
極めてイタリア的な美しさ。
特筆すべきはイタリアの大地の豊かさと太陽の光、そこで育まれた伸びやかな感性を持つ人々の闊達な会話。幼い頃の経験もティーンエイジャーの戸惑いも、すべてが意義深い記憶となり、未来の栄養になるというメッセージが込められている。映画は、壊れた傘を繋いで作った凧を持って陽光の中、野原で遊ぶクチネリ少年の姿を映す。ミニバイクで愛する女性が乗ったバスを追いかける青年。緑色のバーでカードゲームをする真剣な表情。商売として扱う色鮮やかなニット製品が少しでも売れるようにちょっぴり狡い工夫を仕掛けたりもする。そのすべてが、鮮やかなほどにイタリア的なのだ。ブルネロ クチネリ本社があるペルージャ県の緑豊かなソロメオ村の営みも、まさにイタリア的な大らかさと誇り高さに満ちていて、とても人間的な場所だと感じられる。

本社があるソロメオ村。ファミリーが一同に集まる。向かって左が妻のフェデリカ。青年期のブルネロを善き方向に導いたのは彼女の存在が大きい。ふたりの娘たちも経営に関わっている。©BRUNELLO CUCINELLI
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映画の聖地チネチッタでのプレミア上映。
作品が初めて上映されたのは12月4日夜、ローマの撮影所チネチッタに設けられた劇場だ。国葬で送られたフェデリコ・フェリーニをはじめ、ルキノ・ヴィスコンティ、セルジオ・レオーネなどイタリア映画の巨匠が撮影を行う映画の生まれる場所である。

豪華なゲストだけではなく、世界中からジャーナリストが集まったチネチッタ内のテアトロ22。©BRUNELLO CUCINELLI


写真上:エドガー・ラミレスとジャシカ・チャスティン。 写真下:ジェフ&エミリー・ゴールドブラム夫妻。©BRUNELLO CUCINELLI

ブルネロ青年期を演じた人気俳優サウル・ナンニ。©BRUNELLO CUCINELLI
プレミア上映への来場者にはクチネリファミリーはもちろん、青年期を演じた人気俳優サウル・ナンニ、トルナトーレ監督、音楽を担当したニコラ・ピオヴァーニ、ゲストにはジェシカ・チャスティンやクリス・パイン、カイル・マクラクラン、ジェフ・ゴールドブラムなどハリウッドスターも訪れた。

古代ローマを模したセット。道に光っている文字は、クチネリ氏の心に刻まれている古の哲学者たちの言葉だ。©BRUNELLO CUCINELLI
古代ローマをイメージしたセットと、クチネリ家の夥しい蔵書のイメージを演出に用いた特設空間でディナーパーティも催された。時を紡ぐ永遠の都として雄姿を残すローマで、シネマティックな宵は過ぎた。本作はイタリアで2025年内に数日公開され、ブルネロ クチネリ社の哲学に共感する世界各国のスクリーンで上映が予定されている。

古代の石像と蔵書を積み上げたユニークな空間演出のなか、ミュシュラン星付きレストランのシェフが作った料理を楽しんだ。©BRUNELLO CUCINELLI




