ギリシャ「最後の王」の末娘セオドラ王女、結婚!
Celebrity 2024.10.03
ヨーロッパ王室の中でもひときわ"高貴な血筋"の王女がついにアテネで挙式した。

セオドラ王女がロンドンのセント・メアリー病院で生まれたのは1983年6月9日のことだった。ギリシャで王制廃止が決まってから10年近くが経っていた。今日41歳となった王女は、2023年に死去したギリシャ最後の王コンスタンティヌス2世と、その妃であるデンマーク王女アンナ=マリア(彼女の姉は前デンマーク女王マルグレーテ2世)夫妻の次女である。つまり、きわめて血筋正しいヨーロッパの王室のお姫様なのだ。
しかしながらここ数日、王女の話題が盛り上がっているのは、何度も延期された結婚式がようやく実現し、9月28日にアメリカ人弁護士のマシュー・クマールと結婚したからだ。
ふたりは2018年11月に婚約した。結婚式は当初、2020年に予定されていたものの、コロナ禍で延期を余儀なくされた。さらに2023年1月10日には父、コンスタンティヌス2世が死去したために再度の延期となった。3度目の延期はないだろう。挙式はアテネのミトロポレオス大聖堂でおこなわれる。ここは王女のルーツと深い関係がある場所なので、さぞかし感慨深いに違いない。
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イギリスのエリザベス女王も代母のひとり
セオドラ王女は、ギリシャ王一家がロンドンに亡命中に生まれた。洗礼式は1983年10月20日に行われ、王室専門サイト「ノブレス・エ・ロワイヨテ」によると、洗礼の際の代父母は、元ルーマニア国王ミハイ1世、元セルビア王太子アレクサンドル、イギリスのエリザベス女王、そして彼女の伯母であるデンマークのマルグレーテ2世と、ヨーロッパ各王室のそうそうたるメンバーが顔をそろえた。
こうしてセオドラ王女は祖国から遠く離れた地で育った。ギリシャの地を初めて踏んだのは王女が10歳になった1993年のことであった。「両親に気づいた人々が喜び、敬意を示すのを見てとても嬉しかった」と後に王女はスペインメディア「オラ」に語っている。
しかしながらこの待ちに待ったギリシャへの帰還は、彼女の父、コンスタンティヌス2世とギリシャ当局との間に新たな緊張をもたらすことになった。ギリシャ政府はギリシャ王室に対し、王室としての権利を放棄するまでギリシャ国籍を剥奪することを決めた。セオドラにとってこれは祖先の地がさらに遠くなることを意味し、辛いことだった。王女も含め、ギリシャ王室一家がギリシャに滞在する許可を得るのは2004年まで待たなければならない。
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女優としてのキャリア

亡命は長期にわたり、王女は滞在先の英国で教育を受けた。ロンドンのバイリンガルスクール、ヘレニック・カレッジ・オブ・ロンドンを経て10歳の時にイギリスのサリー州の名門寄宿学校、ウォルシンガム・スクールへ。ここで培った演劇への情熱は、王女にとって単なる趣味を超えた天職に感じられた。
女優になる決意を固めたセオドラ王女は渡米し、ボストンのノースイースタン大学で演劇を学ぶ。2010年には生地のロンドンから遠く離れた憧れの地、ハリウッドに移り住む。ここでも学び続け、オーディションに参加し、役を得るようになった。まずは『The Lightkeepers(原題)』(2009年)などのインディペンデント映画への出演から。その後数年間、小さな役で『Amnesia(原題)』や『The Big Valley(原題)』、ドキュメンタリー『Nevan Saunders' Quest for Fame』等に出るようになったことを王女は2015年、スペイン版「ヴァニティ・フェア」誌に語っている。2011年には人気ソープオペラ「ザ・ボールド・アンド・ザ・ビューティフル」でレギュラーの座を獲得、2018年まで出演していた。
プライベートでは、2018年11月16日、セオドラ王女の婚約が父コンスタンティヌス2世の事務方より発表された。お相手は数年前から交際していたアメリカ人弁護士のマシュー・クマールだ。こうして結婚式がついに今週おこなわれ、多くのヨーロッパの貴族が出席した。
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text : Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)