「もしいま私が子どもだったら、自閉症と診断されていた」ビル・ゲイツ、自身の学校生活を振り返る。

Celebrity 2025.02.05

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マイクロソフトの共同創業者は、2月4日に発売された回想録『Source Code(原文)』の中で、同世代の若者とは異なる幼少期を過ごしたことや、両親との複雑な関係について語っている。

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ビル・ゲイツ。(ドイツ ベルリン、2024年10月14日)photography: Imago/ABACA

ビル・ゲイツは、テクノロジー界の天才たちの中で決しておしゃべりな方ではない。それでも、イーロン・マスクやジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグと並ぶほど人々を魅了する存在である。2月4日、ビル・ゲイツは回想録『Source Code』(Flammarion刊)を通じて自身のプライベートな一面を明かした。最新号の仏週刊誌「パリ・マッチ」では、マイクロソフト共同創業者の自伝の一部が公開された。そこでは、幼少期の彼の苦悩が語られている。自分の世界に没頭し、周囲にうまく馴染めなかった少年時代。さらに、ふたりの姉妹、クリスティアンヌとリビーに囲まれながらも、特に両親との対立が絶えなかった波乱の家庭生活についても綴られている。「両親は幼い頃から、私の思考のリズムが他の子どもたちとは違うことに気づいていた」と、ビル・ゲイツは本の中で記しており、自身がいかに異質な存在であったかということを明らかにした。

「ハッピーボーイ」

ビル・ゲイツ(ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世)は、赤ちゃんの頃からすぐに「ハッピーボーイ(幸せな男の子)」というニックネームをつけられた。自伝の中で、彼は常に満面の笑顔で、「喜びが他のすべての感情を覆い隠していた」と説明している。将来のテクノロジー業界のトップに成長することになる彼には、もうひとつの特徴があった。それは、落ち着きがなく、絶えず揺れていたこと。「最初はゴム製の木馬に乗って、何時間も揺れていました」とビル・ゲイツは語る。「その後、成長するにつれて、馬なしで揺れ続け、何かを深く考えるたびに椅子に座って、そして立ったまま揺れていました」。彼はこの動作を「脳のメトロノーム」に例え、今でもその習慣を続けている。

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「ハサミの使い方も、コートの着方もわからなかった」

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1986年7月、アメリカ、ワシントン州レドモンドでのビル・ゲイツ。photography: Ed Kashi / Getty Images

ビル・ゲイツの学業は順調ではなかった。両親はすぐに、彼が他の子どもたちとは違った考え方をしていることに気づいた。そして、彼が通うアコーンアカデミーの教師たちにそのことを知らせることを決心した。「学校が行うすべての活動に対して全く興味を示さず、意図的に無関心さを示すことで私たちを驚かせようとしているように見えた。彼はハサミの使い方も、コートの着方もわからなかった」と、ビル・ゲイツの学校生活一年目の終わりに校長が記したとされている。

彼はその後、2学年目には「反抗的な子どもで、攻撃的になった」と説明している。未来の天才は自分自身の世界で成長し、「想像の旅」を思い描きながら、同年代の他の生徒たちとは距離を置いていた。彼は「怒りと不幸」の中でクラスメートと喧嘩をしていたのだ。

学校でビル・ゲイツは孤独な存在だった。「小さくて痩せていて」、「非常に高い弱々しい声」、「他の人の前では内気で」......彼はクラスメートの中に自分の居場所を感じられなかった。「もし今の時代に生まれていたら、おそらく何らかの自閉症と診断されていたでしょう」とビル・ゲイツは書いている。彼は静かに考えにふけったり、読書をしたり、数学に没頭したりすることを好んだ。しかし、作文や芸術、スポーツの時間になると、彼は全く興味を示さなかった。逆に、「自分の気が乗ったときは、椅子から飛び跳ねて手を必死に挙げたり、大声で答えを叫んだりすることがありました。混乱を起こそうとしていたのではありません。ただ、私の思考はとても速く、興奮して落ち着かない状態になりやすかったのです」と、億万長者の彼は、自身の多動傾向について説明している。

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「自分の部屋の中でひとりきり」

学校と同様、ビルの家での暮らしは簡単ではなかった。若きビルは自分の思う通りに行動し、母親が部屋を片付けるように頼んでも、拒否した。すると、母親は床に散らかっている服を取り、ビルがそれを取り戻すためには25セントを支払うように言った。「私は最低限の服しか着なくなりました」とマイクロソフトの共同創業者は言う。「自分の部屋の中で、私は本を読んだり、座って考え事をしたりしていました」と彼は語った。「私はベッドに横になって、質問について無限に考えることができました」。何時間も、外から聞こえる音がどうやって自分の耳に届くのかを考えていた。ビルは時に何日も話さず、部屋にひとりでこもった。食事に呼ばれたり、テーブルを片付けたりといった頼まれ事を無視し、沈黙と自分の思考に浸ることを好んだ。あるとき、母親が彼に話しかけようとした際、ビルは怒りながらこう答えたと言う。「考えているんだ! そんなこともしたことないのか? たまには試してみたらどうだ」。

「多くの問題を起こしていた」

ビルと両親との関係は、良好とは言い難いものだった。彼らはうまくいかず、家庭内ではしょっちゅう言い争いが起こっていた。ある日、母親曰くビルが「生意気で侮辱的な態度」を取ったため、二人は口論していた。するとその時、父親がビルの顔に水をかけた。「シャワーをありがとう」とビル・ゲイツは答えた。「こんなに優しい父が感情を爆発させるのを見たことがなかった。それだけ私が彼を追い詰めてしまったことがショックだった」と億万長者は回顧録で告白している。「私はあまりにも多くの問題を起こしていたので、両親はソーシャルワーカーのチャールズ・クレスィー博士に相談することにしました」。彼の前で、ビルはすぐにこう言った。「私は両親と戦争状態だ」。その後、博士はビルの両親に「諦めなさい。彼が勝つことになる」と説明したという。この出来事の後、ビルはクレスィー博士に約2年半の間、相談を続けた。そして、ゲイツ家に平和が戻った。「私は理想的な息子だとは言えませんが、もっと努力するようになりました......そして、私の両親は、多くの親が考える"普通"と、私が少し違うことを認めたのだと思います」。

From madameFIGARO.fr

text: Leonie Dutrievoz (madame.lefigaro.fr) translation: Hanae Yamaguchi

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